(天理教の時間)
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第1408回2026年10月16日配信

道しるべ

家族円満 相澤加奈子先生
相澤 加奈子

文:相澤 加奈子

第1407回

転んで見えたもの

妹が転んで左腕を骨折してしまい、彼女が黙々とやってくれていた教会の御用を皆で分担することになった。

転んで見えたもの

福岡県在住  花田 浩美

 

現在、私は天理教の教会の会長婦人として、教会のご用をさせていただいています。

先日、教会から駅まで、およそ二十分の道のりを、会長である主人と妹、そして私の三人で、神名流しとごみ拾いをして歩いていました。すると、妹が突然転んでしまいました。

「痛いー!!」と大声で叫んだため、道路の向こう側にいた方が、とっさに駆け寄って「大丈夫ですか?」と声を掛けて下さるほどでした。

幸い、妹は主人と手を繋いで歩いていたため、頭や顔をぶつけることはありませんでしたが、病院で診てもらうと、左腕の剥離骨折でした。三角巾で腕をつるし、動かないように固定され、不自由な生活を送ることになりました。

妹は38歳になります。産まれた時に声を出すことができず、泣くと呼吸が止まってしまうという病気を持っていました。命の危険があったので、泣かないように、ミルクに精神安定剤のような薬を入れて、飲ませては眠らせ、お腹が空く頃に起こし、泣かないようにまたミルクを飲ませ、眠らせるという治療を一ヶ月繰り返しました。

また、精神と運動の発達に遅れが見られる、精神運動発達遅滞という状態で生まれてきました。これは、全体的に発達の仕方がゆっくりであるという状態で、適切な訓練次第で、その子が本来持っている可能性を最大限に広げていくことが出来るということなのだそうです。

妹が通っていた保育園では、とにかく歩くことを勧められたので、母は毎日、妹の両手を引いて保育園まで連れて行きました。そしてその道中、草花を見つけたり、空を見上げ、飛び立つ鳥を見つけては、「きれいだね」「かわいいね」と語りかけ、さまざまなことに興味が持てるよう、一生懸命語りかけていました。そのおかげか、妹の描く絵は彩り豊かで、とても温かみがあります。

妹は言葉も動作もゆっくりですが、その分一つ一つのことに対して丁寧に取り組む姿があります。神様にお供えしてあるもののお下げや、食事の準備や後片付けなど、決まったことを黙々としてくれます。字も丁寧に上手に書きます。できることは、まだまだいっぱいあります。何より、妹が笑うと周りの空気が和みます。

ですが、その一方で、途中で別のことに気を取られると、遊び心が先に来てしまい、終わるまでに時間がかかることがあります。

なぜか丸いものが好きで、コマのように回しては、台から落ちるのが楽しいようで、回しては落とすことを繰り返します。特に台所には丸いものが沢山あるので、誰かが注意をしないとやめられません。また、「ものを出したら片付ける」といったことがなかなか身につかなかったり、言葉を声に出すことも少し苦手です。

骨折したことをきっかけに、それまで妹がしてくれていたことを家族みんなで分担するようになると、「こんなにもたくさんのことを、毎日黙ってしてくれていたんだ」と、あらためて感謝の思いが湧いてきました。

骨折して以来、髪を洗ったり背中を流したりするために、母と交代で、妹と一緒にお風呂へ入るようになりました。その時間を使って、妹が前向きに自分の気持ちを言葉にするための練習として、「よかった探し」をするようにしました。

「手をつないでいたから、この程度で済んでよかったね」「利き手の右手じゃなく、左手でよかったね」 「足じゃなかったから歩けるね。ありがたいね」「親神様の『かしもの・かりもの』の教えを、身をもって実感できたね」

また、難病を抱え、不自由な生活を送っている身近な方のことを思い浮かべながら、「ほんの少しかもしれないけれど、その方の気持ちに寄り添わせていただく機会になったね」と、そんな話もするようになりました。

妹の言葉の練習になればと思って始めたことでしたが、不思議なことに、「大変だったね」「かわいそうだったね」と言うよりも、「よかったね」「ありがたいね」と言うほうが、自分自身の心まで明るくなっていくことに気づきました。

