(天理教の時間)
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第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1231回

食べ物を育てるということ

食物を育てるには、土を耕し、種をまき、肥料をやりと、長い時間がかかる。これは信仰の世界にも通じることだ。

突然のがん宣告

 

会社員として働く五十代の男性Aさん。仕事も順調、家庭にも恵まれ順風満帆の人生かと思いきや、突然のがん宣告を受けました。病気にかかると、いやでも、なぜ自分はこんなに苦しまなければならないのかと考えるようになります。Aさんの問題の核心は、世間では、いい加減で欲の皮のつっぱった連中が健康に暮らしているのに、酒も飲まず道楽もせず、真面目に働いている自分が苦しむのはおかしいじゃないか、というものです。

闘病生活が一年を過ぎようとした頃、Aさんは友人の勧めで天理教の教えにふれます。「人をたすけて我が身たすかる」「病の元は心から」など、初めて聞く話は新鮮で、Aさんは人生観が変わるほどの衝撃を受けました。そして、自分の今までの生き方や考え方、周囲の人々との関係を振り返り、こんな考えに及びます。

一般に、真面目なのは善いことであり、それは報いられるべきであると思われているが、果たしてそうか。真面目な人間は、いちいち口には出さないが、周囲の不真面目な人間に対して不快感を持ち、彼らを責める傾向が強い。これでは人をたすけるどころか、楽しくさせることもできない。

対して、自分はいい加減だと思っている人間は、少なくとも人を責めることはしない。その資格はないと分かっているからだ。結果的に、不真面目な人間のほうが、人を楽しませることが多いのではないか。人を喜ばせてこそ、神様もお喜びくださる。すなわち、真面目イコール善、不真面目イコール悪、という単純なものではないのだ。自分は真面目で善であると思っていたのは、まったくもって一人よがりであった―。

こうして、人を公平に評価できるようになると、病気に対する考え方にも変化が生じます。Aさんは、身体の中に居座り続けるがん細胞に対し、こんな風に語りかけるようになりました。

「がん細胞さん、君が強いことは本当によく分かった。僕は今まで君を絶対悪と見なし、徹底的に退治しようと努力してきた。しかし、それは無理なことがよく分かった。そこで相談だが、この辺でお互いが平和に共存するための道を探ってみようじゃないか。今日限り、僕は君を退治しようなどとは考えないことにした。君のことで気を煩わせるより、神様の思いに添うように心遣いを正して、みんなと楽しく暮らす道を歩みたいんだ。本音を言えば、君には僕の身体から一刻も早く出て行ってもらいたいが、よろしい、自由にいてもらって結構だ。しかし、これ以上君が好き放題暴れると、僕は死んでしまう。僕が死ねば君も死ぬわけだが、それでは共倒れじゃないか。その辺をよく考えてくれよ」

それからも苦しい治療の日々は続きましたが、Aさんの心はいつも晴れ晴れ、家族や周囲の人々にも優しくなり、生かされている感謝の思いを胸に、日々過ごすようになりました。神様の真実の教えにふれ、心の向きを切り替えることができたのです。

 


 

食べ物を育てるということ

 和歌山県在住  岡 定紀

 

前回、前々回は、「食べ物を通して感じること」と題して、食べられるのに捨ててしまう食品ロスの問題や、教会で食べ物をお供えし、そのお下がりを頂く時の心の持ち方についてお話ししました。今回は、食物を育てることについて考えてみたいと思います。

五年前から始めた教会での「こども食堂」。当初は老若男女問わず皆で会食し、賑わいを見せていたのですが、コロナ感染が拡大してから状況が一変。皆で賑やかに食べることができなくなりました。代わりに、食品ロスの問題に取り組み、生活が苦しい家庭に食料を支援する活動を始めました。

農作物を育てるには、土を耕し、種まきから始め、やがて芽を出し、すくすくと育って実るまでの長い時間が必要です。その間、干ばつが起きたり、虫がついたりすると、せっかく育てた食物も、口にすることはできなくなります。

こども食堂でも、近くに畑があるような地域では、農作業体験を取り入れているところも多々あります。子どもたちに、食物を口にすることができるまでに、どれだけの手間暇が必要かということを体験してもらうのです。

しかし、町中にある多くのこども食堂には、歩いて行ける距離に田んぼや畑はありません。そのような地域に住む子どもたちは、食べ物はスーパーで買うのが当たり前なわけですが、そんな環境だからこそ、食物を育てるという体験を積極的に取り入れていくことが大切だと思っています。幸い、こども食堂をやっていると、農家の方から声を掛けていただき、子どもたちに農作業の体験をさせてくれることが多いのです。

今まで玉ねぎの苗を植えたり、芋堀りをしたり、また水田に入り一束ずつ手で苗を植える体験もさせてもらいました。ズボンの裾をまくしあげて水田に入り、一列に等間隔で並び、号令をかけながら植えていくのです。

田植えが終わると、足についた泥をホースの水で落とすのですが、こういった体験を一人でも多くの子どもにさせてやりたいと思うのです。もちろん収穫までにはもっと長い期間にわたる手入れが必要で、そこまで体験するのは難しいことですが、少しでも毎日食べるご飯への感謝の気持ちを持ってもらいたいと思います。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、神様への信仰を、度々、農作物を育てることにたとえて教えられました。つまり、ご利益はすぐに表れるものではなく、農作物を育てるように、土を耕し、種を蒔き、水をやり、肥料をやりと、長い時間が必要だということです。

一方、すでにあふれているご守護に気づくことが大切であるとも教えられました。手足が自由に動くのも、目が見え、耳が聞こえ、口を使って話すことができるのも、神様のお働きがあってこそだとお聞かせいただきます。

この身体に、神様のご守護があふれていることに感謝して、人に喜んでもらえるよう、そしてたすかってもらえるように使わせて頂く。教祖は50年の長きにわたってそれを実践されました。この教祖の通り方を少しでも真似をさせて頂いて、人様に結構になっていただくのが天理教の信仰です。

体中に満ち溢れている神様のお働きに気づき、感謝し、その勿体ないほどの幸せをこぼさずに、人様に喜んでもらうように使わせていただく。その幸せの種まきを、周りの人々にもお勧めし、共々に結構になっていくのが、信仰者としての一番の喜びなのです。

(終)

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