第1350回2025年9月5日配信
タイでひろがるたすけ合いの輪
病の妹をたすけたいと、修養科を志願したチューンさん。しかし、コロナ禍でタイ語クラスは中止となってしまった。
タイでひろがるたすけ合いの輪
タイ在住 野口 信也
私はタイへ赴任して14年目になります。教祖140年祭に向け、皆が心を一つにして、病気の方や困っている方の力になってもらいたいとの真柱様の思いを少しでも実現するため、教友の方々と様々な取り組みをしてきました。そうした中、身近な方々が重病を発症されたり、急にお亡くなりになるなど、心を倒しそうになることもありましたが、大きなたすかりを頂戴することも多くあり、教祖の年祭へ向けた活動の大切さを改めて感じる毎日です。
そうした活動の中でのことをお話したいと思います。友人の誘いで信仰を始め、母親の大けがを通して親神様の大きなご守護を体験したチューンさんという方がいます。私の住むタイ出張所の近くで小さな料理屋を経営し、そこに妹さんと住んでおられました。
チューンさんの妹さんは優しくてとても温厚な方でしたが、病弱で心臓病や重度の糖尿病など様々な病気を併発していて、私は病気の平癒を願い、何度かおさづけをさせて頂いていました。かいさ
しかしその後少し遠方に引っ越され、コロナ禍もあり思うようにお会いできなくなってしまいました。
チューンさんは以前から、自分も人類のふるさとである天理で教えを学ぶべく修養科を志願し、おさづけの理を拝戴して、一日も早く妹におさづけを取り次ぎたい、と話していました。
そして、2020年5月から開始予定の修養科タイ語クラスに志願するため、料理屋を辞め、日本のビザを取得し、後は出発を待つのみでしたが、コロナ禍の影響で二年に一度開催されるはずのタイ語クラスが急遽中止となってしまいました。そして、あらためて開催されることになった2022年の修養科タイ語クラスへの志願を目前に、妹さんは残念ながらお亡くなりになりました。
私は、チューンさんは修養科を辞退されるのでは、と思いましたが、「神様との約束ですから」と初志貫徹。修養科にて三か月間学び、自身の悩みの種であったひざの痛みも完治のご守護を頂き、勇んでタイへ戻ってきました。
そして、知り合いや近所に病気の方やケガ人がいると、自身の学んできたことをお伝えし、妹さんに出来なかった思いも込めて、おさづけの取り次ぎを続けておられました。
「これまでおさづけを取り次がせて下さいとお願いして、一度も断られたことはありません」と、チューンさんは嬉しそうに話していました。
そんなある日、今年の一月のことです。チューンさんを信仰に導いたBさんから連絡があり、チューンさんから緊急のラインが入ったとのこと。現在、バンコクから約400キロ離れたブリラム県の病院で母親の看病をしているが、膀胱炎で血と膿が止まらず、心臓肥大に末期の腎不全など様々な症状を併発している。94歳という年齢も考え、延命治療は断っているが、検査のための採血などで腕は青あざだらけで、可哀そうで仕方がない。お母さんが安らかな最期を送れるようお願いして欲しい、とのことでした。
お母さんは家庭の事情から、チューンさんの兄嫁の実家へお兄さんと一緒に引っ越しておられたので、10年ほどお会いできていませんでした。私は何とかもう一度お会いしたいと思い、すぐに車を運転してBさんと現地へ向かいました。
到着後、病室へ入ると、お母さんはとても苦しそうで話が出来る状態ではなく、すぐにおさづけを取り次ぎました。すると、たちまちいびきをかいて気持ち良さそうに眠ってしまいました。
私が来るのを待って下さっていて、このままお亡くなりになるのでは、という不安が頭をよぎりました。その横でチューンさんとBさんは、「お母さんはこの辺りに知り合いがいないので、葬儀はバンコクでやりたい」など、今後のことについて相談をしていましたが、夜間の地方道路での運転は危険を伴うため、15分ほどの滞在ですぐにバンコクへとんぼ返りしなければなりませんでした。しかし帰りの運転中も、バンコクへ到着してからもお母さんの容態が気になって仕方がありませんでした。
翌日、Bさんからチューンさんのラインが転送されてきました。そこには、「お母さんの病状がとても良くなり、表情も明るくなり、呼吸器も簡易のもので事足りるようになりました。家族みんなで喜んでおり、お医者さんは二日後には自宅療養できると言っています」と書かれていました。
