第1303回2024年10月11日配信
神様の大作戦(前編)
私は32歳で看護師に、35歳で助産師になった。山あり谷あり、がけっぷちの道中を三週にわたり紹介する。
神様の大作戦(前編)
助産師 目黒 和加子
私が助産師になったのは35歳の時です。看護大学を卒業すれば22歳で助産師になれるので、かなり遠回りをしました。今回は助産師になるまでの山あり谷あり、崖っぷちありの道中をご紹介します。
高校を卒業後、医療系の専門学校を卒業し、医療秘書として内科病院に勤務していました。23歳で結婚しましたが上手くいかず、仕事を辞めて天理教の教えを学ぶ修養科を志願し、三カ月おぢばで過ごしたのちに離婚。実家に戻っていました。
当時、歯科医院で勤務していましたが収入は少なく、将来を考え看護師免許を取ろうと28歳で一念発起し、まずは准看護師学校へ入学。病院で働きながら学校へ通う勤労学生を2年経験し、准看護師になりました。さらに正看護師の学校へ進学。2年後、32歳で晴れて看護師になったのですが、待っていたのはいばらの道でした。
大阪市内の総合病院に就職し、内科病棟の配属となりました。新人には指導者がついて、マンツーマンで教育・指導を受けるのですが、私の指導者はとても厳しく、課題がどっさり出て休みの日も宿題に追われる日々。
提出しても、「抜けているところがあります。やり直してください」と言われ、「どこが抜けているのですか?」と聞いても、「自分で考えてください」と冷たい返事。再提出、再々提出しても「やり直し!」と突き返されます。何度見直してもどこが抜けているか分からず、やり直しをせずに提出すると、その指導者はなんと「これでOKです」と言ったのです。
このことで緊張の糸がプツンと切れ、胃潰瘍となり近所の病院に入院。就職して2か月で休職となってしまいました。
入院中、「私の指導が行き過ぎていたと反省しています。やり方を変えますので戻ってきてください」と指導者から電話があり、職場復帰を考えていた矢先、風邪をひきました。
その風邪をこじらせ近所の内田耳鼻科を受診し、急性副鼻腔炎と診断されました。薬を飲んでも頬の痛み、黄緑色のドロドロの鼻水、頭痛、身体のだるさは良くならず、大学病院耳鼻科のK先生を紹介されました。K先生は頬の上顎洞に溜まっていた膿を出そうと、鼻に圧をかけて副鼻腔内を洗浄するヤミックという新しい治療をしたのですが、膿は出ませんでした。
後で分かったことですが、このヤミックの治療が失敗し、上顎洞の膿は排出されないどころか、鼻の一番奥、目の後ろにある「蝶形骨洞」へと押し上げられたのです。
治療後、頭痛は一層ひどくなり、目も見えにくくなったので再び大学病院を受診。しかしK先生から、「もう上顎洞に膿はありません。念のため脳神経外科を受診してみますか」と言われ、そちらへ回されました。
しかし、脳神経外科で問題なしと言われると、K先生は「症状は精神的なところから来ているのかもしれません」と言い、今度は精神科に紹介状を書き始めたのです。
ちょうどその時、CTとMRIのキャンセルが出たと連絡があり、急きょ検査を受けました。
検査後、フィルムを見たK先生の表情がこわばり、若いドクターに「すぐに蝶形骨洞開放術が必要だ!手術室の空きがあるか確認しろ!」と声を荒げ、慌てています。
「蝶形骨洞の粘膜が腫れて、腫瘍らしきものも見えます。何が原因でそうなっているかは分かりませんが、早く手術しないと蝶形骨洞内を走る視神経がやられて、失明する可能性があります」と言うのです。
しかし、その日は手術室の空きがなく、「今日はステロイドと抗生剤の点滴をして帰ってもらい、明日の朝一番で手術をします」との説明を受けました。
診療が終わり静まり返った耳鼻科外来。診察室の一番奥で、カーテンで仕切られたベッドに横になり、点滴を受けていると、私がいることに気づかない数人の医師がカンファレンスを始めました。
「このCT見てみ。こんなぐちゃぐちゃな蝶形骨洞、今まで見たことないわ」
「どうせ悪性ちゃう?」
「明日の朝一番でオペやって。どうせ開けてもたすからへんで」
「N病院の看護師やで。結構べっぴんや。32歳か、かわいそうになあ」
カーテン越しに聞こえてきたのは私のことでした。体が震え、頭の中は真っ白。この日、どうやってうちに帰ったのか思い出せません。一睡もできないまま朝になり、大学病院へ。耳鼻科外来から手術室へと運ばれました。
鼻の穴からハサミを使って蝶形骨洞を開放する際、目の神経の近くを触るので、目が見えているかを確認しながら手術を進めます。なので、麻酔は局所麻酔。意識は普通にあり、ドクターの会話も聞こえます。
