(天理教の時間)
次回の
更新予定

第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1233回

おばちゃんとお月様

「おばちゃん」と呼んで慕っていた教会の奥さん。今も月を見るたびに、あの優しい笑顔を思い出す。

心を澄ます

 

天理教では、「心の成人」ということがよく言われます。この場合の成人とは、宗教的に成熟するという意味で捉えられるでしょう。

心の成人について、教祖・中山みき様「おやさま」は、水にたとえて教えられています。未成熟な心の状態は、いわば濁り水のようなもので、心の成人を遂げていくためには、この水を澄ますことが必要だと仰せられます。

そのためには、どうすれば良いのでしょうか。教祖直筆による「おふでさき」には、次のように記されています。

 

  この水をはやくすまするもよふだて
  すいのとすなにかけてすませよ (三 10)

 

濁り水を、砂や水嚢でろ過してきれいにするようにと諭されています。

現在のように上水道が完備していなかった時代は、井戸水や湧き水を飲料水に用いていました。取り分け大和地方では、「金気水」といって、井戸を掘っても赤く濁った水が出てくる所が多かったといいます。濁り水は、砂や水嚢というろ過の道具によって澄ますことで、飲み水として使うことができたのです。

では、心を澄ますための砂と水嚢とは、いったい何なのでしょうか。その答えは、次のお歌にあります。

 

  このすいのどこにあるやとをもうなよ
  むねとくちとがすなとすいのや (三 11)

 

それは、胸と口であると教えられます。胸で教えを深く悟り、口を使って人に諭す。つまり、私たちの心の濁りは、教えによって得られた悟りを人に伝えることを通して澄まされていくのです。

そしてその先に、

 

  にち/\にすむしわかりしむねのうち
  せゑぢんしたいみへてくるぞや (六 15)

 

と示されるように、澄んだ心で物ごとの真理が見えるまで成人する世界が待っている。それはまさに、「人たすけたら我が身たすかる」と教えられる通りの姿だと言えるでしょう。

 


 

おばちゃんとお月さま

奈良県在住  坂口 優子

 

「見て見て!お月さまめっちゃきれいで~」

お月さまのことが大好きな7歳の末娘は、夜、窓から月を見上げては、感動の声をあげています。

私には、月を見ると思い出す人がいます。結婚前に通っていた教会の奥さんです。私は奥さんのことを「おばちゃん」と呼んでいました。

おばちゃんとの出会いは小学2年生の時。近所のお友達に誘われて、奈良県天理市で開催されている「こどもおぢばがえり」という行事に参加したことがきっかけでした。当時その教会では、毎月子どもたちのために楽しい行事が開かれていて、私もその日をとても楽しみに、うちから3キロの道のりを自転車で通っていました。

教会の玄関を開けて「こんにちは~」と挨拶をすると、「やあ~、来てくれたん!」と、おばちゃんが目をキラキラさせています。ご主人である会長さんも、いつも温かく迎えてくれるので、祖父母が近くにいなかった私にとって、会長さんとおばちゃんは、近所に住むおじいちゃんとおばあちゃんのような存在でした。

思春期になり、親に話しづらい悩みができると、真っ先におばちゃんに話を聞いてもらいました。学校や塾で忙しくなり、ある時期疎遠になっても、落ち込んだり悩んだりすると、またおばちゃんに会いたくなり、教会を訪ねていきました。

失恋をして悲しみに暮れていたある日、バイクを運転していて大雨に遭い、道に迷ってしまいました。すると、不思議にもいつの間にか教会のそばの道に出てきていたのです。

「こんばんは。雨宿りさせてください」と玄関を開けると、「やあ~来てくれたん!えらい濡れてかわいそうに。はよ入り!」と、いつものように迎えてくれました。「こんなんしかないけど」と、即席で作ってくれたシチューがとてもあったかくて、おばちゃんの優しさが心に沁みて涙がボロボロこぼれました。

その日の帰り、「また明日、待ってるよ!」と見送ってくれたのをきっかけに、私は次の日から毎日教会へ行くようになりました。学校からの帰り道、教会に着くと、いつも夕方のおつとめの時間と重なります。柏手を四回打ち、「ありがとうございます」と心からあふれる声で参拝するおばちゃんの隣で、私も「ありがとうございます」と、一緒に心を込めて神様に祈りました。

おばちゃんの大きな声に合わせておつとめをすると、心の痛みが神様に届いている気がして、少しだけ元気になりました。そしておつとめの後には、「ごちそうちゃうけど、一緒に食べよう」と、いつも温かい夕ご飯を出してくれました。

一緒にご飯を食べながら、おばちゃんは天理教の教祖「おやさま」のお話を聞かせてくれました。

帰る頃になると、夜空を見上げながら「優子、見て!お月さん!きれいやな~」と子どもみたいに喜び、柏手を四回打って「お月さん、ありがとうございます」とお礼を言います。私も真似をして、お月さまに手を合わせました。そして顔を上げると、「また明日、待ってるよ!」と私の背中をポンと叩いて見送ってくれるのです。

おばちゃんとのそんな毎日が続く中で、かつての失恋の傷は癒え、おかげで、私は主人との素敵なご縁を頂いて、教会へ嫁ぎました。

それからも毎月おばちゃんに会う機会があり、成長していく子どもたちの姿をいつも喜んでくれました。けれど、子どもが大きくなるということは、私たちも年をとるということで、いつからかおばちゃんの様子が変わっていきました。日に何度も同じ質問を繰り返し、また同じ話を何度聞いても、「ああ、そう!」と、初めて聞くかのように目をキラキラさせます。認知症が進んでいたのです。

同じ頃、おばちゃんは脳梗塞で倒れ、入院してしまいました。私はちょうど末娘が生まれた時で、心配で慌ててその子を連れてお見舞いへ行きました。私のことが分かるだろうか…こわごわ病室をのぞくと、「優子!来てくれたん!」と、いつものように笑顔で迎えてくれて安心しました。

おばちゃんは、すやすや眠る娘の顔を見ながら、「優子、幸せやな~」と言い、私の背中を優しくさすってくれました。一度言ったことを忘れてしまうのか、何度も何度もそう言うので、私も何度もうなずきました。

その後おばちゃんは、お孫さんの勤めている介護施設へ入ることになりました。里心がついてしまうので面会は控えてほしいと言われ、会うのを諦めましたが、もしおばちゃんに会えたら、私を大切にしてくれたこと、そして信仰の喜びを教えてくれたことへのお礼を伝えたい。そう願っていました。

それからしばらくして、ご主人である会長さんの訃報が届き、思いがけず、もう会えないと思っていたおばちゃんに会うことが出来ました。

しかし、葬儀の日、車椅子に座っているおばちゃんは、もう私のことが分からなくなっていました。私の顔をジッと見つめながら、消えてしまった記憶の中を一生懸命探っているようでした。いつかこういう日が来ることは分かっていたけれど、さみしかった。

これがおばちゃんに会えるのは最後かもしれない。そういう想いで、以前と変わらぬ優しい笑顔を浮かべるおばちゃんの手を握り、ありったけの「ありがとう」を伝えました。

あれから4年、今でも月を見るたびに、おばちゃんが幸せに暮らせますようにと、手を合わせます。そして、いつもいつも、優しく支えてくれたおばちゃんの笑顔を思い返し、今日という日に感謝しています。

(終)

天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に天理教の時間専用プレイヤーでもっと便利にもっと身近に

おすすめのおはなし