起こってきた出来事は変えられません。しかし、使う言葉や心の向きを変えることで、見える景色は大きく変わるのだと教えていただきました。

今回の出来事を通して、以前聞いた「家族は星座のようなもの」という話を思い出しました。一つひとつの星は大きさも形も違いますが、それぞれが見えない線で結ばれ、一つの星座となっています。

家族も同じように、親神様は意味なく夫婦や親子、きょうだいにされるのではありません。家族が支え合い、たすけ合い、仲良く陽気に暮らせるように、一人ひとりをなくてはならない存在として、丁度良い組み合わせをお与え下されているのです。

今回私は、妹の骨折という出来事を通して、自分自身の心を見つめ直す機会を与えていただきました。

振り返ると、私はこれまで、妹の動きの遅さやできていないことばかりに目が向いていました。また普段、一緒にこの道を歩んでいる妹や家族に対して、感謝や御礼の言葉を心から言えていなかったような気がします。

家族一人ひとりが、それぞれの役割を果たしてくれていたからこそ、楽しい日常が過ごせるのだと、あらためて思うことができました。

親神様がお望み下さる陽気ぐらしは、決して遠くにあるものではなく、まずは身近な家族の存在に感謝し、「ありがとう」と伝え合うことで味わえるものだと思います。これからも、親神様がつないで下さった「家族」というご縁を大切にし、一日々々喜びを見つけながら、一歩一歩通らせていただきたいと思います。

 


 

よるひるどんちやん

 

教祖は、五十年という長きにわたり、陽気ぐらしへのお手本となる「ひながたの道」をお通り下さいましたが、それもすべては、たすけの根本である「おつとめ」の完成へ向けた道すがらでありました。

おつとめの地歌である「みかぐらうた」の四下り目に、

 

  四ツ よるひるどんちやんつとめする
     そばもやかましうたてかろ

 

とあります。

「うたてい」とは古い表現で、鬱陶しい、煩わしいという意味です。夜も昼も、鳴物を入れてにぎやかに陽気づとめをする。これは人々の心のほこりを払い、珍しいたすけを実現するためのつとめであるが、この神の切なる思いを知らぬ者にとっては、さぞかし、やかましくもあり、煩わしくもあるだろう。

この世界と人間をお創り下された親神様は、天では月日と表れ、人間をはじめ万物をご守護下さいます。夜はお月様の司る世界、昼はお日様の司る世界です。万物は静かな月の世界に眠り、夜露を受けて育ちます。そして、昼の世界に目覚め、太陽の熱を受けて繁っていきます。

私たちが夜も昼も賑やかに、陽気におつとめをつとめることによって、親神様は昼夜を問わず勇んでお働きくださいます。そうして私たちは、隅々にまでご守護の行き渡る世界に、安心して住まわせて頂くことが出来るのです。

ぢば・かんろだいを取り囲んだ教会本部神殿においては、一年を通して、日の出、日の入りの時間に合わせて朝づとめ、夕づとめがつとめられます。

朝づとめは、元気に目覚められたことに感謝申し上げ、今日一日を無事にお連れ通り下さい、と願うおつとめ。そして、夕づとめは、今日も一日結構に通らせて頂いたお礼を申し上げるおつとめです。

お言葉に、「一日の理は朝にある」(M22・5・7)「十分たんのうして、夕景一つの礼を言う」(M25・7・27)とあるように、朝早起きをして、喜び心で一日を通り、夕日を見送りながらお礼を申し上げる。そうした歩みの中に、また「明日」という喜びの日をお与え頂けるのです。

このように、私たちが昼夜の別なく、陽気におつとめをつとめる世界になることを願う親神様の思いは、四ツに続く、次の五ツのおうたによって明らかです。

 

  五ツ いつもたすけがせくからに 
     はやくやうきになりてこい

 

親神様は、世界中の人々のたすけを急いでおられます。ゆえに、おつとめを通して、早く陽気づくめの心になるよう、お諭し下されるのです。

(終)

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