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第1307回2024年11月8日配信

知ることからはじめてみませんか?

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関根 健一

文:関根 健一

第1305回

神様の大作戦(後編)

医療短大は16倍の狭き門。その受験で思わぬ出来事が!〝自分の力や意志と違う。助産師になるように仕組まれてる…〟

神様の大作戦(後編)

助産師  目黒 和加子

 

臍帯剪刀を手にしたこの日は、奇しくもおさづけの理を戴いたあの日と同じ717日だったのです。

「これって偶然? 教祖に助産師になってみせるって言うたけど、もしかしてなるように仕向けられてるの?」

神様が練った作戦に気づき始めたのです。

私が目指したのは、新潟大学医療短大助産専攻科です。入試の2ヵ月前、腰の激痛で椅子に座れなくなり、近所の整形外科を受診、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。

新潟大学を受験することを、院長の南先生に伝えると、「僕は30歳の時に造船会社をリストラされて、一念発起して医学部を受験して36歳で医者になったんや。34歳で受験か。新潟に行けるよう全力で応援するで」と、嬉しいお言葉。

痛みを抑えるため、飲み薬だけでなく神経ブロック注射も受けましたが、効果は今ひとつ。これでは飛行機に乗れません。すると南先生は、私が搭乗予定の日本エアシステムに、「人生をかけた34歳での受験なんです。3人席の肘掛けを上げて、横にしてフライトしてもらえないでしょうか」と、手紙を書いてくださったのです。

日本エアシステムからの返事は、「離陸と着陸の時は座ってもらい、それ以外は希望通りになるよう配慮します」とのこと。なんとまあ、こんなことがあるのでしょうか。私はこうして、ひどい腰痛を抱えたまま新潟大学を受験することができたのです。

入試が終わり、帰りの飛行機での出来事。満席のため、行きと違いどうしても座らなければならず、痛み止めの座薬を入れて飛行機に乗り込みました。客室乗務員さんがひざ掛けを丸めて腰に当ててくれるのですが、効果がなく冷や汗が出てきます。

すると、隣りに座っていたおじさんが、「どうしたの? 腰が痛いの?」と心配そうに声を掛けてきました。「はい、腰椎にヘルニアがありまして…」と答えると、「ワシも30年前からヘルニア持ちなんや。おっちゃんに任しとき!」と言って、客室乗務員さんにひざ掛けを何枚か持って来させ、それを私の背中と椅子の間にぎゅうぎゅうに詰め込み、がっちり固定。すると、痛みが引いたのです。

驚いた顔の私に、おじさんは「腰のヘルニアは治ることはないけど、上手に付き合えるで。大丈夫やで」と、笑顔で励ましてくれました。

石田病院に勤めて数カ月後、看護師のなっちゃんから電話がありました。なっちゃんは看護師として勤務しながら、助産師学校の合格を目指して予備校に通っていたのですが、突然、「私、結婚するから助産師目指すのやめるわ」と言うのです。

「せやから、和加ちゃんに予備校の教材全部あげるわ。高かってんで、がんばりや!」なんと、教材をタダで手に入れてしまいました。

「よし、これで学科試験は何とかなる。問題は小論文や」

今でこそ、こうして原稿を執筆していますが、その当時は小学生の作文のような文章しか書けなかったのです。早速、予備校の通信教育小論文コースで指導を受けることにしました。

予備校の先生から課題をもらい、小論文を書いて提出するのですが、毎回戻ってくる原稿用紙は、赤ペンの修正だらけ。

9月に送られてきた課題は、「現在の日本における老人看護の現状とこれから」。9月半ばに小論文を提出し、添削指導が戻ってきたのは10月初旬でした。

封筒を開けてビックリ! 新しい原稿用紙に万年筆で書かれた模範解答が入っていたのです。おそらく、修正箇所が多すぎて真っ赤っかになったので、一から書いてくださったのでしょう。

「すごい! さすが赤ペン先生、めちゃめちゃ上手いわ。なんて素晴らしいお手本なんや」

次の日からその模範解答をかばんに入れ、通勤電車の中で黙読を続け、1カ月後には暗記できるようになりました。この模範解答の暗記が、入試で効いてくるのです。

推薦入試の受験日は11月末。定員は20名ですが、そのうち推薦入試の枠は、たったの5名。私の受験番号は2番なので、何人受験するのか検討がつきません。

いよいよ受験当日。新潟大学の試験会場に行ってびっくり! なんと80名を超える受験生がいるではありませんか。競争倍率16倍の超狭き門です。

「これは絶対に無理やで…」がっくりモードで学科試験が終了。次は小論文の試験ですが、ここで信じられないことが起こります。

出された小論文のテーマは、「我が国における高齢者への看護の課題と将来」 あれ? これって? まさか……。

リスナーの皆さん、お気づきでしょうか。赤ペン先生が模範解答を送ってくださった小論文の課題は、「現在の日本における老人看護の現状とこれから」でしたよね。そうなんです。表現が違うだけで、同じことを求めている問題だったのです。体中に鳥肌が立ちました。

