(天理教の時間)
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第1407回2026年10月9日配信

転んで見えたもの

家族円満 花田浩美
花田 浩美

文:花田 浩美

第1406回

9年目のランドセル

妻がママ友から「男の子用のランドセルを探している」と相談を受け、息子の〝8年もの〟を譲ることに。

9年目のランドセル

岡山県在住  山﨑 石根

 

5月末のある日、我が家と同じ天理教の教会の奥さんから、妻に相談がありました。

「私がお手伝いしている日本語教室に、ベトナムの生徒さんがいるんだけど、その男の子に使ってもらえるランドセルを探しているの」とのこと。

さっそく、「うちの息子のお古で良かったら喜んで」とお返事して、一度ランドセルを見に来てもらうことになりました。

我が家のランドセルには、それぞれに色々な思いが詰まっていました。

5人いる子どもたちの、長男、次男、長女までは、妻の両親が入学祝いとして新しいランドセルを買い与えてくれたのですが、妻は当初からそれを「6年間しか使わないなんて、もったいない」と口にしていました。選んだランドセルは決して高級なものではないのですが、かと言って安価なものでもありませんでした。

そんな訳で、4番目の三男が小学校に入学する時に、ちょうど長男が卒業したばかりでしたので、妻が両親に「もうランドセルは買わなくて大丈夫。今あるものを大切に使わせてもらうから」と、新しく購入することを断ったのでした。

三男は、長男が6年間使い切ったランドセルを引き継ぎました。長男も大切に使ってはいたのですが、それでも安物をしっかり使い込んだので、2年がいいところでした。三男が小1、小2と使い切って、いよいよくたびれた時に、今度は次男が小学校を卒業し、お兄ちゃんの2番目のランドセルが三男に下がってきたのです。

そして、それも同様に2年間使い切り、「もう結構傷んできたなあ」と心配していた時に、妻のママ友の前川さん(仮名)が「息子のランドセルを良かったら使って欲しい」と声をかけて下さったのでした。

さて、小5、小6と今度は前川君のランドセルを使わせてもらった三男ですが、前川君のランドセルは、それまでの我が家のものとは違って、立派なしっかりしたランドセルでしたので、耐久性もバッチリ、まだまだ綺麗な状態で三男もお気に入りでした。

ですので、この状態だったらベトナムの子にも十分使ってもらえるかも知れないと思い立ち、「前川君とうちの子で、8年間使ったランドセルですが、それでも良ければ…」とお返事したのです。

ちなみに5番目の末娘に関して言えば、彼女が入学した時には、まだ長女が小学生でしたので、信者さんのお知り合いから女の子のランドセルを下げてもらいました。末娘はそのお古のランドセルを小1から3年間使い、小4からは晴れてお姉ちゃんのランドセルを引き継ぎました。

そんな末娘も小6になり、図工の時間に自分のランドセルを模写する授業があったようです。先日、参観日に行くと、教室の壁にランドセルの絵がたくさん飾られていて、彼女も水色の可愛らしいランドセルをとても上手に描いていました。そして、その絵の下に「このランドセルは私とお姉ちゃんの宝物! 8年間ありがとう!」とメッセージが書いてあったのです。それを見て、妻と一緒に何とも言えないあったかい気持ちになりました。

数日後、相談してくれた教会の奥さんと、同じく日本語教室でボランティアをされている方が、二人で私たちの教会を訪ねてくれました。実際にランドセルを見てもらい、またそれ以外にも使ってもらえたらということで、妻が絵の具セットやクレヨン、クーピー、ピアニカなどのお下がりも準備し、選んで持ち帰って頂きました。

それからさらに数日経ったある日、嬉しそうにランドセルをしょっている小学1年生のベトナムの男の子の写真が、妻のスマホに送られてきました。

「前川君とうちの子が使わせてもらったランドセルが、また小学校に通わせてもらえるんやなぁ」と、妻は涙ぐみながら喜びました。そして、「前川君にも教えてあげたい」とその写真を転送すると、同じように前川君のお母さんもウルウルされたようでした。

天理教教祖「おやさま」は、「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで(教祖伝逸話篇138「物は大切に」)」と教えて下さいました。

教祖は、物を、単に捨てないとか、大事にとっておくのではなく、「生かして使う」ことの大切さを教えられています。その上で、「すべてが、神様からのお与えものやで」と、私たちの信仰の要を厳しくお仕込み下さっています。

