第1223回2023年3月25日・26日放送
母のふんばり
出産間際の初産婦が、両手に入院の荷物を抱えて一人で来院。何か家族に事情があると直感した。
母のふんばり
助産師 目黒 和加子
底冷えのする二月の夕方、産科医院の玄関前にタクシーが止まりました。降りてきたのは初産婦の山口さん。両手に入院のための荷物を抱えています。
「山口さん、こんにちは。助産師の目黒です。あれっ、一人で来たの?ご家族は?」と尋ねると、「あの~、私、家族がいないんで…」下を向き、冴えない表情。何か事情があると直感しました。
陣痛は10分おきに来ていますが子宮口は硬く、5ミリしか開いていません。しかし、先ほどの一言が妙に引っかかったので、入院してもらい様子を診ることにしました。
山口さんは35才、隣町にある総合病院のナースです。外来スタッフが、「外科病棟の主任をしていて、とてもしっかりした方です」と教えてくれました。夕食の後、食器を下げようと陣痛室に行くと、テーブルに安産のお守りが置いてありました。
「母が送ってくれたお守りです」
「山口さん、ご実家はどちらですか」
「大阪の堺です」
「いや~、私も大阪出身なんよ」
「そうなんですね。なんかうれしいわぁ」
山口さんの表情がほぐれてきたので思い切って、
「さっき家族がいないって言うてたけど、ご主人さんは?」と切り出すと、「一か月前に離婚しました」と切ない声。
「そうか…出産前に離婚するんやから、よっぽどのことがあったんやね。立ち入ったことを聞いてごめんなさい。実家のお母さんは来れないの?」
「心配をかけるので、母には離婚したこと言ってないんです。もともと結婚に反対してたし…。目黒さん、夜勤でお忙しいのに申し訳ないんですが、話を聞いてもらえませんか。気持ちの整理をしてお産に臨みたいんです」
すがるような眼で私を見つめます。
「実はね、今夜の入院患者さんは山口さんだけなんよ。貸し切りやから、じっくり聞かせてもらうね」
胎児心拍モニターをつけながら、離婚に至ったいきさつを聞かせてもらいました。
「私、結婚して三年目にやっと妊娠したんです。けど、妊娠が分かってから彼の様子が変わってきて。なんか変やなあと思いながら半年が過ぎて、人に頼んで調べてもらったら、結婚当初から女の人がいたみたいで…、その浮気相手の写真を見て愕然としました。私の友達のA子やったんです」
「えっー、友達!」
「それで問い詰めたら、『離婚を切り出そうと思っていたら妊娠したんで言い出せなかった』って。おまけに彼は、A子が始めた美容室の保証人にまでなってました。その後、A子が病気になってお店は廃業して、多額の負債を抱えてしまい、マイホームのために主人名義で貯めていた定期預金が、知らないうちに解約されてたんです」
山口さんは唇を噛み、眉間にしわを寄せ阿修羅の顔になっています。
「そんな…ひどい!」私も腹が立ってきました。
「赤ちゃんと私はどうなるの?もう妊娠八ヶ月やで。二か月後には産まれるねんで!って詰め寄ったら、『お前は看護師免許があるから食べるのに困らないだろう。A子は病気で働けないから力になってあげたい』って…」
山口さんの目から、悲しみと怒りの涙が流れています。
「山口さん、お腹に赤ちゃんを抱えながら今日まで耐えてきたんやね。すっごく気持ち分かるけど、緊急帝王切開になったり、赤ちゃんの状態によっては新生児集中治療室に搬送することもあるんよ。そういう場合、ご家族に付き添ってもらわないといけないの。今から大阪のお母さんに来てもらうのは難しいよね。元ご主人さんに、陣痛が来て入院したので、いざという時は来てもらいたいと、私から伝えてもいいかな」
「はい、私もナースなので目黒さんの仰っていること、よくわかります。ややこしいことで申し訳ありません。よろしくお願いします」
すぐにナースステーションから、元ご主人に電話をすると、「はあ、そうですか」と素っ気ない返事。