私はそれを見て大変驚きましたが、事情を知っている出張所の事務員も、この話を側で聞いていて、「鳥肌が立った」と言ったほどでした。チューンさんの献身的な看病と、心を込めたおさづけの取り次ぎにより、本当に鮮やかなご守護を頂戴しました。
10日後、私は再度ブリラム県へお見舞いに行くことにしました。この時はバンコクに戻っていたチューンさんと、Bさん、そして長距離を運転する私を手伝うためにと、Bさんの娘さんも同行してくれました。
元気なお母さんにお会いできることを楽しみにお宅を訪問すると、とても苦しそうなお顔で眠っておられました。チューンさんが食事をさせようと起こしましたが、目もほぼ開けることが出来ず、顎が外れたようにぽっかりと口が開いていて、チューンさんがご飯を口元まで運んでも、とても食べられる状態ではありません。
お兄さんたちの話では、昨日まで元気に食事もとっていたとのこと。そこで、すぐにおさづけを取り次ぎました。チューンさん、Bさん、そしてBさんの娘さん、全員修養科を修了したばかりですから、私に続いて順番におさづけを取り次いで神様にお願いしました。
すると、いつの間にかお母さんの顔がいきいきと明るくなり、ぽっかり開いていた口もしっかり動き、おかゆのご飯を美味しそうに食べ始めました。あまりのことに、今度はこちらがぽかんと口を開けたような状態になりました。
帰りには、お母さんの隣のベッドで治療していた方のお宅を訪問しました。病院でのお母さんの回復した姿を目の当たりにし、是非自分も神様にお願いして欲しいと依頼されたのです。この方は若い頃から心臓の病気を患っておられ、またその方の母親も膝に痛々しい傷を持っていたため、そのお二人におさづけを取り次ぎ、バンコクへ戻りました。
それから20日後、お母さんはご自宅で静かに息を引き取られました。お母さんの御霊をタイ出張所の祖霊舎(みたまや)へお遷しするため、再度ブリラム県へ行き、また帰りには心臓病の方のお宅を訪問しました。チューンさんも葬儀を終えた後、このお宅へ行き、お二人におさづけを取り次ぎましたと報告をくれました。
チューンさんの真心と、お母さんが自身の病気を通して導いて下さった新たなたすけ合いの輪です。大切に育んで、バンコクから遠く離れたこの町にも、教祖の教えでたすかる方が少しずつでも増えることを楽しみにしています。
だけど有難い「三つの『元』」
「幸せの元」は何でしょう。お道を信仰している方であれば、お金や物の豊かさではないということはお分かりだと思います。実際、お金や物の豊かさというのは、「幸せの元」ではなくて「生活の元」です。全くないと生活できませんから、お金も物も必要です。では「幸せの元」とは何か。いったい人間は、どんなときに幸せを感じるのでしょうか。
あるアンケート調査によれば、「自分が人から愛されている、大切にされていると感じたとき」「人から信頼されている、頼りにされているというとき」「世の中、社会のために役に立っていると感じたとき」という答えが多いそうです。これらはいずれも、人のために動いたときに得られるものばかりです。自分が何もしなければ、人から愛されたり、大切に扱われたり、信頼されたり、頼りにされたり、また世の中や社会の役に立ったりすることはありません。
「人たすけたら我が身たすかる」という教祖の教えは、このことからもよく分からせていただけます。「幸せの元」は、人をたすけるところから生まれるのです。
もう一つ、大事なものがあります。それは「命の元」です。これは誰しも察しがつくでしょう。健康であるということです。
この「命の元=健康」というものは、自分ではどうにもなりません。これをご守護いただこうと思ったら、どうすればいいのか。それは「幸せの元」である、人をたすけること、そして「生活の元」である、お金や物を人だすけに使わせていただくことです。普通、人間は、自分さえ良ければいい、今さえ良ければいいと考えて、「生活の元」であるお金や物を自分のために使うのです。そうではなく、人のために使わせていただくのです。
「生活の元」に困っている、生きていくのが大変という人は、どうしたらいいのか。「命の元」である健康を頂戴しているこの体を使って、人をたすけさせていただく。そうすることによって、生きていく糧をお与えいただけるのです。
こう考えると「幸せの元」「生活の元」「命の元」というのは、それぞれ大いに関わりのあるものです。そして、おたすけの実践こそ、そのすべてを頂く本元なのです。
(終)