(天理教の時間)
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第1380回2026年4月3日配信

新たな視点

野口信也先生
関根 健一

文:関根 健一

第1379回

年祭の旬に

教祖110年祭の年祭活動中に志願した修養科。直前に同級生の女性が白血病を発症、そのたすかりを願う三か月であった…

年祭の旬に

埼玉県在住  関根 健一

 

先日、家族で何気ない話をしていた折、ふと「そういえば、修養科を修了してもう一年になるね」と、昨年修養科へ行った次女のことが話題にのぼりました。

次女は思うところがあり、21歳の誕生日を前に自ら修養科を志願しました。教祖140年祭の三年千日活動の最中に、自分の意思で志願してくれたことは、父親としても教会長としても、実に嬉しい出来事でした。

思い返せば、私自身も21歳の誕生日を迎えてすぐ、修養科を志願しています。次女は私が30歳の時に生まれたので、私の修養科修了からちょうど30年という節目になります。私の修養科生活もまた、教祖110年祭の年祭活動期間中でした。

その10年前、教祖100年祭の折にはまだ小学生で、年祭の意味もよく分からずに過ごしていました。ですから私にとっては、110年祭が実質初めての年祭となり、修養科では同期の仲間たちと諭達を競うように暗記していたことを、今もよく覚えています。

私が修養科を志願する少し前のことです。近所に住む同級生の女性、Aさんが白血病を発症したことを知りました。Aさんとは小学校6年間と中学校一年間を同じクラスで過ごし、また彼女のお兄さんとお姉さんも、私の姉二人と同学年でした。そんなご縁で母親同士も親しくしており、私の母がAさんのお母さんから連絡を受けたのです。

Aさんは体調不良で受診した病院で白血病と診断され、どうしてよいか分からずにいたところ、職場の同僚から「神様にお願いしてもらおう」と誘われ、天理教の教会へ行ったとのことでした。その話を自分の母親に伝えると、「関根さんのうちも天理教だから、同じ天理教のお話を聞くなら相談してみたら?」と勧められ、私の母に連絡を下さったのです。

私は白血病のおたすけと聞き、自分に何が出来るのか戸惑いましたが、母と姉とともにすぐAさんのお宅に伺い、お話を取り次がせて頂きました。併せておぢばがえりにもお誘いしましたが、すでに長期治療の計画が進んでいて、すぐにはお返事を頂けませんでした。

その後、数か月単位で入院と自宅療養を繰り返す生活が始まり、面会できる時期には、姉と私でおさづけの取り次ぎに通わせて頂きました。

そうした中、私が仕事の都合が折り合う時期に修養科へ行くことが決まり、Aさんには「おぢばで病気全快をお願いさせてもらいます」と伝え、21歳になってすぐの11月から3か月、年越しの修養科生活が始まりました。

この時季に志願した理由は二つあります。一つは姉から、「あなたは周りに流されやすいから、若い人が多い春の時季は避けた方がいい」と言われたことでした。

もちろん、若い人すべてが怠けるわけではありません。しかし、様々な事情でおぢばに引き寄せられた者同士、年齢や境遇の近い人たちが集まると、どうしても「少しぐらいいいよね」という空気が生まれ、その結果、怠けてしまう傾向があるのです。

そしてもう一つは、尊敬するB先生が、11月・12月に、詰所で修養科生を指導する教養掛に当たっていたことでした。

冬の時季の修養科は志願者が少ないと聞いていましたが、実際に行ってみると、この時季としては珍しく、大教会では10名を超える志願者があり、しかもその半数が21歳の私よりも若いという異例の構成でした。さらに、修養科全体でも、この期は異例と言われるほど若い人が多いことを、修養科が始まってから知りました。

周囲の空気に流されやすいと自認していた私にとって、この状況は、修養科中も気を引き締めて通るようにとの親神様のお計らいだと受け取ることにしました。

ところが、その心構えが裏目に出たのでしょうか。良かれと思って取った行動が蛇足となり、B先生から、他人のためにと思ってしたことが、かえって迷惑になる場合もあるのだとお諭しを頂きました。

