(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1264回

ルーツの旅

教会ゆかりの先人の墓を移転することに。立ち会った子孫の方は、初めて「ぢば」へ帰ることになった。

ルーツの旅

 岡山県在住  山﨑 石根

 

私共の教会は明治28年の設立で、来年で創立130周年を迎えます。教会の初代会長は、私から言えばひいひいおじいちゃんに当たり、私は五代目の教会長を務めています。

教会の草創期である明治時代、移転を余儀なくされた大変な時期に、とてもお世話になった片岡家というお家がありました。その後、片岡家の皆さんは初代会長たちと共に熱心に信仰されたそうですが、昭和に入り男のお子さんを戦争や病気で相次いで亡くしたこともあり、お子さんは娘さん一人だけになりました。

その娘さんもお嫁に行くことになり、ご両親が亡くなると片岡の名前は途絶えることになりました。しかし、嫁ぎ先の理解もあり、片岡家のお墓やご先祖様の供養については、娘さんがずっと気にかけ、長い年月、見守ってくださっていたのです。

さて、その娘さんにも美保さんという女のお子さんしかおらず、美保さんもまたお嫁に出たのですが、美保さんの母親である片岡家の娘さんも93歳になっていました。

ご主人も亡くなり、施設に入っていましたが、コロナ禍でしっかりした面会が叶わず、昨年の5月にコロナが5類になったことで、ようやく美保さんとゆっくり話すことができたようです。

その時、お母さんは美保さんに次のようなお願いをしました。

「自分が亡くなった後、実家の片岡家のお墓を誰かに面倒見てもらう訳にもいかないから、どこかに永代供養できないか、天理教の教会に相談して欲しい」

これを受けて当教会に相談があったのですが、美保さんはご自分で調べて、奈良県天理市の天理教教会本部の納骨堂に、お墓を移転したいと申し出たのです。いわゆる「墓じまい」です。

亡くなってすぐの納骨ではなく、いったんあるお墓を倒して、墓石を撤去し、他の場所にご遺骨をうつして永代供養とするのは、思った以上に手間のかかることでした。改葬許可証、改葬受入承認書、除籍謄本などなど、色んなものを手配するために、市役所の手続きが必要になりました。

美保さんのお住まいは県外にあり、母親のお世話をするためにしばしば岡山に通っている状況で、あちこち移動を繰り返しながら母親の願いに応えようとする彼女の姿は、親孝行の鑑のようで、私は胸を打たれました。

さて、季節は秋に入り9月、いよいよお墓を倒すその前日に、美保さんから「コロナに感染したので行けなくなった」と電話があり、その日は急きょ、親戚の人に立ち会って頂きました。全部で七人の方のお墓を倒したのですが、その日を楽しみにしていた美保さんは、大変残念だったと思います。私は、引き上げたご遺骨を骨壺に納め、またそれぞれを故人の名前を記した木箱に納めました。

数日後、美保さんから「納骨の前に、一度教会で参拝をしたい」という申し出がありました。折しも教会の秋の霊祭の時期でしたので、そのご案内をさせて頂きました。

秋季霊祭当日は、当教会の祖霊殿の神饌物の前に、7人のご遺骨を並べ、みんなで最後のお別れができるように配慮しました。式を終えた後、美保さんから「墓じまいに立ち会えなかったので、もう一度祖霊様の前に行って、骨壺を開けて拝んでもいいですか?」とお願いされました。

そこで私も一緒に祖霊殿に参進し、一つひとつ骨壺を開けてご覧頂くと、彼女はそれを胸に抱きしめながら、「おじいちゃん、美保ですよ」と涙を流して語りかけました。

この時初めて聞いたのですが、美保さんは両親が共働きで忙しく、母方の祖父母に育てられたそうなのです。

美保さんはさらに、「思いがけず60年ぶりに思い出したんですが、ちっちゃい頃、おじいちゃんに連れられて、よく天理教の教会に参拝に行っていました。今日拝見したおつとめの踊りや歌を、ものすごく懐かしく思い出しました」と。

信仰熱心だったおじいちゃん、おばあちゃんやご先祖様が、彼女をこの教会に導いたんだなあと、思わずにはおれませんでした。

10月4日、いよいよ教会本部の納骨堂にお骨を納めるその日、彼女と一緒に教会本部を参拝し、神殿を案内しました。

人間創造の元の場所である聖地「ぢば」を参拝し、存命の教祖「おやさま」のお住まいである教祖殿に進みました。そこでおやさまの教えや道すがらについてお話ししていると、彼女は涙が止まらなくなり、「山﨑さん、もうそれ以上しゃべらないでください」とまで言われてしまいました。

私はおじいちゃん、おばあちゃんの導きだけでなく、おやさまがお待ちくださっていたんだなあと、目頭が熱くなりました。どんなにか、片岡家のご先祖様はお喜びのことでしょう。

かくして、すべての人間の魂のふるさと「ぢば」に初めて帰り、ご先祖様のご遺骨を納め、さらに尊い神様のお話を聞いた彼女の旅は、本人にとって特別なものになっただけでなく、私にとっても忘れられない一日となりました。

今回のことをきっかけに、図らずも彼女は母方の家のルーツを知ることになり、さらには人間のルーツを知ることにもなりました。

岡山に戻り、美保さんが母親にこの日の出来事を話し、更地になった元の墓地や納骨堂、納骨式の様子などを撮影した写真を見せると、「ありがとう、ありがとう」と何度も言葉にしながら喜んでくださったそうです。

それからおよそ二週間後、美保さんの母親は、静かに息を引き取りました。

天理教の教会では、朝夕に祖霊殿へ参拝し、人だすけに歩まれた先人のご苦労を偲び、遺徳をたたえ、お礼を申し上げています。今日もまた、片岡家の祖霊様はじめ、教会にゆかりのある方々にお礼を申し上げたいと思います。

 


 

心の入れ替え

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、私たちに陽気ぐらしへ向けて心の入れ替えをうながされるべく、筆に記してお教えくだされています。

 

  いまゝでハせかいぢううハ一れつに
  めゑ/\しやんをしてわいれども   十二 89

  なさけないとのよにしやんしたとても
  人をたすける心ないので       十二 90

  これからハ月日たのみや一れつわ
  心しいかりいれかゑてくれ      十二 91

  この心どふゆう事であるならば
  せかいたすける一ちよばかりを    十二 92

 

この直筆による「おふでさき」四首で、教祖は私たちが定めるべき心、いわゆる神様が望まれる「〇」の心と、反対に捨てるべき心、神様の思いに沿わない「×」の心をお示しくだされています。

まず、「いまゝではせかいぢううハ一れつに めゑ/\しやんをしてわいれども」続いて、「なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので」とあります。

世界中の人間は皆、銘々に思案をしてはいるけれども、どんなに思案をしても人をたすける心がない。自分中心の思案ばかりであり、何とも情けないと嘆いておられます。つまり、銘々思案は×の心であり、人をたすける心が〇です。

そして続くお歌で、「これからハ月日たのみや一れつわ 心しいかりいれかえてくれ」「この心どふゆう事であるならば せかいたすける一ちよばかりを」と、月日親神の頼みであるとまで仰せになって、具体的にどのような心に入れ替えて欲しいかを示されています。それは、「世界たすける一ちよ」の心。世界中の人々をたすけるんだという、一筋のまっすぐな心です。

この何の混じり気もない、たすける一点張りの心こそ、まさに神様が望まれる「〇」の心だと言えるでしょう。

(終)

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