第1181回
撤せんは、ぼくに任せて(『日々陽気ぐらし』より)
じいちゃんが足を骨折した。教会のお供え物の「撤せん」をする人がいなくなり、ぼくに白羽の矢が立った。
撤せんは、ぼくに任せて(『日日陽気ぐらし』より)
齋藤 樹
一年前、大事件が起きた。気持ちのいい風がふく晴れた日、じいちゃんが教会の庭にはえている木の葉っぱをかり取ろうとして、はしごから落ちて足を骨折した。じいちゃんは立ち上がれなくなり、そのままばあちゃんに車で病院へ連れていってもらった。検査の結果、しばらく入院することになった。
じいちゃんは、ちょっと難しい部分を骨折してしまったので、すぐには退院できないことが段々と分かってきた。落ちたしょうげきで割れてしまった足の骨を固定する手術も受けなければならなかった。じいちゃんは小児まひで右足が不自由だった。折れたのは、なんと反対の元気な左足のほうだった。
「もしかしたら、このまま歩けなくなって車いす生活になるかもな」とお父さんが言ったので、ぼくはびっくりして、「それはやばい!」と感じた。いつも外で仕事をしているじいちゃんにとって、冬じたくのまき割りがうばわれてしまうのは、生きがいの消滅だからだ。
じいちゃんは体が細くて病弱だけど、いつもまきを割って小屋に運んでいるので、妹は最初、じいちゃんは木こりの仕事だとカンちがいしていた。
入院中、お父さんとお母さんと、ぼくと妹と弟の五人で何回もお見まいに行った。毎日だれかが、じいちゃんの足がよくなることを願って「おさづけ」をしに来てくれるので、「足はあんまりいたくない」とじいちゃんは言っていた。でも、折れた足は真っ黒になっていた。
お父さんたちは、教会の毎日のお供え物を片付ける「撤せん」をだれがするのか話し合っていた。お父さんもお母さんも仕事をしていて、二人ともけっこういそがしい。
「樹、学校が終わったら家に帰らないで、そのまま教会へ行ってお手伝いできないか?」ときかれた。教会のばあちゃんは、午後にじいちゃんの病室へ行くので、ちょうど撤せんする大人がいない。だから、五年生だし、樹ならやれるとぼくが注目された。
「樹ががんばってくれれば、だいぶたすかるよ」とお母さんにも言われ、ぼくも段々やる気になってきた。放課後、学校から家とは逆方向に三キロも歩いて教会へ行き、お手伝いのひのきしんが始まった。
最初はお父さんといっしょに教会の撤せんをした。三方をおろして、どの順番で置くとか、お酒の入っているお神酒すずやお皿の洗い方などを教えてもらった。ばあちゃんがいるときは、二人でおろした。
ぼくはお神酒をお下がり用のビンに入れかえる作業が特に好きだった。いつもじいちゃんがお神酒のお下がりを飲んでいたけれど、入院でいなかったので、どんどん溜まっていった。
毎日ぼくが撤せんをしに教会へ行くようになってから、ばあちゃんは、必ずおかしをお供えしていた。そのお下がりが、ひのきしんの後のごほうびのおやつだった。「きょうは板チョコだ!」とお皿をみつめて、早く食べたいなと思いながらおろした。そして、お父さんが来るまでに宿題をやったり、外で遊んだりして待っていた。
時々、教会の近くに住んでいる同じクラスの友達のけいと君が遊びに来て、早く遊びたいから手伝ってもらって、二人で皿洗いをした。そういうとき、ばあちゃんは友達にお下がりの野菜をもたせて帰らせたりした。あと、光洋(こうよう)君も何回か手伝ってくれた。
夏休みに入り、ぼくと二年生の妹は「こどもおぢばがえり」に参加した。「じいちゃんの足がちゃんと治るように神様にお願いしてきなさい」とお母さんに言われた。ばあちゃんが、ぼくと妹におこづかいをくれた。「おぢばへ行って神様のこと、何を学んだか、帰ってきたら、ばあちゃんに話して聞かせてね、それがおみやげ」と言われた。約束通り、おぢばの神殿で、神様に「じいちゃんが歩けるようになりますように」とお願いした。
すると、じいちゃんの退院が八月に決まった。約二か月して、やっとじいちゃんは教会にもどってきた。退院の日も、ぼくはばあちゃんと病院へ行き、じいちゃんの荷物を車まで運ぶお手伝いをした。じいちゃんはまだまだ完治ではなかったので、車いすで移動し、つえがなければ歩けなかった。
神殿の上段は段差があって、じいちゃんはのぼれないので、夏休み中も、二学期になっても、ぼくの撤せんのひのきしんは続いた。時々お母さんが仕事の途中に教会に来て、いっしょに撤せんをした。妹や弟が手伝うときもあった。
じいちゃんがけがをしてから変わったことが、もう一つある。教会の月次祭に毎月ぼくも出るようになったことだ。土日以外でも、学校を休んで月次祭のおつとめの鳴物に出て、後片づけまでお父さんといっしょに、ひのきしんをした。途中から妹も出るようになった。
だけど二人して毎回学校を休むと、一年間だと休みすぎになるので、朝、学校へ行き、途中で早退して、おつとめに出ることに決まった。月次祭のお手伝いをすれば、じいちゃんとばあちゃんも、きっと喜ぶだろうと思った。
大事件から一年たった。いつの間にか、じいちゃんは車いすに乗らなくなっていた。車いすは最近、撤せんしたお下がりを乗せて、おして運ぶカートがわりになっている。いつも車を運転して出掛けているし、外でまき割りもしている。たまにつえは必要だけれど、教会のあちこちに置いたまま、つえはよく忘れられている。
じいちゃんはいま、元気に歩いている。