(ラジオ天理教の時間)
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第1180回2022年5月28日・29日放送

安心感は足元にある

宇田まゆみ
宇田 まゆみ

文:宇田 まゆみ

第1156回

喜び詰まったランドセル

長男が学校でケンカをして、絆創膏だらけで帰宅。相手の子にケガはなく、お母さんと本人がお詫びに来てくれて…。

喜び詰まったランドセル

奈良県在住  坂口 優子

 

長男が小学六年生の頃のある日、夕方、学校から一本の電話が入りました。

「お母さんですか? 息子さんがお友達とケンカをしまして、ケガもしているので、これからご自宅へ送らせてもらいます」

ケンカ? ケガをしている? その言葉だけで、私の頭は真っ白になりました。

天理教では、15歳までは親の心通りの守護と聞かせて頂きます。急いで神殿に走り、神様に、自分の反省すべきことを思いつくだけお詫び申し上げ、どうか相手のお子さんにケガをさせていませんようにと、必死にお願いしました。

待っている時間が長く感じられ、落ち着かずに神殿の中を行ったり来たり。10分後、「ごめんください」と声がして、慌てて玄関を開けました。顔を絆創膏だらけにした長男は、私の姿を見るなり黙ったままポロポロと泣き出し、その隣でいつも母親のように優しい担任の先生が、「お母さん、申し訳ございません」と、深々と頭を下げてくださいました。

ケンカの原因は、休み時間のドッジボールの最中に、ルールを破ったとか破っていないとか、ささいなことのようでした。口ゲンカがどんどんエスカレートして、最後は周りの友達が青ざめるほどのケンカになってしまい、二人を止められなくて困った友達が、職員室へ先生を呼びに走ってくれたのです。

「相手のお子さんのケガは大丈夫でしょうか?」と聞いたものの、息子の傷を見る限り、大丈夫な訳がないことは容易に想像がつきました。どれほどお詫びをしなければならないか…。

すると先生が、「相手の子はケガはありません」と。「やり返したみたいなんですけど、全部空振りで済んだんです」。ああ、神様が守ってくださったんだ…そう思うと涙が止まりませんでした。

先生が帰られた後、絆創膏だらけの息子の顔を家族みんなが笑います。大概のことでは深刻にならずに笑い飛ばしてしまうのが、我が家流の優しさの表現なのです。

「絆創膏だらけやん」妹が笑います。
「アホやなあ。しょうもないことでケンカするからや」弟が笑います。
「えらい男前な顔して」主人が笑います。
「あんたのが空振りやったんは、お父さんとお母さんの信仰のおかげやねんからな。覚えとかなあかんで」と、おばあちゃんも笑いながらお説教。
「もうええからこっち来てご飯食べ」と、おじいちゃんが優しく声を掛け、いつもの食卓が始まりました。

そこへ一本の電話が入りました。ケンカをした友達が、お母さんと訪ねてくるということで、また大慌て。息子がこんなにケガをするのだから、きっと体格のいい子だろう、などと想像しながら、ドキドキが止まりません。

やがて「こんばんは」と声がし、玄関を開けると、そこには予想に反して、息子と同じような小柄な男の子が、お母さんの隣でうつむいていました。玄関を上がってもらい、息子と一緒にお話を聞きました。

まずお母さんが丁寧に頭を下げてくださり、続いてお母さんに促され、息子さんが謝ってくれました。「ごめんなさい」と言ったきり、顔を上げられずにいます。人にケガをさせるような子にはどうしても見えません。

するとお母さんが、「この子がこうなったのは、私のせいなんです」と事情を話してくれました。聞けば、ご主人との離婚で引っ越すことになり、息子さんは最近転校してきたばかり。以前の学校では三年生から手提げかばんでの登校が許されていたので、すでにランドセルを処分してしまったのですが、この学校では卒業までランドセルの登校しか認められていないのです。