蝶形骨洞の粘膜は、イチゴジャムのようにぐちゃぐちゃで無残な状態。腫れ上がった腫瘍組織の一部をとり、術中迅速細胞診で調べると、「炎症性病変です。悪性ではありません」と、K先生の言葉が聞こえました。
〝やれやれ、悪性じゃなかった。命拾いした〟とホッとしたのですが、K先生が突然、「脳外科のドクターを呼んでくれ!」と、慌てた声でナースに指示を出したのです。
手術室内に三人もの脳外科医が呼ばれ、私の枕元でヒソヒソと話し合っています。聞こえてきたのは、「さわるな、さわるな」という小さな声。手術は、その小声とともに終了。「何が〝さわるな〟なんかな?」と疑問に思いながら病室に運ばれました。
退院の日、K先生が病室に来て、
「あなたの蝶形骨洞の病変は炎症によるものでした。その炎症がひどい状態で粘膜は腫れ上がり、一部は溶けていました。実は溶けていたのは粘膜だけでなく、脳と蝶形骨洞を隔てている骨、要するに脳をのっけている分厚い骨までもが溶けていたんです。内視鏡で蝶形骨洞の一番奥を見たら、見えるはずのない脳が透けて見えました。
脳外科の医師に手術室に来てもらって相談したところ、『さわらない方が良い』とのことだったので、溜まった膿が鼻へ流れ出る道を作っただけで手術を終わらせました。
今後、風邪をひいて副鼻腔炎が再発した場合、感染が脳に及んで脳炎になる可能性があります。脳炎になれば命にかかわることもあり、後遺症で寝たきりになることもあります。お気の毒です」
と一方的に言うと、さっさと病室から出て行ってしまいました。
〝風邪をひいたら脳炎になるかもしれないって…。風邪をひかないで生きていくことなんかできない。どうしたらいいんやろう…。〟医師に見放されたと感じ、お先真っ暗のまま自宅に戻りました。
翌日、勤務先の看護部長に電話をし、医師から言われたことを伝え、「復職はいつになるか分かりません」と言うと、「ここの病院にも耳鼻科があるのに、どうして自分の勤める病院で診てもらわなかったのよ! 復職がいつになるか分からないなら、辞めてもらって結構です。ロッカーの荷物を取りに来てください」
看護部長の逆鱗に触れ、なんとクビになってしまったのです。
鼻からの出血は止まらず、職も失い、体も心もどん底でした。どん底の時には涙も出ないんですね。泣ける余裕すらない。呆然としながらも、ふつふつと湧いてきた思いは、
「看護師になってこれからっていう時に、なんで神様はこんなことしはるねん!納得できへん!」
無性に腹が立ち、鼻に綿花を詰めマスクを三重にして、おぢばへ向かったのですが、京阪電車萱島駅で衝撃の場面を目撃させられるのです。
来週は、神様の大作戦に翻弄される怒涛の展開。どうぞお楽しみに!
たのしみ
「たのしみ」という言葉は、一般には物事を見たり聞いたりして、喜びを感じるという意味で使われますが、神様のお言葉の中にも、再三「たのしみ」という表現が出てきます。
教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」では、
心さいすきやかすんだ事ならば
どんな事てもたのしみばかり (十四 50)
と、心が澄んだ状態になれば、楽しみ尽くめの日々を送れると示されています。
また、親神様が何を楽しみにされているかについては、
にち/\にしらぬ事をやない事を
これをしへるが月日たのしみ (八 77)
と、世界中の人々がいまだ知らないことを教え、陽気ぐらしへと導いていくことが楽しみであると示されています。すなわち、私たちは親神様の教えによって楽しみを与えられ、その人間の楽しむ姿を見て親神様も共に楽しまれる。これこそ神人和楽の陽気ぐらし世界です。
しかし、楽しみと言っても良いことばかりではなく、親神様は、私たち人間の「今さえ良ければ」という刹那的な「楽しみ」については、厳しく戒められています。
「その場の楽しみをして、人間というものはどうもならん。楽しみてどうもならん。その場は通る、なれども何にもこうのう無くしては、どうもならん事に成りてはどうもならん」(M22・3・22)
そして、「たのしみ」のもう一つの意味、先のことに期待をかけて心待ちにする様を、この道の結構な通り方として示されています。
「神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。今の楽しみ、先の細道。今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい」(M22・10・26)
たとえ今は楽しい道を通れなくとも、先の楽しみを見据えて真実を尽くすことの大切さをお諭しくだされています。
(終)