(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1098回

イカルからのヒント

その美しい鳴き声は聞こえるが、姿を見たことがない〝イカル〟という小鳥。そこから想像は膨らんでいき…。

イカルからのヒント

奈良県在住・医師  友永 轟

天理市で暮らす私は、10年以上前から田んぼに囲まれて生活するようになりました。東西に山々が巡る奈良盆地、その東側にある三輪山の少し北寄りの見晴らしの良い所に私の家はあります。

周囲には古墳が多く、山並みに沿って古墳群が続いています。自宅の隣にも古墳が二つあり、その一方の丘にそそり立つ大きな樹木に小鳥たちがたくさん住んでいるようです。
鳥たちが出入りするのを直に見て確かめたことはありません。カラスも大きな声で鳴いて飛び回っていますが、ここに居住権はないようです。朝早く外に出ると、小鳥たちの様々なさえずりが聞こえてきて楽しい気分にさせてくれます。

春から夏の朝方に際立っていい声が聞こえることがあります。メロディーを感じさせる独特の鳴き声です。引っ越した当初から気になって、木の間を何回も探しましたが、いまだに姿を見たことはありません。

ところが、私が以前購入した野鳥の生態を収録したDVDで、運良くその鳴き声に出くわしました。黄色いクチバシを持ち、白いお腹をしていて、ウグイスより少し大きめの鳥でした。名前は「イカル」といいます。

そこで野鳥の本を開いて調べてみると、
「頑丈なクチバシと強力な顎の筋肉を使って、木の実の殻をかみ砕いて食べることができる」とあります。
しかし、そのような生態からは想像できないほど、本当にきれいな澄んだ音色で歌うように鳴きます。

鳥の名がイカルとついたのは、法隆寺などの古寺が建ち並ぶ「斑鳩の里」に多くいるからだそうです。写真でやっと姿を見ることが出来、半分満足しましたが、やはり本物の姿を直に見たいという思いは捨てられません。

法隆寺のある斑鳩の里は、奈良盆地を挟んで西側の山裾に位置します。私の家の真向かいやや北寄り方向で、生駒の手前にある矢田山の麓です。冬のきれいに晴れた朝には、斑鳩の町並みがかろうじてぼんやり見えます。その手前には郡山、川西、三宅、安堵などの町々があり、建物の陰になって視界が遮られます。

この方向にきっと法隆寺があるはずだと、グーグルマップで確かめると、おおよその見当がつきました。しかし、見えるはずが見えないというのはもどかしい限りです。そこで車で法隆寺に出かけてみました。

五重塔を中心に広い境内ですが、伽藍は南向きに並んでいて、天理のある東方面には視界が開けていません。境内に立って見渡しても天理の町は見えず、五重塔のてっぺんに登れば東の山並みに天理の建物群が見えるはずですが、それは叶いませんでした。

そんな試行錯誤を繰り返し、最近ようやく見つけました。国道24号線沿いの建物の間に、法隆寺の五重塔がかすかに望遠鏡で捉えられたのです。ただ10キロ以上も離れていて、蜃気楼を見ているような気分です。

見えないものを見たいと思うのは、人の性のようなものでしょう。直接見ないと納得がいかないというか、何か落ち着かない気分です。
金子みすゞの「みえぬけれどもあるんだよ、みえぬものでもあるんだよ」という詩をテレビでよく耳にしますが、果たしてそうなのでしょうか。

法隆寺は間違いなく霞の向こうにあり、イカルはきっと隣の林にいるに違いない。そう納得しながら、では、神様は見えないけれどあるのかな、どんなお姿かなと、ふと考えてしまいました。

見えないものの代表は空気でしょう。空気は見えないけれど実感することができます。
春風に桜が散るのをみて楽しむ。暑い日中に外出から帰って団扇であおいで涼む。秋風が顔を心地よく撫でていく。寒い冬にマラソンをして、喘ぎながらも必死に空気を飲み込んで頑張る。こうして見えない空気を肌に感じ、目に映し、吸い込んで味わうことができます。

神様はこの空気のようなもので、直接目にすることはできません。生きるうえでなくてはならないけれど目には見えず、その働きは私たちの五感でありがたく感じることができます。私はこれまでの人生でそう思って生きてきました。

神様のお言葉に、

 たん/\となに事にてもこのよふわ
 神のからだやしやんしてみよ (「おふでさき」三  40)

という一節があります。
この世界が「神の身体」とは、実に遠大で深淵な教えだと思います。そうであれば、宇宙の外に飛び出ないと神様の全貌を自分の目で見ることは出来ないことになります。
でも、どこにいても私たちは神様の恵みの中にいる。神様のお働きをいつも感じながら生きている。いわば、親の懐に抱かれて暮らしているのです。

この世が神様の身体なら、山も川も、花も鳥も、星も雲も、すべて神様の一部だということです。人間も自然の一部であり、同じ素材で出来ているのです。

屁理屈になってしまうかもしれませんが、原子という素材で宇宙はでき、地球は生まれ、人が暮らすようになりました。五重塔もイカルも同じ神様の身体の一部だと言えます。はっきり見えなくても、神様の身体の中で親しく暮らしている「仲間」だと分かると、嬉しくなってきました。

神様、ありがとうございます。でも、一度はお目に掛かりたいと願っています。

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