(天理教の時間)
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第1278回2024年4月19日配信

東京スカイツリーから、こんにちは ~母と子の絆は永遠です~

吉永先生
吉永 道子

文:吉永 道子

第1144回

オンライン

認知症を患い、病状が進行していく母。オンラインを使い、どうすれば親孝行できるか、きょうだいで話し合いを重ねた。

オンライン

京都府在住  辻 治美

 

実家の母が、三年前に認知症を発症した。兄家族と同居していたが、兄は海外へ単身赴任中で、兄の奥さんがお世話をしてくれていた。

普段、家族が学校や仕事に行っている間、一人で留守番をしていた母に、ある頃から異変が出始めた。財布や免許証をしまった場所が分からなくなったり、自分で着物をリサイクルに出したのに、「着物がない。泥棒が入ったに違いない」と言い出したりした。

一生懸命お世話をしてくれていた兄の奥さんが体調を崩し、入院しなければならなくなり、きょうだいで相談し、母は施設に入所することになった。きょうだいみんなで、何とか母がうちで過ごせるようにとアイデアを出し合ったが、一日中見守ることは難しく、一人でいると危険が伴うため、入所に至った。

施設に入った当初は足腰も元気で、認知症の進行もゆるやかだったので、会いに行くととても嬉しそうにして、母の好きなものを一緒に食べながら楽しくおしゃべりをして過ごした。

2020年1月、母の88歳の米寿のお祝いの会を開いた。母は施設から外出し、久しぶりに我が家で家族みんなと過ごした。まだ新型コロナのニュースが出始めた頃で、外出もできたし、マスクなしでおしゃべりもできた。それぞれがご馳走を持ち寄って、子供や孫たち大勢で母を囲み盛大にお祝いをした。

私の主人が母の88年の人生をビデオに編集し、上映した。母が私たちきょうだい四人の子育てをしていた頃の写真や、8年前に亡くなった父と仲良く映っている写真が流れると、懐かしさと感謝の気持ちが込み上げ、涙が出てきた。

最後は姉の手作りのケーキにろうそくを立て、みんなで「ハッピーバースデイ」の歌を歌った。母は火を吹き消し、幸せそうに笑顔を浮かべた。こんな日がいつまでも続いてほしいと願っていた。

しかしその数週間後、母は施設で転倒し骨折、肩にギプスをはめ、手を動かせなくなった。食事や着替えが自分でできなくなった途端、認知症が一気に進行し、足腰も弱り顔の表情も乏しくなっていった。顔だけは忘れてほしくないと、できるだけ顔を見せに行こうと思っていた矢先に緊急事態宣言が出された。施設の中に入ることができなくなり、玄関先での15分間の面会が許されるだけとなった。

洗濯物を一日おきに取りに行っている姉のことも徐々に忘れ始めていった。京都に住んでいて、奈良にいる母に会いに行けない私は、せめて写真だけでも見て欲しいと、家族のアルバムを作り届けてもらった。

しかし、母の病状は一気に進み歩行も困難になり、車椅子の生活となった。排泄も自力ではできなくなり、眠ることが多くなっていった。その頃、私は主人の母の介護をしており、実家に帰って母に会いたくても会えないまま時間だけが過ぎていった。

そして2021年2月、母の今後の治療について相談するために家族が集まった。一年前はみんなで米寿のお祝いをしたのに、たった一年で母も世の中もすっかり変わってしまっていた。

食欲が減り、食事に時間が掛かるようになってきた母に、胃にチューブを通して栄養をとる胃ろうを取り付けるかどうかを、医師と家族で相談した。南米コロンビアにいる兄にも、オンラインで参加してもらった。

コロナ以前は思いつきもしなかったが、いまやオンラインで世界中どこの人とも顔を見ながら会話ができるようになった。子供の頃、未来でテレビ電話が誕生し、顔を見ながら通話する時代が来ると言われていたが、あっという間にその時代がやって来て、一気に広がっている。

そのおかげで訪問医、施設の職員さん、我々きょうだい夫婦とコロンビアにいる兄で話し合いを持つことができた。コロンビアは真夜中だったが、兄は眠気と闘って話し合いに参加してくれた。

