(天理教の時間)
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第1312回2024年12月13日配信

お産のふりかえり

末吉喜恵先生
末吉 喜恵

文:末吉 喜恵

第1302回

神様にもたれて通る

35年前、腫瘍が見つかり、医師からは「このままだと死にますよ!」との宣告。その時、教祖のお声が…。

神様にもたれて通る

岐阜県在住  伊藤 教江

 

「あなた、このままだと死にますよ! すぐに入院、手術です!」

そうお医者さんから言われたのは、今から遡ること35年前でした。

私は人生の大きな岐路に立たされていました。子供の頃から大きな病気もせず元気に過ごしてきた私にとって、その言葉はあまりに衝撃的で、とても受け入れられるものではありませんでした。

「嘘でしょ…何かの間違いに決まってる。だって、痛くも痒くもない。食欲もある。今だって元気に動き回ってるし…」

確かに私のお腹には、いつからか小さな固いしこりが出来始めていました。それでも、「大したことはない」と少しも気に留めていませんでした。ただ、母が心配してくれていたので、母に安心してもらうために「まあ、一度病院で診てもらおうか」と、とても軽い気持ちで診察を受けました。

その後、いくつかの検査によってデスモイド腫瘍が見つかり、冒頭のお医者さんからの一言で、私の心は一瞬にして奈落の底に落ちたのです。

 病院からの帰り道、今まで当たり前に見てきた街並みや、道端の小さな草花、流れる川さえもが愛おしく感じられ、「きっと、私がいなくなっても何事も変わらず、来年もまた花は綺麗に咲き、川も止めどなく流れ、時は過ぎていくんだろうなあ…」と、命のはかなさを感じ、ただただ涙を流したのでした。

当時、私にはまだ幼い二歳と一歳の二人の娘がいました。

「この子たちを置いて死ぬわけにはいかない! もし私がここで死んだら、この先この子たちはどうなるんだろう…。お願いです!何とか救けてください! 山ほど借金して、世界中から名医を探し出してでも、命を救けてもらいたい! たとえ動けなくなっても、どんな姿になっても命だけは救けてもらいたい!」

何度も何度も、どれほど心の中で叫んだことでしょう。しかし、どんなに望んでも願っても、思い通り、願い通りにはならないのが現実です。

そんな時、「人を救けたら我が身が救かるのや」という教祖のお声が、繰り返し繰り返し聞こえてくるような気がしました。

「人救けたら我が身救かる」。その教えは今まで何度も聞かせて頂いていたけれど、実際は頭で理解しているだけで、本当の意味で心の底に治まっていなかった。

親々の信仰を受け継いで今日まで生きてきたけれど、親神様を我が心でしっかりとつかめていなかった、もたれ切れていなかったということに気づいたのです。

そして、「このお言葉が真実なら、親神様は絶対におられる! このお言葉通りに実行して命をたすけて頂いたら、この親神様は絶対に間違いのない真実の神様である」と思えたのです。この病は私にとって、目に見えない親神様のお姿を心で感じ取るための大きなチャンスでもありました。

ある教会の先生からは、「固い鉄は、熱い火が溶かす。やわらかい身体に出来た固いしこりは、熱い心が溶かす。熱い心とは、人をたすける心である」と聞かせて頂きました。

人をたすけるとは、病んで苦しんでおられる方におさづけを取り次がせて頂くこと。これしかありません。この時ほど、教祖から尊いおさづけの理を頂戴していたことを有難く思ったことはありませんでした。

「人救けたら我が身救かる」との教祖のお言葉を胸に、病院中をおさづけの取り次ぎに回らせて頂きました。

見ず知らずの人におさづけを取り次ぐのは、とても大変なことでしたが、当時の私はそんな悠長なことを言っている場合ではありませんでした。「もっとおさづけを取り次がせて頂けば良かった」と、悔いを残すことは出来ませんでしたから。必死に我が心と戦いながら、病室から病室へと回らせて頂きました。

そんな私のたすかりを願い、主人は3月のまだ寒い中、水ごりをして十二て頂いている今、一分一秒、この瞬間生かされていることをしっかり喜ばせてもらいなさい」と聞かせてくれました。それは、いつでも教祖のひながたを心の頼りとして懸命に通ってきた親の言葉でした。