また、私がAさんのおたすけに通っていることをご存知だったB先生は、私の行いを教訓にしながら、「難病の方のおたすけ」をさせて頂く責任について、ご自身の経験を交えながら親身にお仕込み下さいました。そのあたたかい言葉に、私は涙を抑えることが出来ませんでした。

それを機に、心新たに修養科生活を送ってしばらく経った、ある日のことです。その日は朝の神殿掃除ひのきしんに当たっており、身支度を整えて詰所の玄関へ向かうと、ちょうど当時所属していた上級教会の団参の一行が、夜行バスで明け方に到着したところでした。

その中に、姉に連れられてバスから降り立つAさんとお母さんの姿がありました。修養科生活に励む私を驚かせようと、姉が内緒で誘ってくれていたのです。

ひのきしんの時間も迫っていたため、その場では挨拶もそこそこに神殿へ向かいましたが、集合時間までのわずかな間、神殿の隅で涙を流しながら親神様にお礼申し上げたことを、今も鮮明に覚えています。

この団参で初席を運んだAさんは、その後、難しい病状の中でしたが、治療が順調に進み、寛解のご守護を頂きました。そして、それを機に女子青年の活動にも率先して参加してくれるようになりました。

やがて姉が結婚して他系統の教会の所属となり、その翌年には私も結婚しました。以後は、妻が一緒にAさん家族のおたすけに通ってくれるようになりました。

その間もAさんは別席を運び続け、私が教会長を拝命する前年、晴れてようぼくとなり、私の就任奉告祭では、おつとめはもちろん賛者まで務めて下さいました。

家庭の事情もあり、今は頻繁に参拝出来なくなりましたが、毎月の月次祭後には欠かさずお下がりを届けにAさんのお宅を訪ねています。最近ではお母さんの介護が始まったこともあり、介護施設で働く妻が相談を受けることも増えてきました。

私にとって初めての年祭活動だった30年前に与えて頂いたこのおたすけのご縁は、振り返るほどに、Aさんを通して私自身が成長の場を与えられてきたのだと実感させられます。

現在は女性同士ということもあり、Aさんについては妻に任せることが多くなりました。これからも、教会でおつとめを通してお願いさせて頂くことが会長の務めであると肝に銘じ、共におたすけに勤しんでくれている妻に感謝しつつ、Aさん家族の幸せを願い続けていきたいと思います。

 


 

疑う心

 

朝夕に唱えるおつとめの地歌である「みかぐらうた」に、

  ひとのこゝろといふものハ
  うたがひぶかいものなるぞ(六下り目 一ッ)

とあります。

人間である限り、物事に対して多少の疑いを持つのは、ある意味当然のことかも知れません。ましてや目に見えない神様の言うこと、なすこととなると、初めからすべてを信じるのはとても難しいことです。

しかし、人間には本来生きるべき正しい道があります。その教えが、人類の親である親神様の教えです。教えに沿った生き方をして、正しい道をひたすらに歩んでいけば、何も問題は起きません。しかし、「誰も見ていないから、行ってしまえ」と止まるべき所で止まらなかったり、「こっちの方向であっているだろう」と、曖昧な判断で間違った方向へ行ってしまったり。それらも全ては疑う心から来ています。

神様のお言葉をひもとくと、「神の言葉に嘘はない」という意味のお言葉が散見されます。

そのものズバリ、

「神は嘘は言わん」(M37・12・14)

また、

「これからという、これから嘘は一つも無い、という事思案せ。嘘というは何も旨い事はあろまい。真実というは、真実見えて来る。嘘と思うたら嘘になる。誠思えば誠出て来る。…神の道に嘘は無い。嘘に旨いものは無い。勇んでくる。嘘やない。結構台である」(M33・9・9)

さらには、

  このよふをはじめた神のゆう事に
  せんに一つもちがう事なし(一 21)

と、「おふでさき」に記されています。

これらのお言葉は、いわば人々の心が疑い深い証拠とも言えます。人間が疑う心を持つこと、神様の思いに背を向けてしまうことは、陽気ぐらしを妨げる大きな要因の一つです。

人間は神様のもとに、皆お互いにきょうだいであるという自覚を持つことが大切で、この気持ちがないと、神様の教えはもとより、人間同士でさえいつまでも疑い合わねばならないことになってしまうのです。

(終)

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