(天理教の時間)
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第1276回2024年4月5日配信

人生最大のラッキー

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1200回

がんばってます!1年生

娘の小学校までの道のりは片道3キロ、およそ47分かかる。朝、不機嫌な娘を送り出すだけでぐったりの毎日だ。

がんばってます!一年生

 奈良県在住  坂口 優子

 

この春、一番下の娘が小学校へ上がりました。ランドセルに夢をいっぱい詰めて、「おばあちゃん!いってきまーす!!」と明るい声を廊下に響かせています。奥にいたおばあちゃんが、「いってらっしゃーい」と慌てて見送りに出てくれました。

心待ちだった初登校。うちから学校まではおよそ3キロ、子どもの足で47分もかかります。ちゃんと歩けるか、家族はみんな心配です。私も近所の集合場所までのつもりが、その少し先の信号まで付き添うことにしました。

信号のそばでは、別の班の1年生の子が「もう歩けへん」と泣いています。お母さんに付き添われていたその子は、そこでリタイアしてしまいました。そんな姿を横目に、「いってらっしゃい」と見送る私に娘は不安げに小さく手を振ります。「いつまでも甘えん坊では困る」と思ってはいるものの、やはり心配になってしまうのです。

娘にばれないように、こっそり後をつけました。何とか無事に学校にたどり着いた時は嬉しくて、電柱に隠れて背中にそっと拍手を送りました。けれど、大人の私でさえげんなりするほどの距離です。「明日から大丈夫かな?」と心配はつきません。

加えて、その日の様子では、朝が早いからか、それともコロナ禍だからか、会話が一切ありません。あんなに夢見た初登校が、楽しそうには見えませんでした。

予想通り、次の日から大変な毎日が始まりました。朝、娘を起こすと「学校やめたい」と言い出すのです。現在時刻は午前6時、家を出るのは710分。いま私に重要なのは、娘の気持ちよりもどんどん過ぎてゆく時間です。「学校やめるのは無理やし、今日も絶対行かなあかん。このままやとみんなに置いてかれるで」と、気持ちは焦るばかり。

すると、「それは嫌や!」と泣きじゃくる娘。
「ほなさっさと用意しいよ」「無理!」

刻々と迫る集合時間と娘の泣き声に、私のイライラは爆発寸前です。そんな私たちの様子を見かねて、「きいちゃん、おはよう」とおじいちゃんが優しく声を掛けてくれるのですが、「あっち行って!」と憎まれ口。「きいちゃん、朝ご飯これ食べるか?」とフォローしてくれるおばあちゃんにも、「いらんって言うてるやん!」と当たり散らします。

「もういい加減にしなさい!」とどのつまりは私が爆発するのですが、朝の戦いはこれだけでは終わりません。何とか集合場所へ間に合っても、私の手を離そうとしないのです。

「みんなと並んで行かな」と、娘の手を力ずくで振り払うのですが、娘も負けじと私の手をつかんで、「ぎゅうしてよ~」と泣いてせがんできます。

「みんなを待たせたらあかん。ぎゅうするから行くねんで。遠くて大変なんは分かるけど、約束な」と言って、泣き顔でうなずく娘を力いっぱい抱きしめます。そして、「みんなごめんね」と同級生たちに頭を下げ、娘の寂しそうな後ろ姿を見送るのです。

見送った後は、まだ朝の7時半だというのにぐったり。こんな毎日が続きました。慣れない新生活の中、娘が頑張っていることは分かっていても、上の子たちの時にはこんな経験がなかったので、私も参ってしまいました。

もちろん娘はそんなことは知らず、帰宅してからもご機嫌斜めは続きます。目に余る態度に怒りが治まらず、そのたびに衝突し、つい余計なことまで言い過ぎてしまう毎日。私には子育ては向いていないのでは?と、自分が嫌になるのでした。

そんな私のイライラのせいでたくさん泣いた日でも、娘は必ず、夜一緒に入った布団の中で、「おやがみさま、おやさま、今日も一日ありがとうございました。ママ、ごめんなさい。きいはママが大好き」と言って、私を責めることもなく抱きしめてくれるのです。

その言葉に救われ、私も自分を反省します。「ママもごめんね。きいちゃん、今日もありがとう」と謝り、「親神様、教祖、今日も本当にありがとうございました」と、こんな私でもこの子の親として通らせて頂けたことを、神様に感謝申し上げるのです。