そして、来たる手術の日。教祖のお言葉を心に置き、10時間にも及ぶと予定されていた手術に臨みました。お腹の筋肉に付着していた腫瘍が、今まさに内臓を食いつぶしにかかろうとしている状態でしたが、お腹を切り開いたと同時に、その腫瘍が「ポーン」とゴムまりのように出てきたそうです。

そのため、10時間の予定が二時間半で手術を終えることが出来たのです。

この経験を通して、辛い人生のふしに出会った時、先を案じることなく、ひたすら親神様を信じ、心穏やかに神名を唱え、もたれ切ることが何より大切なのだと実感することができました。また、教祖のお言葉を聞かせて頂き、一つずつ素直に実行していくことの大切さも、この病気を通して心から感じさせて頂きました。

 


 

だけど有難い「忘れる力」

 

先日、テレビを見ていたら、長年、認知症の方の世話取りをしている人が、こんな話をしていました。あるとき認知症の方が、ベッドの上に身の回りの物を並べて捜し物をしていたので、「お手伝いしましょうか。何を捜しているのですか」と声を掛けたら、「それが分かったら苦労するか!」と答えが返ってきたそうです。

認知症とまでいかなくても、人は歳とともに物忘れをするようになります。私も、人の名前をよく忘れます。顔は分かっているのに名前が出てこないのです。大事なことをうっかり忘れることもあるので、メモを取るのを習慣にしています。寝るときも枕元に必ずメモ用紙を置いて、夜中に急に起きて書き込むこともあります。

妻も物忘れが多いので、メモを取るように勧めたことがあります。その後、メモを取るようになったのですが、それでも大事なことを忘れることがありました。「なぜ、メモを取らなかった?」と尋ねると、妻は「メモは取ったが、見るのを忘れた」と答えました。習慣になっていないと、メモだけ取ってもだめなのですね。

こんな話をすると、私が物忘れをすることに不足していると思われるかもしれません。実は、その反対に喜んでいるのです。もちろん、人に迷惑をかける場合は喜んでいられません。けれども私は、自分が実にくだらないことにとらわれたり、くよくよ悩んだりする人間だということをよく知っています。もし、忘れることがなかったら、失敗したことや、厳しく叱られたことをくよくよ悩んで、夜も眠れないでしょう。忘れるから、ゆっくりできるのです。こう考えると「忘れる」ということも、神様のご守護として喜ぶことができます。

記憶力というのがあるように、「忘れる力」があってよいのです。「最近、記憶力がなくなってきた」と言うのは当たっていないのです。「最近、忘れる力がますます向上してきた」と言うべきではないかと思います。歳とともに記憶力が低下するのは、ある意味では大変結構なことなのです。体はだんだん衰えていくのに記憶力が低下しなければ、イライラすることばかり増えて、しょうがありません。神様が、ちょうど良いようにしてくださっているのです。

これは勘違いということなのかもしれませんが、こんなことがありました。

私の父がいよいよ衰弱してきたときに、お医者さんが「いかがですか」と容体を尋ねました。これに対して、父は「私はこの歳まで生かしてもらい、子供も七人与えていただいた。孫も次々生まれ、誰一人欠けることなく通らせてもらっている。こんな結構なことはない。なんにも言うことはありません」と言ったのです。

お医者さんは容体を聞いたのです。しかし父は、信仰で答えたのです。そのおかげで、私たち家族は喜ばせてもらいました。人生の黄昏時を迎えたときに、何も言うことがない、結構だという父の気持ちを聞くことができました。もしあのとき、父が勘違いをしていなかったら、こんなうれしい話は聞けなかったと思います。ですから「勘違い」も「忘れること」も、ご守護だと思えるのです。

私たちは、一人でも多くの方をおぢばへ連れ帰らせていただこうと、声掛けをさせていただいています。私たちの先人・先輩方もそうであったように、声を掛けても、すんなり聞いてくれる人ばかりではありません。むしろ、迷惑に思う人もいます。

先人は厳しい迫害・弾圧のなかを通り抜けてこられました。いまでも、あまり褒められることはなく、暴言を吐かれることのほうが多いのです。そんなときに、この「忘れる力」を発揮したいと思います。私たちの先輩は、この力を大いに発揮しました。何事もなかったかのように、翌日また声を掛けに行ったのです。そして意外にも、行ってみれば、おぢばへ帰ってくださるということがあるのです。ですから、コロッと忘れて声掛けをすることが大事なのです。

つまらないことにこだわったり、とらわれたりするのではなく、「忘れる力」も大いに発揮して神様の御用をさせていただきましょう。

(終)

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