(天理教の時間)
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第1406回2026年10月2日配信

9年目のランドセル

yamasaki
山﨑 石根

文:山﨑 石根

第1388回

今が有難い

2020年当時、コロナ禍では飲食店の多くが営業短縮を余儀なくされ、店を開いている友人からも不安の声が聞かれた。

今が有難い

東京都在住 松村 登美和

 

2月のことです。妻とテレビのワイドショーを見ていました。コメンテーターが、あるマラソンレースの結果を振り返りながら、正月の箱根駅伝でも活躍した選手の走り方や、次に開催されるオリンピックの代表選考について、解説をしていました。

次回のオリンピックは2年後、2028年にアメリカのロサンゼルスで開催されますが、マラソンの代表選考は、昨年のレースからすでに始まっているのだそうです。

「そうか、もう次のオリンピックがあるんだ」「前回はパリで、その前が東京だったっけ」と話しながらテレビを見ていると、妻が「東京オリンピックって、メダルいっぱい取ったんだよね」と言いながら、スマホで当時のことを調べ始めました。

すると、「あれ、『2020年東京オリンピック』って書いてあるけど、やってるの2021年だよ」と言うのです。一瞬、頭の中にはてなマークが灯りましたが、すぐに思い出しました。

そうです、2020年は新型コロナウイルス禍の真っ最中で、オリンピックは一年延期されたのでした。世界を恐れと不安に陥れたあの出来事の記憶を、たった5、6年で頭の隅へ追いやってしまうんだ、と自分を振り返りながら、テレビを消して、当時のことについて妻と話をしました。

新型コロナウイルスの流行で、日本では10万人以上の方が命を落とし、すべての人が身体や心、生活や仕事に大きなダメージを受けました。

東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は、その年の1月に国内で初の感染者が発生し、東京でも次々と感染が広がっていきました。

私はその東京に住んでいるのですが、東京都では2020年4月から、感染対策として大学などの学習施設、劇場やスポーツ施設、カラオケ施設などに営業休止が要請されました。

また飲食店は午後8時閉店、お酒は午後7時までしか提供できなくなりました。最初の要請は6月に一旦解除されましたが、感染拡大を受けて、その年の夏から秋に、営業短縮の要請が発出されました。

私の家の近くには、居酒屋などの飲食店が多くあります。小中学校の同級生も数人、お店を営んでいるのですが、そうした友人と話をしていても、「居酒屋で夜7時までしかお酒が出せないなんて、誰も店に来ないよ。店を続けていけるか心配だ」といった不安の声をよく聞きました。

夏秋の営業時間短縮は、感染状況を踏まえながら、段階的に緩和されていきました。8時までだった営業時間が10時まで、7時までだったお酒の提供は8時まで、そして10時まで、と段階的に軽減されていったのでした。

その2020年の秋、町で知り合いの男性に会いました。その方も飲食店を開いています。

世間話から始まって、「最近はお店、どうですか?」と尋ねてみました。するとその方の話では、春の緊急事態宣言の時には、しばらくお店を開けていたけど全くお客さんが来ず、最近まで長期間、閉店していたとのこと。時間短縮の期間が明けて、夜もお酒を出すことが出来、お店を遅くまで開けるようになってから再開したと話していました。

そこで私が、「お客さんは戻ってきましたか?」と尋ねると、「いや、まだ全然だよ」との返事でした。

「それは大変ですね」と言うと、その方は「でもね、前に比べたらましだよ。4月は全然だったから。今はね、遅い時間にお客さんは来ないけど、6時7時には来てくれるんだよ」と言うのです。

そして、「4月の時は本当に誰も来なかった。でもね、今は有難いんだよ。早い時間に常連さんが来てくれるようになったから。それが嬉しいんだよ。時間が経てば、きっと遅い時間にも来てくれるようになると思う。今、来ないお客さんのことを思って無いものねだりしてストレスを溜めても、何もいいこと無いからね」と仰るのでした。

その話を聞いて、私は「水を飲めば水の味がする」と教祖が仰せられたお話を思い出しました。

天理教の教祖、中山みき様は、天理教が始まった当初、ご自身がお嫁入りの時にお持ちになった荷物から始まり、中山家の食べ物、着物、金銭に至るまで、次々と困っている人々に施されていきました。生計が苦しくなってからも食を割き、着物を脱いで、人に与えられるのが常でありました。

そんなある日、教祖の娘御であるこかん様が、「お母さん、もう、お米はありません」と仰いました。

すると教祖は、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と諭され、励まされたと伝わっています。

私は、このお話は「不安に目を向けるのではなく、今現在、喜べることを見つめる」「親神様がいつも守って下さっている」ということを教えられているように思います。

コロナ禍の中、早い時間にしかお客さんが来ないことで不安に押し潰される人もいました。一方、今は有難い、いずれ遅い時間も来てくれる、と前を向いている人もいました。

「目の前にある幸せ」や「守られている姿」に気づかず、「無いものねだり」が勝った時に、幸せは逃げていってしまうのではないか。あの時の会話で、そんなことを思いました。

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