(天理教の時間)
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第1376回2026年3月6日配信

なぜ、ごみを拾うのか

家族円満 松村登美和
松村 登美和

文:松村 登美和

第1375回

おつとめメンドクサイ…

東日本大震災が発生した直後、避難所で子ども会を開くために派遣された。少しでもストレスを和らげてもらおうと…。

おつとめメンドクサイ…

岡山県在住  山﨑 石根

 

2011年311日、東日本大震災が発生しました。岡山は震源地から遠く離れていたので、当初はあまり気にかけていなかったのですが、事態は刻一刻と悪化していき、私たちはメディアを通して、その被害の尋常でない様を目の当たりにすることになりました。

ちょうど翌日の12日は、当教会で「おとまり会」という子どもを対象にした行事がありました。参加してくれた小学生たちと一緒に夜の時間を過ごしたのですが、テレビは震災の報道ばかりで、原発事故に関する緊急発表などもあり、みんなでただならぬ空気を感じていたことをよく覚えています。

あの日、あの時、あの頃、恐らく日本の多くの方が、大きな不安と共に落ち着かない日々を過ごし、「被災地のために何かしたい、何かしなければ」と思いながらも、何も出来ないことへの焦燥感や無力感を抱いたのではないかと思います。そして、世の中は忽ち自粛モードになりました。

天理教教会本部では、翌日からすぐに「お願いづとめ」がつとめられました。また、12日、13日、14日の三日間、教会本部にならい、国々所々の教会でも、正午に時間を合わせて真実を込めたお願いづとめがつとめられ、私も一生懸命祈りました。

震災から二か月が経った512日から16日、私は招集を受け、被災地を訪れました。これは「天理教災害救援対策本部」のもとで実施された取り組みで、被災地において特に子ども達を元気づける活動をするため、天理教の中で学生や子ども達のお世話に携わっているメンバーでいくつかのチームが結成されたのです。私は以前、児童養護施設で心理職として勤務していた経験から声がかかり、被災地で「子ども会」を開催するチームに加えて頂きました。

私たちのチームは6名でしたが、折り紙やバルーンアートが得意な方、プロのマジシャンとして活躍している方、ピアノが得意でリトミックが出来る方など、頼もしいメンバーばかりでした。私たちは、「天理教災害救援ひのきしん隊」という、現地で具体的な支援活動をされている方々と同じ宿営地に宿泊し、期間中、一つの保育所と六つの避難所で実動しました。

具体的には、避難所の子ども達と90分ほどの時間枠でとにかく元気に遊ぶプログラムを組みました。バルーンアートや折り紙から始め、大縄跳びやボール遊びなど身体を使った外遊びに展開していき、最後はマジックを披露し、避難所生活のストレスを解消してもらうことを目指しました。

どの避難所でも、不自由な環境で避難生活を送っておられることに、胸が痛みました。私たちが出来たことは本当に些細な活動でしかなかったのですが、子ども達が思いっきり遊び、それを見ている大人の方々が笑顔になる、それだけでこちらの気持ちも救われました。

私たち自身ももちろん緊張もしますし、感情が大きく揺れ動きます。避難所から避難所へ移動する時には、被災地の衝撃的な辛い現状を目の当たりにするので、活動に際して気持ちのオン・オフが非常に難しかったのを覚えています。

一か所だけ訪れた保育所では、自分たちのほうが辛い立場にあるはずの子ども達が、「さんぽ」と「ありがとうの花」という手話を用いた歌を、私たちへのお礼としてプレゼントしてくれ、涙をこらえるのに必死でした。

特に私は、当時、我が子が4歳と2歳でちょうど同年代でしたので、あまりにも身近に感じてしまい、励ます側が励ましてもらっているような状況に、何だか後ろめたさまで感じてしまいました。

最後には園長先生が、「天理教さんには救援物資をたくさん頂き、炊き出しもずっとして下さり、今日は心の栄養まで頂きました」という言葉を下さり、それに支えられたような心持ちでした。

被災地から帰宅した私は、教会の信者さん方にこの時の報告をしました。原稿にまとめて話すつもりだったのですが、いざ言葉にすると、涙があふれて止まらなくなり、うまく伝えられなかったのです。それは、自分がしてきたことがあまりに小さく、何も出来なかったのではないかという申し訳なさを感じていたからだと思います。