そんな中、学校で初めて宿題が出ました。鉛筆に慣れるために、簡単な図形を点線に沿ってなぞる宿題なのですが、思うようにいかず線からはみ出してしまいます。「少しぐらい仕方ないよ」と声を掛けると、「先生がはみ出したらあかんって言うたからあかんねん。ママは知らんやん」と涙をためながら、せっかく書いたものを力いっぱい消すのです。

「そんな消し方したら破れるよ。先生が言うてはるんは、丁寧にしなさいってことやから大丈夫やで」と言っても聞きません。「あかんって言うたらあかんねん。怒られるのはきいやねんから」

気持ちが抑えられなくなった娘は、鉛筆を力いっぱい握りしめて乱れ書きをし、プリントをぐしゃぐしゃにしてしまいました。そして部屋を飛び出し、隣りの部屋に駆け込んでバタンとドアを閉めました。

壁越しに泣きわめく声が聞こえてきます。「どないしたん?」びっくりして駆けつけたおばあちゃんの声が廊下に響いています。

私は泣きじゃくる娘の声を聞きながら、「そうや。私が見ている娘の頑張りは、一日のうちのほんの一部だけ。娘は学校にいる間もずっと頑張ってて、今は唯一私が手を貸して力を抜いてあげられる時間なんや」と、自分の寄り添い方が間違っていたことに気づきました。

気を取り直し、担任の先生に電話をしてアドバイスをいただき、娘に寄り添う気持ちで「上手!上手!」と褒めながら進めると、安心した様子で、涙を拭きながら丁寧に宿題を仕上げてくれました。

私はこれをきっかけに、自分の子育てを見直そうと、以前受けていた天理教里親連盟の「イライラしない子育て講座」を再び受講することにしました。

私の課題は、心を静めて冷静に子どもと向き合うこと。そのためには、飛行機が着陸するイメージで、ゆっくり子どもの目線まで高度を下げて、子どもの話に丁寧に耳を傾けることが大切だと教えていただきました。

なかなか自分自身を変えるのは難しいものですが、教わった方法を実践しながら、知っているのと知らないのとでは全く違うなあと実感する毎日。おかげで、私も「子育て一年生」になったつもりで、娘と向き合うことができるようになりました。

そしてついに、この原稿を書いている630日の朝、「今日はこの部屋から一人で行きますので、ママは来ないでくださいね。いってきまーす!」と、飛び切りの笑顔で〝一人で登校します宣言〟。そして、「おばあちゃんいってきまーす!」と大きな声で廊下を駆け抜け、「いってらっしゃい」と、奥から出てきたおばあちゃんが間に合わないほどの勢いで、元気よく学校へ向かったのでした。

 


 

おさしづ春秋『天の綱』

 

神が手を引いて連れて通る。天の綱を持って行くも同じ事。(M33・2・11)

 

信仰を伝えるということは、何がどのように伝わることだろうかと、ふと、立ち止まると、かつて熱心な青年が話してくれたことを思い出した。

彼は小さいときからお母さんと二人暮らしで、仕事をもつお母さんは、彼を保育所にあずけるまえに必ず教会に参拝していたという。

「僕は、小さいころ母に連れられて教会へ行くのが大好きでした。お小遣いが貰えるからです。小さな両手にいっぱいの硬貨を貰うんです。そして、母の言うとおりそれを参拝場の前のほうの賽銭箱まで一人で行って、ジャラジャラって入れるんです。何度も何度も教会へ行く度にそれをくりかえしました。母はそのための硬貨をいつも用意していたようです。……これさえ身につければ、この子の将来は何の心配もありません。と母がよく人に言っていました」
と、屈託のない笑顔で話してくれた。

お母さんにすれば、おそらく「この子の将来」を見とどけることはできないだろうと思うから、尚のことであったろう。

のちに青年は、布教所を開設し、仕事も順調に、家庭にも恵まれて、家族ぐるみで教会の御用を大切にしている。

天から降ろされたひとすじの綱をたぐりよせて、「何があっても、放すんじゃないよ」と、小さな手に綱を握らせてあげるお母さんの切実な思い。伝わったのは、その切実な思いだったのかもしれない。

(終)

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