まずは、家族の代わりにお世話をしてくださっている施設の職員さん、訪問医、看護師さんへの感謝の気持ちをきょうだいみんなでお伝えした。その後、母の現状を聞き、胃ろうを取り付けるかどうかを話し合ったが、きょうだいで意見が割れて、その場では結論が出なかった。

後日、きょうだいのライングループを使って、胃ろうについての詳しい情報を交換し、昔の母の姿や考え方について語り合った。母がどうしてほしいのかを皆で考え続けていると、父が亡くなる前、母と延命について話していたことを思い出した。二人は揃って、「無理な延命はせず、神様のお働きのままに、自然に身体をお返ししたい」と、最後の迎え方について話していた。

結果、胃ろうを取り付ける手術を母は望んでいないだろうと、きょうだいで意見が一致した。そして、許されている15分間の面会で、病の平癒を願う「おさづけ」を取り次がせてもらおうということになった。その後しばらくして、不思議なことに母は食事がスムーズにできるようになり、胃ろうの必要がまったくなくなった。

その2カ月後の4月、再びオンラインを使い、母の日のお祝いのアイデアを出し合った。すると、普段は無口な弟が、壁掛け時計をそっと画面で見せてくれた。

 たくさんの写真が飾れる時計で、一人で部屋で過ごす母が、いつでも家族写真を見られるようにと、夫婦で用意してくれていたのだ。二人の優しさに感動していると、「音楽もあるといいね」という意見が出て、「それなら便利なプレーヤーがあるよ」と姉のご主人が教えてくれた。

「お母さん洋楽好きで、結構ハイカラやったね」「そうそう、あの歌手も好きやったで」と話していると、元気な頃の母の姿がよみがえり、温かで幸せな気持ちを共有することができた。

直接顔を見られない今、母に何もしてあげられない寂しさを感じるが、オンラインの画面越しでも、みんなで親孝行のアイデアを出し合えることが分かり、寂しさが和らいだ。

子供である私たちきょうだいが仲良くしている姿こそが、母への一番の贈り物のような気がする。これからも会えない時間が続くと思うが、便利なオンラインの力を借りながら、母に喜んでもらえたらと願っている。

 


 

栗の節句

 

九月九日は、古来「重陽の節句」とも言われています。中国では、奇数は縁起の良い「陽」の数とされていることから、最も大きな陽の数である九が重なるこの日を、節句の一つとしてきました。日本でもこの時期はちょうど田畑の収穫期を迎えることから、農村や庶民の間では「栗の節句」とも呼ばれ、栗ご飯などでお祝いをしたそうです。

 天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、時に自然や農事、また季節にちなんだ食べ物など、私たちの生活に身近な視点で教えを説いてくださいましたが、栗にたとえられたこのようなお言葉が残っています。

「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、苦がなくなるということである。栗はイガの剛(こわ)いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又、渋がある。その皮なり渋をとれば、まことに味のよい実が出て来るで。人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで」(教祖伝逸話篇77「栗の節句」)

栗の硬くてチクチクする鋭いイガは、動物や虫からおいしい実を守るためのものですが、イガを取り除けば厚くて硬い鬼皮があらわれ、さらにその下には薄い渋皮があるといった具合に、栗は何重にも自分をガードしています。

私たちの心も、時に鋭いイガによって頑なにガードをしている場合がありますね。それが、人とのコミュニケーションの妨げになるのです。

私たちは、一生の間に実に多くの人との出会いを経験しますが、中には性に合わない、どちらかと言えば苦手な人とも付き合わなければならないことがあります。その必要以上の苦手意識が鋭いイガとなって表れると、相手も警戒心を抱くことになり、これではお互いの距離を近づけることができません。

教祖は、教えを聞き、神様の思いに沿おうと努める中に、心のイガや渋味もとれ、まろやかな、味のある心になってくるのだと教えられます。

硬い心の殻を剥き、相手の心に近づくことができるよう、努めたいものですね。

(終)

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