(天理教の時間)
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第1349回2025年8月29日配信

共に栄える理

家族円満 松村登美和
松村 登美和

文:松村 登美和

第1348回

心を込めたサービス券

駅前で布教をする私に、いつも餃子のサービス券をくれたAさん。身体を壊し、見かけなくなった彼を訪ねていった。

心を込めたサービス券

                大阪府在住  山本 達則

 

日々の街角での布教活動では、沢山の方々との出会いがあります。その中のお一人とのお話です。

いつも布教活動をしている駅周辺で、自転車整理の仕事をされている70代のAさんが、いつ頃からか声をかけて下さるようになりました。「おはよう。今日も頑張ってるな」と、いつも気持ちの良い笑顔で声を掛けて下さいました。

そのAさんが、ある時から「はい、これご褒美」と言って、新聞の切り抜きの餃子のサービス券を私の手に握らせて下さるようになりました。それはいつの間にか、毎週月曜日のルーティンのようになって、私が駅前に行くとすぐに満面の笑顔で近寄って来られ、餃子のサービス券を下さいました。

 

ある日のこと、いつもは裸のサービス券が、その日は小さなポチ袋に入っていました。私が「わざわざ入れて下さったんですか?」と聞くと、「これでちょっとはいい事あるかな」と、少し照れながら手渡して下さいました。

私が「きっとあると思います」と言うと、びっくりしたような顔で「ほんまか?なんでや?」と言われるので、「僕が喜んでいるからです」と答えると、「そうか、そういうもんなんや」と嬉しそうに言われました。それからは、餃子のサービス券は、必ずポチ袋に入れて渡して下さいました。

 

ところが半年ほど経つと、ある日を境に、ぱったりとAさんと出会わなくなりました。心配になり、同僚の方に聞いてみると、身体を壊して休んでおられるということでした。

住所は個人情報なので教えられないという事でしたが、いつもの雑談の中で聞いていた辺りを何となく探していると、意外と簡単にお宅が見つかり訪ねてみました。

インターホンを押すと中からAさんが出てこられ、少し驚いた様子でしたが、心配になって訪ねた事を説明すると、快く迎えて下さいました。聞くと、持病の腰痛がひどくなり、一日中立ちっぱなしの仕事が難しくなったとの事でした。

それより私が驚いたのは、「腰がましになったら、持っていこうと思ってたんや」と言って、5枚のポチ袋に入ったサービス券を下さった事でした。

 

それから、しばらくお話を聞かせて頂くことが出来ました。Aさんには娘さんが一人おられ、数年前に結婚されました。

 

しかし、一年ほど前から夫婦仲がうまくいっておらず、実家に帰ってきては愚痴や不満をこぼすことが多くなってきました。最近では離婚についても言い始め、孫の事を思うと何とかならないものかと、夫婦で心配ばかりしているという事でした。

「でもな…」とAさんは続けて話して下さいました。

「あんた、前に自分が喜んでるから、自分を喜ばしてくれたから、餃子のサービス券でもいい事あるって言うてくれたな。だから、娘のことも自分ら親だけは喜んでやろうと思って、娘にも話してみたんやで。世の中には結婚したくても出来ない人もいるし、子供を欲しいと思っていても授からない人もいる。旦那さんに対しても、不満や愚痴をこぼしたくなるような事があるにせよ、それは旦那さんがいるからで、いなければそんな事も出来ないもんなって、そう話してみたんや。娘は黙って聞いておった。親である自分だけは、心配するだけでなくて、喜んでやろうと思ってんねん。これでええんやろ、天理さん」

Aさんは満面の笑顔で話して下さいました。

 

「そうなんですよ。私たちの日常の中では、自分にとって都合のいい事、悪い事、喜べる事、喜べない事、楽しい事、腹立たしい事、色んな事がありますが、それは私たちがそう判断しているだけなんです。それらすべては、私たちが陽気ぐらしをするために神様が与えて下さっている姿ですから、それをどう喜ぶか。そのための努力を、神様は私たちに期待されているんだと思います。

だから、あまり面白くない事が起きても、その中で喜びを見つける努力をする。そうすると、次に何が起きても、それまでよりも喜べる心になるというのが、天理教の教えの一つなんですよ」

私がそう言うと、Aさんは、「うん、うん、ほんまやな」とうなずきながら聞いて下さいました。

 

それからしばらくして、Aさんは仕事に復帰されました。そして、「今日もいい音してるな」と拍子木の音を褒めて下さった後で、「はい、これ」と言って、ポチ袋に入れた餃子のサービス券を下さいました。

日常生活での「家族円満」への道は、喜べないような中であっても、少しでも喜ぶ努力をすることが一番の近道なのではないかと改めて思いました。


 

梶本宗太郎さん

 

小さい頃から、教祖のお屋敷へ引き寄せられ、その教祖の温かい親心にふれ、生涯を信仰にささげた者は数多くいます。

教祖のひ孫にあたる梶本宗太郎さんも、その一人です。小さい頃の教祖との思い出を、このように語っています。

 

教祖にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同士遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。

それでも、「今、やったやないか」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖は、子供が非常にお好きやったらしい。

櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。

私は、曾孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。それで、

 「早う、一人で来るようになったらなあ」

と、仰せ下された、という。(『教祖伝逸話篇』193「早う一人で」)

 

教祖の懐に抱かれながら成長し、家族共々お屋敷へ入り込み、教会本部に長らく務めた宗太郎さんは、後年、このようなお話をしています。

 

このお屋敷に連れ帰られたみなさまこそ、まことに幸福な方々であります。

だれ一人として不足な心づかいで帰りている者がありましょうか。病気をたすけてもらったうれしさとか、今までは内々も、親子、兄弟、夫婦の中をむつまじく暮らせなかったが、教えの理を聞かしていただき、内々が互い互いの心の改良ができて円満に通させていただいているとか、そのうれしさを神様に報告申し上げるとか、親神様のひざ元に参りて心のさんげをさせていただきたいとか、今後は道の上で働かせていただく決心を告げ奉るとか、でありまして、何万の人々は和気藹々のうちにお屋敷にお帰りになったのであります。

 

お言葉にも、

  をもしろやをふくの人があつまりて

  天のあたゑとゆうてくるそや   (四12)

  にち/\にみにさハりつくまたきたか

  神のまちかねこれをしらすに   (四13)

とお諭しありますごとく、喜び勇んで帰るみなさまを、神様は日々にお待ちかねておいでになります。

 

まさに、教祖に引き寄せられた喜びそのままに、宗太郎さんは生涯をこの道の信仰に捧げたのでした。(終)

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