(天理教の時間)
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第1352回2025年9月19日配信

砂を嚙む日々(前編)

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1351回

人生100年時代

一人暮らしの高齢者を支援して欲しいとの依頼を受ける。地域に新たな人間関係を築く一助になればとお引き受けする。

人生100年時代

千葉県在住  中臺 眞治

 

5年ほど前、世の中がコロナ禍となって間もない頃、地域の社会福祉協議会の職員さんから相談の電話がありました。「お一人暮らしの高齢者で困っている方がいるので、そうした方の支援を天理教さんでして下さいませんか?」とのことでした。コロナ禍で私自身は時間を持て余していましたし、困っている人がいるならばという思いで、その依頼を受けることにしました。

最初の依頼は70代の男性からで、ゴミだらけになってしまった自宅の清掃でした。お話をうかがうと、「人間関係が煩わしくなり、10年前に引っ越してきたんだけど、地域に親しい人がいない。この何日間も人と話をしていないんだ」と言います。

元々は釣りや家庭菜園に精を出すなど、活動的な方だったのですが、コロナ禍で外出が出来ず、孤立した状況が浮き彫りになる中、片付ける気力も湧いてこなくなってしまったのです。なので、手を動かすことよりもまずは口を動かしておしゃべりすることを意識しながら、何日もかけてゆっくりと作業を行いました。

こうした高齢者の困りごとの依頼は、社会福祉協議会以外にも地域包括支援センターやケアマネージャーさんから教会へ届くのですが、対応出来ないほどの数の相談があるため、お断りせざるを得ない事も多く、地域には一人暮らしの高齢者の方が大勢おられるのだなと感じています。

厚生労働省が発表した令和6年の国民生活基礎調査の概況によると、65歳以上の単身世帯の数は900万世帯以上あり、この数は平成13年、2001年と比べ2.8倍になったとのことでした。

高齢になり、身体が不自由になってくると自分では解決しづらい困りごとが増えていきます。家族が近所にいれば色々と頼ることも出来ると思いますが、それも難しいという場合に、ご近所さん同士でたすけ合っているという方は少なくないと思います。

例えば運転出来る人に病院まで送迎してもらい、お礼にランチをご馳走したり、安否確認のためにお互いに声をかけ合ったりしている方もおられます。とても素敵なことだと思います。

その一方で、先ほどの男性のようにご近所付き合いが苦手な方もおられます。その男性からある日、「身体の調子が悪い」と電話がありました。

急いで自宅に駆け付けると、「二日前から起き上がれなくて、ご飯も食べていない。しんどいけど、救急車を呼んでいいのかどうかが分からない」と言うので、すぐに救急車を呼び、入院となりました。入院すると、病院生活に必要なものが色々と出てきます。私は看護師さんに「用意してください」と言われたものを買って届けました。

困った時に「たすけて」と言える相手がいない。そういう方は少なくないのではないかと感じています。いま紹介した男性も決して世間離れした方ではなく、至って真面目に生きてきた方で、人柄も良く、優しくて穏やかな方です。ただ、一つ二つ、ちょっとした不運な状況が重なってしまい、孤立し、困った状況になってしまったのです。こうした状況には自分も含め、誰もがなり得るのだと思います。

この活動は、ちょっとした困りごとのお手伝いを通じて、地域に新たな人間関係を増やしていくことを目的にしています。そのため、近所に住む信者さんや、教会で一緒に暮らしている方にも協力して頂いているのですが、活動を通じて地域に親しい人が増えていくことが、お互いの安心につながっていることを感じます。

また、戦争の体験を聞かせて頂くなど、自分とは世代も違い、違う価値観を持ち、違う体験をしながら生きてきた方と接することは、自分自身の視野を広げることにもつながっていくのだなと感じています。

少し話は変わるのですが、出会った高齢の方々が暗い顔をしながら、「長く生き過ぎた」とか「人に迷惑をかけてしまっているようで辛い」などとこぼされる場面が度々あります。健康面やお金のことなど、日々様々な不安を抱え、孤立感を感じながら生きてらっしゃるのだなと思います。

また、テレビでも日本が高齢化社会となり、様々な課題を抱えているという報道がなされるなど、長寿がネガティブな事柄であるかのように捉えられてしまう情報が度々流れてきます。

天理教の原典「おふでさき」では、

 

  このたすけ百十五才ぢよみよと
  さだめつけたい神の一ぢよ (三 100

 

と、115才を人間の定命としたいという神様の思召しが記されています。

昨今、「人生100年時代」という言葉を度々耳にしますが、その長寿を憂いていては、神様は残念に感じられてしまうのではないでしょうか。

私自身も何歳まで生かして頂けるかは分かりませんし、今のような健康な状態がいつまで続くのかも分かりません。ですが、長寿を喜び合い、たすけ合い、神様のご守護に感謝をしながら過ごせるお互いでありたいと願っています。

 


 

行いに表してこそ

 

思えば、私たちは同じ人間でありながら、百人が百人、異なる運命を持っています。どの時代に、どの場所で、どの親から生まれるかは、自分の意志とは全く無関係です。その後も、家族に恵まれ、経済的にも恵まれて順風満帆な人生を送る人もいれば、若い頃から病を患ったり、家庭にトラブルを抱えて辛い人生を歩む人もいます。個人の能力や健康、性格的なことなども、自分の理想通りに与えられる人はそうそういないでしょう。

そうした運命的なものが、人間にとって大きな問題になると考える時、神様と向き合う心、すなわち信仰がいかに大事なものかが実感されます。信仰によって、与えられた自分の人生を真正面から受け入れることが出来れば、いたずらに他人と比較することなく、自分だけのかけがえのない道を歩む力が湧いてきます。

親神様は、人間が互いにたて合いたすけ合って、陽気ぐらしをするのを見て神も共に楽しみたいとの思いから、この世界と人間をお創り下さいました。親神様はすべての人々の親ですから、私たち可愛い子供一人ひとりに公平に、陽気ぐらしへと向かう道をご用意下さっています。

しかし私たちはそれぞれ、基礎体力も違えば、背負う荷物の重さもバラバラです。しっかり進む気力がなければ、途中のデコボコ道やぬかるみに足を取られるかもしれない。「こんな所を歩くのはもう嫌だ!」と、横道へそれてしまう人も出てくるでしょう。

教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、そんな私たちの歩み方に警告を発しておられます。

 

  月日にハたん/\みへるみちすぢに
  こわきあふなきみちがあるので (七 7)

 

  月日よりそのみちはやくしらそふと
  をもてしんバいしているとこそ (七 8)

 

  にんけんのわが子をもうもをなぢ事
  こわきあふなきみちをあんぢる (七 9)

 

  それしらすみな一れつハめへ/\に
  みなうゝかりとくらしいるなり (七 10)

 

この、ついうっかりと、何の注意も払わずに何となく暮らしている私たちのために、万人のお手本として進むべき道をお示し下されているのが、教祖の五十年にわたる「ひながた」です。

信仰とは「信じて」「仰ぐ」と書きますが、ただお手本たるひながたを仰ぎ見ているだけでは、運命を好転させるのは難しいでしょう。教祖のひながたを頼りに、教えを素直に実行してこそ、人生の限りない充実感を味わうことが出来るのです。

(終)

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