おやのことば 2月19日

「おさしづ」には、印象的な対比表現がいくつも出てきます。中でも「細道」と「往還」という表現は、その代表的なものだと言えるでしょう。教会公認などの歴史上の出来事から個人の身上に至るまで、さまざまな場面に使われています。

対比表現は、対照法などとも呼ばれ、対句となる二つの言葉を際立たせる言語表現の技法です。しかし、どのような対比関係が成立するかは、現実生活における対比ではなく、実際に使用されている言語表現の文脈の中で決められます。例えば、「わたしは彼女に《恋》していたが、彼女はわたしを《愛》していた」というように、文脈によっては、意味のよく似た言葉を対比関係に置くこともできるでしょう。

さらに言えば、こうした対比表現を通して、背景にある「ことばの世界」を思い浮かべることも不可能ではないということです。

「細路は通りよい。往還は通り難くい」

このような「おさしづ」の対比表現を心の中で繰り返すとき、お言葉の背景に広がる親神様の思召の世界に、少しふれられたような気がしてきます。

われわれの日常のことばの世界では、往来のできる広い道の方が通りやすい。しかし、信仰の世界では、通りやすい道こそが通りにくい細道になる。

身上や事情の御守護を頂いて、毎日を気楽に暮らしていると、すぐにそのときの真剣な思いや祈りを忘れてしまう。こんな自分に気が付くたびに、このお言葉を思い出します。こうした反省の繰り返しが、「おやのことば」を拝読する意味なのかもしれません。 (岡)

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