第1346回2025年8月8日配信
待ちに待ったカラオケ
障害のある長女は、一人で外出が出来ない。そんな彼女が「カラオケに行きたい」と言い出した。
待ちに待ったカラオケ
埼玉県在住 関根 健一
小学生のあこがれの職業に「YouTuber」がランクインした時、ニュースがこぞって取り上げて話題になったことは記憶に新しいですが、今ではランキングに並んでいても、特に話題にならなくなってきました。さらに時代は先に進んで、動画配信サービスやAIなどが日常にあふれて、人々の娯楽というものは多岐にわたっています。
私が小学生の頃はというと、専らテレビが娯楽の中心でした。その頃、同級生の間では戦隊ヒーローやアニメが流行っていましたが、印象的な子供向けのドラマもたくさんあったと記憶しています。
中でも「あばれはっちゃく」というドラマが、私にとっては毎週の楽しみの一つでした。やんちゃで情にもろい昔ながらのガキ大将の主人公を同世代の男の子が演じ、5代目まで続いた人気シリーズで、児童向け小説が原作でした。
各回の細かい内容は覚えていませんが、学校から自宅へ帰った主人公がランドセルを放り投げて一目散に遊びに出かけていくシーンや、主人公の破天荒ぶりに「父ちゃん、情けなくて涙が出てくらあ!」と父親が叱りつけるシーンなどが大好きで、放送された次の日に学校で友達とモノマネをしたことを今でもしっかり覚えています。
その頃の私は、あばれはっちゃくの主人公の性格とは真逆で、外で活発に遊ぶよりも家の中で遊ぶのが好きで、木登りや虫取りなど、当時の男の子達が夢中になっていた遊びがどちらかというと苦手でした。
自分が出来ないからこそドラマの主人公に憧れを抱き、毎週楽しみにしていたのかもしれません。そんな子供の頃の思い出もあってか、「元気に遊ぶ子供」のイメージは、いつもランドセルを放り投げて遊びに行くあばれはっちゃくの主人公の姿です。
やがて生まれてきた我が家の子供たちは、二人とも女の子だったので、あばれはっちゃくとはちょっと違いましたが、長女が特別支援学校に通うことになり、障害のある子供たちの「遊び」の環境には別の問題も多いことを教えてもらいました。
遊びは、子供たちに多くの学びを与えてくれます。小学生になると、ほとんどの子が、親がいなくても子供同士で約束して公園で待ち合わせをしたり、お互いの家を行き来したりするようになりますが、障害のある子供たちはそのようなことが出来ません。
そんな自分たちで遊ぶことが難しい子供たちのために、平成24年度から「放課後等デイサービス」という制度ができました。
一般の学童保育は保護者が働いていて不在の時間、子供を預かることが目的ですが、放課後等デイサービスは、障害があって支援が必要な子供に対して、様々な体験を提供し、健全な育成を保障していくことが目的です。
我が家の長女も、制度が始まった当初からこのサービスを利用してきました。放課後の時間、必要な支援を受けながら、本を読んだりゲームをしたり、同級生だけでなく、小学生から高校生までの幅広い年代の子供たちとの交流を通じて、色々な体験をさせてもらいました。この場で培われた感受性は、彼女の現在にまでとても大きな影響を与えています。
高校を卒業すると放課後等デイサービスの制度は使えなくなり、今度は成人向けの福祉サービスの中で暮らすことになります。長女は現在、生活介護サービスという制度を利用して、日中を事業所で過ごしています。
働くというよりも、日中を穏やかに過ごすことが目的ですが、ここでは最高65歳までの方がサービスの対象となるため、放課後等デイサービスの頃よりも、さらに幅広い年代の利用者さんと関わることになります。
人と関わることが好きな長女は、行き始めてすぐに施設の雰囲気に馴染みました。それと同時に、先輩たちが長年の経験から様々なサービスを使って充実した生活を送っていることを見聞きして、大いに刺激を受けました。
そのうち、自分から「お出かけに行きたい」などと言い出しました。施設の職員さんに聞いてみると、「この前、〇〇さんがお出かけした話を聞いたから、自分も行きたいと思ったのかもしれません」と教えてくれました。