夢中で暗記していた赤ペン先生の模範解答を書き終えましたが、体の震えが止まりません。

〝自分の力や意志と違う。助産師になるように仕組まれてる。きっと合格させられる!〟

結果は、予想通り、合格。入学してすぐ、担当教授から「あなたの小論文、素晴らしかったわ」とお褒めの言葉をいただきました。そうでしょうとも…。

会ったことのない赤ペン先生に、心から感謝申し上げました。

助産専攻科の卒業間近、風邪から副鼻腔炎を再発。急性増悪して新潟大学病院で診察を受けた時のことです。蝶形骨洞のCTを撮ると、それを観た耳鼻科医の顔色が変わりました。

「あなたの蝶形骨洞の骨は本当にペラペラです。また手術しないといけなくなっても、僕には無理です。恐くて触れません。すぐに点滴で炎症を抑えましょう」

さらにドクターは、もう一度CTフィルムをジーッと観て、「骨まで溶かす炎症だったのに、どうして蝶形骨洞内を走る視神経がやられなかったんでしょう。人間の身体の中で一番硬いのは骨ですから、視神経がダメージを受けずに失明しなかったのは奇跡ですね」と目を丸くして言いました。

点滴を受けながら、この十数年間に起こった出来事を振り返りました。

17歳でおさづけの理を戴いて、23歳で結婚して修養科に行って、離婚して、看護師になったのに病気になって、治療を失敗されて、クビになって、自殺を目撃して、教祖に「助産師になってみせる」なんて生意気に言い放って。

助産師になると決めてからは、あちこちでたすけてくれる人に出会った。耳鼻科の内田先生、整形外科の南先生、日本エアシステムさんのご配慮、帰りの飛行機で隣り合ったヘルニアのおじさん、赤ペン先生…。

そうか、すべては私を助産師にするためやったんか。だから、視神経が守られて、失明せえへんかったんや〟。

こういう経緯で助産師になったのですが、「なった」というより「ならされた」という方がピッタリですよね。あれから28年。何度か副鼻腔炎を再発しつつも、脳炎にはならず現在に至っています。

神様の大作戦は、「私を助産師にすること」でした。では、助産師にして何をさせたいのでしょう。それこそが、神様の真の目的ですよね。

私は今年で還暦となりますが、今も助産師にさせられた真の目的を考え続けている道中です。いつか、「なるほど、こういうことなのね」と、神様の思いが分かる日が来ると信じています。

 


 

神にもたれる

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」が教えられた「みかぐらうた」に、「なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする」とあります。

「神にもたれる」という表現は、その他のお言葉にもしばしば出てきますが、どのような意味を表しているのでしょう。

「もたれる」とは、何かに依存したり、頼ったりと、受動的な態度のようにも思えますが、ここでは決してそのようなことを意味しません。神様にもたれるには、目に見えないものに対する心の中の不安や疑念を払拭しなければならないのですから、相当の勇気が必要になります。

教祖は、直筆による「おふでさき」で、

 

  これからハどんな事でも月日にハ
  もたれつかねばならん事やで (十一 37)

 

  これからハ月日ゆう事なに事も
  そむかんよふに神にもたれよ (十三 68)

 

と記され、狭い人間思案を捨て、目先のことにとらわれず、神様に決して背くことなくもたれ切って通るようにとお諭しくださいます。

そして、「天の理に凭れてするなら、怖わき危なきは無い」(M23・6・29)と私たちを励ましてくださいます。

しかし、そのような思いに沿えない私たちに、神様は時として身体にしるしをお見せ下さいます。

 

  めへ/\のみのうちよりもしやんして
  心さだめて神にもたれよ (四 43)

 

  みのうちのなやむ事をばしやんして
  神にもたれる心しやんせ (五 10)

 

「かみにもたれてゆきまする」とは、人間の知恵や力で捉えられる範囲を超えて、一切を神様にお任せします、との決意表明と言えます。自己中心的な欲の心を離れ、神様にもたれ切る時、そこに真実のご守護の姿が表れるのです。

(終)

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