「夫婦の事情はどうあれ、我が子が産まれるのに、この態度はなんやねん」
山口さんと産まれてくる赤ちゃんが可哀そうで、心がぐちゃぐちゃです。
「いやいや、感情的になったらあかん。無事にお産を終了させるのが私の役割や」。心をクールに切り替えました。
真夜中2時、陣痛は三分間隔、子宮口は8センチ。フーフー呼吸で頑張る山口さん。私は付きっきりで腰をさすり、水を飲ませ、汗を拭き、励まし続けました。
夜明け前、元気な男の子が産まれました。
「赤ちゃんの顔見たら、嫌なこと全部吹っ飛びました」と、いい笑顔です。
赤ちゃんを胸に抱く山口さんに、「取り上げさせてもらったのも何かのご縁だと思うので」と前置きして、私自身のことを話しました。
「私の父は親戚が経営していた会社の営業部長をしてたんやけど、その会社が父が原因で倒産してね。その後、事業を始めたけど上手くいかなくて、借金を母に押し付けてキャバレーのホステスと蒸発したの。親戚の人たちは『あんたのお父さんは人でなし。人間のクズや』と私に何度も言ったけど、母は父のことを悪く言ったことがなくてね」
「どうしてですか?」
「高校生の時に理由をたずねてみたんよ。そうしたら、『もし、お母さんが親戚と同じように言うてたら、あんたはまともに育ってないよ。私にとってはとんでもない夫でも、あんたにとっては父親やもん。父親のことを母親がそんな風に言うたら、子どもの心はえぐられてしまう。子どもを感情のはけ口にしないと誓ったんや。我が子の幸せを真剣に考えて、お母さんなりにふんばったんやで』って言うてたわ」
しばしの沈黙の後、「出産直後にこのお話を聞かせてもらうのも不思議なご縁ですね。シングルマザーとして生きる覚悟を噛みしめています。私もこの子の幸せのために、ふんばる母を目指します。目黒さん、話してくれてありがとうございます。一筋の光が見えてきました」。
山口さんは、凛とした母の顔になっていました。
あの時産まれた赤ちゃんは、高校二年生になりました。人懐っこい笑顔の好青年に育っています。病気で苦しむ人の支えになりたいと、母親と同じ看護師を志し、国立の看護大学を目指して猛勉強しています。
山口さん、あなたの母としてのふんばりが、見えてくるようです。
おさしづ春秋『十五才までは』
十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通りや。(M21・8・30)
「べき」という言葉は、個々の主観を超えた理のあることを納得して下す判断であると、『広辞苑』にはある。
かつて、周囲の反対をおしきってまで結婚をしようとしている女子学生に、そうまでして結婚するんだから末永く幸せになりなさいよというと、彼女はわるびれる様子もなく、それだけは約束できません、今は好きだけど、いつか彼のことが嫌いになるかもしれないからといった。こればっかりは、ともいった。驚きというよりも気の陰る思いがした。
好き嫌い、ということに価値の比重がずっしりとかかっていて、「こうあるべき」の「べき」を貴ぶような、それこそ個々の主観を超えた理が、はげしく欠落しているように思えてならない。このことは、何事も自分の心に正直に生きることが大切だ、と耳ざわりのいい風潮を流す大人たちにも重なる。
極端なことを言ってはいけないが、御教えからすれば、子供たちは十五才を過ぎると、容赦なく、自分の心通りに現れてくる世界に暮らさねばならなくなる。心通りの世界で、心通りのご守護をいただくためには、少なくとも、その「心」について学ぶ必要がある。あるいは、それまでに学んでおく必要がある。と、いうことになる。
学生たちと接していると、いかに自分が学生であったときの心境を忘れているかに気づく。あの不安定であやうい心持ちの日々を思い返して、確かな拠り所について話したい。
(終)