そこで、長女にどこに行きたいのか聞いてみると、「Kさんとカラオケに行きたい」と言うのです。Kさんとは、おしゃれな服を着て、ピンクの可愛い車に乗って週に何度か送迎の介助に来ている女性のヘルパーさんのことで、いつも長女の話し相手になってくれるので、一緒に行きたいと思ったようです。
長女の希望を叶えるべく、Kさんの所属している事業所とも相談して、二か月後に移動支援サービスを使って、Kさんご指名でカラオケに行くことが決まりました。
長女にそのことを伝えると、翌朝、起きて着替える時から「Kさんとカラオケに行くんだ~」「嵐の歌を一緒に歌うんだ~」と、家を出るまでずっとその話をしています。帰宅しても、寝るまでの時間、思い出すと「Kさんとカラオケに行くんだ~」と二か月の間、ほぼ毎日繰り返し言っていました。
普段送迎に来てくれるKさんも、「当日は車で3時に迎えに行くね」とか、「カラオケは車椅子が入れるお店を予約したよ」と声を掛けてくれて、益々楽しみになっていったようです。
やがて当日を迎え、移動も含めて3時間を過ごして帰宅しました。大好きなKさんと大好きなカラオケに行って、本人はご満悦の様子で、目をキラキラさせながら「楽しかった~!」「また行くんだ~!」と話してくれました。
そんな長女の姿を見て、次女がボソッと「教祖がおっしゃる『たんのう』の意味が少し分かった気がする」と言いました。それを聞いた私は「なるほど!」と膝を打つ思いでした。
自分で考えて自由に行動できる身で考えると、たった3時間、移動してカラオケに行くだけなら、今すぐにでも出来ます。しかし、障害のある長女は、海外旅行にでも行くかのように、数か月前から待ちわび、準備をして、当日、その時間を精一杯楽しんできました。
「たんのうは前生いんねんのさんげ」とも聞かせて頂きます。たんのうすることはなかなか難しいことだと常々思っていましたが、出来ないことに目を向けるのではなく、出来る中で精一杯楽しむ長女の姿に、たんのうすることのヒントをもらえた気がします。そして、そこに気づいた次女の素直さにも頭が下がります。
私たちの幸せは、どこかから持ってこなければ存在しないものではなく、今の自分の中に十分にあるのだと思います。心の中にある幸せをたくさん見つけられるように、長女の姿と次女の素直さをお手本にしていきたいと思います。
真実の願いは埋もれない
人間には誰しも欲があります。「よくのないものなけれども」と、みかぐらうたにあるように、欲のない人間はいないと親神様は仰っています。生きるうえで必要な欲もありますから、ある程度は許されていると考えても良さそうです。
ところが、人間というものはいかにも欲深くて厚かましい。おつとめで親神様に拝礼をしている時、どんなことを願っているでしょうか。自分の健康な身体にお礼を申し上げる、今日も結構な目覚めを頂けた、あるいは身近な家族か親戚が病気で臥せっているのでたすけて欲しい、上司との関係で悩んでいる友人の気分が少しでも晴れますように…。このような謙虚なお願いなら親神様はお受け取り下さるでしょう。
ところが、なかには「もっとお金が儲かりますように」だとか、努力もせずに「テストの点数が上がりますように」なんていうお願いをする人もいるでしょう。親神様も、時に何千、何万ものお願いを一度に聞かれるわけですから、そんな自分勝手なお願いまでは手が回らないかも知れません。
親神様は、そんなたくさんのお願いの中でも、「私のことはどうでもいいのです。困っているあの人のことを、どうかたすけてください」という声を、スーッと聞き入れて下さるのではないでしょうか。
「ほしい、ほしい」と求めてばかりいる人と、「あの人をたすけてください」と真剣に祈りを捧げている人とでは、神殿で額づく際にも、おのずと醸し出す雰囲気が違ってきます。ですから、後者のような真実の願いは、どんなに大勢の人の中でも埋もれず、確実に親神様の元に届くのです。
「おふでさき」に、
をやのめにかのふたものハにち/\に
だん/\心いさむばかりや (十五 66)
とあります。
人様のことを考え、そのたすかりを祈る時間が長いほど、心はますます勇んできます。そうして自らの欲の心は自然に取り払われ、親の思いに近づいていくことが出来るのです。
(終)