第1357回2025年10月24日配信
おじいちゃんの種
天理教の音楽活動の歴史は古い。子供たちや私は鼓笛隊育ち。そして祖父も戦前に教会の楽団で活動していたと聞く。
おじいちゃんの種
兵庫県在住 旭 和世
親は子供に、「幸せになって欲しい」と願いながら子育てをすると思います。私も子供たちに、イキイキとした楽しい人生を送って欲しいと思って子育てをしてきたつもりですが、これまでの経験で痛感したことは、親の出来る子育ては一部に過ぎないということです。
子供たちは、親だけではなく色んな立場の人に、温かい言葉や情をかけてもらい、交流を通じて成長していきます。そしてさらに、神様の教えにふれる事や、親々が残してくれたお徳によって育てて頂き、人生がイキイキとしてくるのだと実感しています。
そのように感じる中の一つが、鼓笛隊の活動です。我が家の子供たちは小さい頃から、隣の支部の鼓笛隊に所属しています。
ある日曜日のこと、当時小学校低学年だった長男が私に、「なんで鼓笛隊の練習行くの?」と聞きます。きっとせっかくのお休みなので、家でゆっくり過ごしたかったのでしょう。
私は長男に、「鼓笛隊で演奏できるようになったら、夏のこどもおぢばがえりの時、おぢばの神殿の前で演奏をお供えできるんよ。これはママにはできないけれど、あなた達ができる神様の御用で、神様がとっても喜ばれるひのきしんになるんよ」と伝えました。その時、私の言葉を理解してくれたかどうかは分かりませんが、長男はその後もずっと鼓笛活動に参加してくれました。
私は幼い頃、上級教会の鼓笛隊に所属し、こどもおぢばがえりでのパレード出演やお供演奏など、演奏することで周りの皆さんが喜んで下さったことが心に残っていて、「我が子たちにもそんな経験をさせてあげられたらな」と思っていました。
そんな折、ちょうどタイミング良く、鼓笛隊の先生が隊員募集に来られ、我が子3人と近くに住む姪や甥たちも入隊させてもらうことになったのです。
その鼓笛隊は、何年も連続で金賞を受賞している隊で、先生の指導がとても素晴らしく、足手まといになるような低学年の子供たちを快く受け入れて下さり、本当に気長に、熱心に指導して下さることにとても感動しました。
毎年こどもおぢばがえりが近づくと、厳しい特訓が始まります。マーチングバンドのようにドリル演奏もするので、足の運びや前後左右の位置取り、移動のタイミングなどなど、子供たちにとってはとてもハードルが高い難しい練習なのです。
それでも、必死に指導して下さる先生に子供たちが応えてどんどん上達していく姿には、本当に目を見張るものがあります。得意な子も得意でない子も、みんなが心を揃えて一生懸命頑張って、出来なかったことが出来るようになり、一つの形になることが、子供たちの喜びや達成感につながっているように思います。まさに教祖の教えて下さった「一手一つ」の姿だなあと、感動で涙が出てきます。
そして何も出来なかった子が年々上達してくると、年下の子たちのお世話をするようになり、素敵な循環が生まれます。自分たちが今までしてもらったように、次に入隊してくる子たちに心を配れるようになるまで成長してくれるのです。
現在高校生になった姪は、スタッフとして、休日の練習日にはいつも指導者として参加してくれるようになりました。
姪は鼓笛活動や、他の天理教の行事などでお道の方に触れ合えたおかげで、「天理の人は優しくていい人多いよね~」と実感してくれているようです。そして、周りの人も驚くような成長ぶりを見せてくれています。
長男はというと、天理高校に入学し、「軟式野球部に入る!」と意気込んでグローブまで持って行ったにもかかわらず、蓋を開けてみれば雅楽部に入部。私も主人もびっくりしました。その一年後には、年子の妹も同じく天理高校で雅楽部に入り、二人とも演奏活動をとても楽しんでいるようです。
こうやって音楽を通してお育て頂き、演奏活動によって周りの方に喜んで頂き、感動を届けられるのも素晴らしいひのきしんだと有難く思っています。
そんな風に喜んでいた時、実家の父がとても興味深い話を聞かせてくれました。
「昭和の初め頃の話やけど、うちのおじいちゃんが、この小阪の町で小さな音楽隊をつくって、若いお道の青年さんを集めて活動しとったんや。そこで音楽に長けた矢野清先生も一緒に活動してはって、演奏も上手になって活動がどんどん広がってな。その後、その小さな音楽隊は船場大教会の音楽団になって、当時盛んだった徒歩団参の先導をしたり、おぢばがえりされる方を演奏で迎えたりして、活躍するようになったんや。