実は、私はこの活動の他にも、瓦礫などの撤去作業を行う別チームとして被災地を訪れました。重機が入らないような場所を、人海戦術でコツコツと作業をするのですが、天理教内の多くの仲間が「自分たちに出来ることはほんのわずかかも知れないけれど、やれることは何でもさせて頂こう」と口々に語っていました。そして、皆がそれぞれ、おつとめを通して被災地の治まりを祈っていました。

天理教では、世の中に起こる出来事を、他人事ではなく「我が事」として思案するように教えて頂きます。その上で、世界中の人々のたすかりを祈念しておつとめをつとめます。

私の教会でも、父の代から何十年にもわたり、毎日「お願いづとめ」がつとめられているのですが、その際にはたすかってもらいたい人のことを具体的に思い浮かべながら祈っています。

その人の元にすぐに駆け付けることが出来なくても、あるいは具体的に何か手だすけが出来なくても、私たちは人のために願う方法を教えて頂いています。本当にありがたいなぁと身に沁みます。そして、「これからは被災地で出会った子ども達のことも思い浮かべよう…」と、私はこの時誓ったのでした。

震災が起きた前月の2月に、長女が生まれました。彼女の誕生日が訪れる度に震災のことを思い出します。

今年の2月に長女は15才になりました。もうあれから15年が経ったのです。おかげで彼女には、何度もこの出来事について話をすることが出来ました。当たり前の毎日の有り難さや、人のために何かをすることの大切さ、そして、おつとめを通して、願う心の尊さについて伝えてきたつもりです。

ところが、まだ子どもですから、理屈では分かっても、長女にとっても、弟や妹たちにとっても、教会でのおつとめはメンドクサイものです。

中一の三男がお年頃になり、だんだんおつとめを真面目につとめなくなりました。そんな時、仲の良い友人が学校に行けなくなったのです。

妻が彼に、「教祖は、人のたすかりを願う方法として、おつとめを教えて下さったんやで。そのお友達が元気になるように、祈ってみたら?」と提案しました。すると、夕方のおつとめをいつになく真剣につとめるようになったのです。

「朝はメンドクサイけど、夕づとめは一生懸命祈ってるで」と三男。まぁ、子どもにしてみれば十分かなと、微笑ましい気持ちになりました。

「世界一れつをたすけたい」というのが神様の思いです。私たち一人ひとりにとっては途方もないミッションですが、その具体的な手段がおつとめだと思うのです。

あの震災以降も、世の中では様々な災害が起こり、さらには戦争や紛争も止まず、そしてコロナのような疫病の世界的流行も経験しました。でも、その度に信仰を同じくする仲間が具体的な支援に励むと共に、ずっとずっとおつとめをつとめてくれていることが、誇らしくてたまりません。

私も、このおつとめに、いつでも心を込めて祈ってゆきたい。三男の姿に励まされ、決意を新たにしました。そして、あの日、あの時に、歌を届けてくれた子ども達を決して忘れないようにしたいと、重ねて心に決めたのでした。

教祖、「おつとめ」を教えて下さり、本当にありがとうございます。

 


 

一二三と言う

 

神様のお言葉に、

一二三と言う。一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、一つ/\組むようなもの。成程という理治まれば、十分神が守護する」(M39・5・20)

とあります。

何をするにも、なるほどと合点がいけば、物事はスムーズに進行し、実に気分良く暮らすことができるでしょう。ただこの場合、何をもってなるほどと思うのかが問題です。自分の都合に合わせてなのか、それとも神様のお話になるほどと思うのか。常に自分の都合に合わせていくとなると、その先には何か大きなトラブルが待ち受けていないとも限りません。

原典である「おふでさき」には、

  いまゝでにないたすけをばするからハ
  もとをしらさん事にをいてわ (九 29)

と示されています。

元を教えてたすけることこそ、この道の本質である、ということです。親神様は先を見通しつつ、今まで誰も知らなかった人間の元、根源をお話になるわけですから、直ちにすべてを心に治めるのは難しいかもしれません。

「一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三」とあるように、親神様のお話を順序良く、一と言われたことを一と納得し、二と言われたことを二として了解していくのが、確実な道の歩み方なのです。

お言葉の後半は、「心というものは、皆んな神が守護してある」と続きます。これは、人間の心遣いまで親神様が支配しているという意味ではありません。親神様のご守護があればこそ、心を働かせることができるということです。

使った心の働きだけが、自らの肥やしとなり、生きる糧となるのです。これを得心しつつ通ってこそ、「成程という理治まれば、十分神が守護する」ということになるのではないでしょうか。

(終)

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