私たちは、つい何でも「自分の物」と「他人の物」を区別してしまいますし、ややもすると「自分の物」は大切に使うけど、「他人の物」は雑に扱ってしまうということも生じてしまいがちです。そうではなく、「すべてが、神様からのお与えもの」であり、今、この瞬間はたまたま自分が使わせてもらう役割なんだと謙虚に捉え、その物を生かして使う方法を考えるよう、心がけたいなと思います。

我が家の個性的な子どもたちが、ランドセルを大切に使ってくれたかどうかはいささか疑問ではありますが、それでも、こうして一人のための役目が終わったらそのまま捨ててしまうのではなく、次から次へとつないでいけたことを、純粋に嬉しく思います。

また、前川君は小学校の時に、途中から学校に行きにくくなったこともあったので、彼のランドセルが、彼の思いも乗せて、そして三男の思いも乗せて、また一緒に6年間、学校に連れて行ってもらえることを思うと、何だか胸が熱くなりました。

「前川君が6年、うちの子が2年、それからベトナムの子が6年しっかり使ってもらえたら、あのランドセルは14年ものやなあ」と、この先、大切に使ってもらえることを夫婦で期待しながら、この忘れがたい経験を胸に刻んだのでした。

 


 

心に吹く風「神様に通じる願い」

 

災害現場で汗を流す頼もしいボランティアの姿を、いろんな場面でよく見かけます。自分のことを横に置いて、困っている人のために一生懸命に頑張っている人は、みんな生き生きした表情をしています。心に病を抱えた人が、ボランティアに参加することによって快方に向かうこともあります。

やはり人間は、もともと困っている人を見れば、じっとしておれない生き物のようです。そういうふうに神様は、人間をお造りになったのです。私たちの魂の設計図には、もともと「たすけ合いのスイッチ」が組み込まれているのでしょう。

私がかつて、天理教のある講習会を受講したときのことです。いろんな年齢の人が一緒のクラスで学んでいました。その講習会は三週間続きます。そのうち三日間までは休めますが、四日休んだら最初から受講し直さねばならないという、厳しい決まりがありました。

私が受講したのは三月のことでした。春とは名ばかり。その年は特に寒く、講習会の期間中に雪が降ることもありました。同じクラスのある男性が、寒さのせいか風邪をひいてしまいました。高熱が出て、起き上がることができません。お世話係を務めていた私は、心配で宿舎まで毎日、様子を見に行きました。でも、なかなか熱は下がらず、いつも横になっていて苦しそうでした。

一日欠席し、二日欠席し、とうとう三日目も欠席してしまいました。私は思いきって、クラスの皆に呼びかけました。

「せっかく同じクラスになったんだから、一緒に修了したいと思いませんか。いまから、みんなで神様にお願いしに行きましょう!」

呼びかけてはみたものの、どれだけ集まってくれるか心配でした。しかし集合場所の光景に、私は目を見張りました。五十人以上いるクラスのほとんどが集まってくれていたのです。

「ありがとうございます。さあ、行きましょう!」

私たちは神殿へ行き、みんなで心を揃えて、一生懸命に神様にお願いしました。そしてその足で、私は男性のところへ駆けつけました。

すると不思議なことに、高熱で起き上がることができなかったはずの男性が、起きてご飯を食べているのです。

「もう気分は良いのですか?」

「ああ、不思議なことだ。さっき夕方六時ごろ、ふと目が覚めて、気分がいいのでご飯でも食べてみようと思ったら、食べることができたんだ」

六時というのは、みんなが一心に神様にお願いをしていた時間でした。私から子細を聞いて、男性は涙を流して喜びました。

「ありがとう、ありがとう」

何度もそう言って、手を合わせました。こうして男性は次の日から、元気に講習に出てくるようになったのです。

それから数日後、今度はある受講生が、高熱を出した赤ちゃんの看病のために三日間欠席しました。このときも、みんなでお願いをして、やはり次の日の四日目に赤ちゃんの風邪が治り、お母さんは無事に講習に来られたのです。こうして私のクラスは、全員無事に修了することができました。

このことを科学的に説明しようとしても無理でしょう。私たちの願いが神様の思いに沿い、奇跡を呼んだとしか言いようがありません。

私たちのクラスには外国人もいました。年齢も性別も性格も、育った環境も置かれた状況も、みんな違う。たまたまそのクラスに偶然集まった人たちです。でも、そういうお互いを全く知らない人同士でも、心を一つに合わせさえすれば、思いは神様に通じるのです。

いや、むしろ全く知らない人同士がたすけ合っていくことを、神様はお望みなのかもしれませんね。

(終)

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