だけどそのあと戦争になってなあ、青年さんたちも兵隊に行ってしまって、楽団の活動が出来なくなった。その時、当時の船場の大教会長さんが二代真柱様にご相談されて、楽器すべてを天理中学に譲渡される事になったんや。
そうしたら二代真柱様が、『楽器だけではあかん』と仰ったそうや。そこでおじいちゃんは『矢野さんしかおらん』と言って、矢野先生を推薦して天理中学に指導に行かれることになった。それが天理の吹奏楽部の始まりなんやで。
その後、矢野先生は天理高校の吹奏楽部を指導されて、何年も連続で優勝するような日本一のバンドに導かれたんや。その矢野先生の声から、天理教の鼓笛隊が生まれたんやで」
私は、「へえ~、そうだったの? 私、矢野先生のご活躍は知っていたけど、おじいちゃんが音楽を通してお道の若い人たちを育てる音楽隊を作っていたなんて知らなかった~」と驚いてしまいました。
そして、この話を聞いて、「みかぐらうた」のお歌が浮かんできました。
『まいたるたねハみなはへる』(七下り目 八ッ)
「あ~、そうだったんだ。おじいちゃんがちゃあんと、何十年も前に種を蒔いてくれてたんだ。だからこうやって巡り巡って恩恵を受けて、私たちの家族も鼓笛隊の先生方にお世話になってるんだなあ。決して偶然ではない、親々のお蔭なんだ」としみじみ思えてきました。
天理教の教祖「おやさま」のお言葉に、『道というものは、尽した理は生涯末代の理に受け取りある』(M33.4.16補遺)とあります。
神様の御用のために尽くした理は消えることなく、子や孫の代、そして末代までもその恩恵を受け取らせてもらえるというお言葉です。私たちは、今まさにその恩恵を受け取らせて頂いているという事だったのです。
この事を通して、子供たちは私たち親だけでなく、まわりの方々や親々が蒔いてくれた種の芽生えを受け取りながらお育て頂いているのだと実感しています。
けれども、これを「ありがたい」で終わらせるのではなく、この恩恵をまた子孫末代へと引き継いでいけるように、私もおじいちゃんが蒔いてくれたような種を蒔いていきたいと思っています。
自分一人で
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん (一 6)
とのお歌があります。
元のいんねんとは、親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたいと思召され、人間とこの世界をお創りになった。私たち一人ひとりは、その親神様の思いが込められた可愛い子供であり、きょうだいとしてつながり合って生きているということです。
そして、その詳しい元を聞きたければ自ら訪ねて来るようにと仰せられます。自ら教えを求めていくことの大切さを諭されているのです。
手振りと共に教えて下さる「みかぐらうた」に、
むりにどうせといはんでな
そこはめい/\のむねしだい (七下り目 六ッ)
むりにこいとハいはんでな
いづれだん/\つきくるで (十二下り目 六ッ)
とあります。信心するしないは、銘々の胸次第、心次第。親神様は決して無理強いはされず、私たちが自ら道を求める心になるまで、辛抱強くお待ち下されているのです。
教祖をめぐって、次のような逸話が残されています。
教祖のお話を聞かせてもらうのに、「一つ、お話を聞かしてもらいに行こうやないか」などと、居合わせた人々が、二、三人連れを誘って行くと、教祖は決して快くお話し下さらないのが常でした。
「真実に聞かしてもらう気なら、人を相手にせずに、自分一人で、本心から聞かしてもらいにおいで」と仰せられ、一人で伺うと、諄々とお話を聞かせて下さいました。尚その上で、「何んでも、分からんところがあれば、お尋ね」と仰せられ、いともねんごろにお仕込み下された、と伝えられています。(教祖伝逸話篇116「自分一人で」)
教会本部の教祖殿では、教祖の御前で、長い時間拝礼している信者さんの姿が見られます。様々な事情を抱え、まさに自分一人で教祖との対話に臨んでいるように見受けられます。きっと教祖は、にっこり笑っていともねんごろにお諭し下されていることでしょう。
(終)
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