特別に許可をもらっているとは言え、自分だけがリュックで登校していることや、生活環境が大きく変化したことなど、様々なストレスが原因で頻繁にトラブルを起こすようになり、お母さんも毎日のように謝りに歩いているそうなのです。

「親の都合で、この子に我慢をさせてしまって…」
申し訳なさそうに話すお母さんと、うつむいたままの彼の姿が頭から離れず、何とか力になれないか考えました。

翌日は、ちょうど教会で開いている地域のお母さんたちとの育児交流会の日でした。さっそく先輩ママに相談すると、「うちに子どもが使ってたランドセルあるわよ!使ってくれるの?」と大喜び。「早いほうがいいでしょ」と、その日の夕方には、大切に使っていたことが分かるきれいなランドセルを届けてくれたのです。

ただ、私が直接渡すと余計なお節介になるかも知れないと思い、学校から渡して頂くよう担任の先生にお願いをしに行きました。先生は昨日の今日のことでびっくりされ、いきさつを聞きながら涙を浮かべて喜んでくださいましたが、「学校が相談を受けたわけではないので、こちらからは渡せません」とお断りを受けました。

それならと、私は一度教会に戻り、ランドセルの中に神様のお下がりのお菓子を目いっぱい詰めました。そして神殿に座り、「あの子が顔を上げて、みんなと一緒に楽しい毎日を過ごせますように」と神様にお願いし、お家を訪ねました。あいにくお母さんと男の子は留守でしたが、おばあちゃんがランドセルを預かってくれました。

次の日の夕方、帰宅した長男から、「今日、ランドセルで学校来てたで」と嬉しいニュースが入りました。

そしてその夜、お母さんから電話が。
「あの子のあんな嬉しそうな顔、久しぶりに見ました。本当にありがとうございました」

私は嬉しくなって、さっそくランドセルを譲ってくださったママにも報告。「ほんま良かったね。物を捨てられない私の困った性格も、お役に立つことがあるんやね。嬉しいわ」。一緒に笑い合って、喜びをかみしめました。

神様は、「人をたすけて我が身たすかる」と教えてくださいます。一つのランドセルをきっかけに、たくさんの人の心が、たくさんの喜びで満たされたのでした。

 


 

難儀不自由

 

神様は、私たち人間の成人を、日夜待ちわびておられます。朝夕に唱える「みかぐらうた」に、

  なんでもなんぎハさゝぬぞへ 
  たすけいちじよのこのところ(5下り目 7)

  ふじゆうなきやうにしてやらう
  かみのこゝろにもたれつけ(九下り目 2)

と示され、人をたすける心をもってひたすらに通れば、難儀不自由をすることはないのだと、私たちを励ましてくださいます。

しかし、成人の行き届かない私たちにとって、難儀不自由と感じてしまう経験はつきものです。暑くて難儀だ、寒いのはかなわん、から始まり、給料が少なくて生活が大変だ、病気になって身体が不自由だ、家族のなかがギクシャクしている、子育てがうまくいかない、などなど……。しかし、嘆いているばかりでは、その苦しい現状から脱することはできません。

ここで大切なのは、心の転換です。それぞれの問題も、ちょっと角度を変えてみれば、受け取り方は大いに違ってきます。

暑い寒いがあってこそ、豊かな自然や作物の実りを頂くことができる。給料は少ないかもしれないが、身体を存分に使って家族のために働かせてもらえる。子育ては難儀だが、この一日ごとの苦労が、わが子の未来を作っていくのだと思えば、親としてこれほど大きな喜びはない……。心の向きを少し変えるだけで、毎日が喜びずくめになっていくのです。

結局のところ、人間は、自分の都合だけを考えているうちは、難儀や不自由の波に押しつぶされていきます。けれども自らの欲望を離れ、人のために尽くす時、それまで難儀と思われていたものが、いつしか喜びへと変わっていく。それは取りも直さず、神様の望まれる「人をたすける心」へと、成人を遂げた姿なのです。

(完)

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