(天理教の時間)
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第1332回2025年5月2日配信

メグちゃん、「ようぼく」になる

目黒和加子先生
目黒 和加子

文:目黒 和加子

第1287回

トイレのスリッパ

目に見えない大切なものについて、子供たちに伝えたい。そう考えた時、幼い頃の祖父との思い出がよみがえった。

トイレのスリッパ

  岐阜県在住  伊藤 教江

 

「大切なことは、目には見えないんだよ」

これは、不朽の名作『星の王子さま』に出てくる有名なセリフですが、目に見えないからこそ、大切なことを伝えるのは難しいのだと思います。

私は四人の娘を持つ母親です。娘たちはすでに成人していますが、まだ幼い頃は毎日がドタバタで、本当に大切なことをちゃんと伝えてあげられたかなあ、と反省するばかりです。

もう二十年以上前になりますが、長女が幼稚園に通う前の入園説明会でのことです。先生が園児たちに向かって、こう言いました。

「皆さん、今日はお母さんにお礼を言いましょうね。お母さんは毎日、皆さんのために朝早くからご飯を作ってくれたり、お掃除をしてくれたり、お洗濯をしてくれてますよね。だから、今日はお母さんにお礼を言いましょう」

すると、一人の園児が「先生、どうしてお母さんにお礼を言わなくちゃいけないの?だって、ご飯は炊飯器が炊くし、お掃除は掃除機がするし、お洗濯は洗濯機がするんだよ」と言ったのです。

その言葉に私は衝撃を受けました。幼い子供にとって、目に見える物事は分かるけれど、そこにあるはずの目に見えない母親の心までは分からないのだと…。

世の中には、形があり、目に見えるものだけが存在しているわけではありません。生活する上での習慣や規則、さらに人の心など、形もなく目にも見えないけれど、確かに存在するものがたくさんあります。そして、大切なものほど、目には見えないものなのだと思います。

この園児に限らず、子供にとっては、目に映る毎日の何気ない母親の言動が全てだと言えるかも知れません。ただ、そこにある親心が伝わらなければ、子供のためになりふり構わず頑張っているお母さんにとっては、少し寂しいことです。

では、どうすれば毎日の生活の中で、目に見えない大切なものについて子供たちに伝えられるのか…。そう考えた時、祖父のある思い出がよみがえりました。

私は、六人兄弟の二番目の長女として育ちました。兄と三人の弟に挟まれ、いつでもどこでもお構いなしに走り回って遊んでいたので、履いていた下駄を、一日のうちに何度も玄関に脱ぎ散らかしていました。

すると、祖父がニコニコと微笑みながら玄関へやって来て、決まって「下駄の乱れは心の乱れや」と言いながら、私たちの下駄を一つ一つ丁寧に揃えてくれるのでした。そんな祖父を真似て一緒になって下駄を揃えると、祖父は私の頭を優しく撫でながら、「いい子だね。上手に揃えられたね。みんなが下駄を履く時、喜ぶよ。教祖も、お手々たたいてお喜び下さっているよ」と褒めてくれたものでした。

当時の私は、「下駄の乱れは心の乱れ」という言葉の意味までは理解できませんでしたが、ただ祖父がニコニコと微笑んで褒めてくれるのが嬉しかったのです。

しかし、今思うと、祖父は幼い私に形ある「下駄を揃える」という行いを通じて、目に見えない心のあり方、たとえ小さなことでも心を込めて行うことの大切さを、繰り返し繰り返し、根気よく教えてくれていたように思います。祖父にはきっと、幼い子供たちに対して、「将来、少しでも人様に喜んでもらえるように育ってほしい」との強い信念があったのだと思います。その祖父の心が、自分自身が親になって初めて見えてきたような気がしたのです。

そこで、幼い娘にも出来る、人に喜んでもらえる行いは何だろうと考え、トイレのスリッパを揃えることを思いつきました。毎日一緒にトイレに行き、スリッパを揃えながら、このように言い聞かせました。

「こうやってきちんと揃えると、トイレに急いで来た人がすぐに履けるよね。あなたもスリッパが揃っていたら、すぐにトイレに入れるから嬉しいでしょ?」

「うん!そうだね、嬉しい!」

そうして、お手本を見せては同じ会話をし、娘が揃えた後で思いっきり褒めてあげることを繰り返しました。

そして入園式当日、早速、幼稚園のトイレに行き、一緒にスリッパを揃えて、それから思いっきりの笑顔で褒めてあげました。

次の日からは朝、幼稚園に行く前と、帰ってきてから、毎日同じ会話を繰り返しました。

「いってらっしゃい。今日もトイレのスリッパ上手に揃えてきてね」

「うん。わかったよ。お母さん、行ってきます」

「ただいま。お母さん、今日もトイレのスリッパ揃えてきたよ」

「おかえり。お利口だったね~」

私が祖父に褒めてもらって嬉しかったように、娘にも「お母さんの喜ぶ顔が嬉しいから」と思って楽しく実行してもらいたくて、毎日思いっきり褒めてあげました。

それから一年が過ぎたある日、娘の担任の先生が、「どうしてこんな幼い子が、毎日毎日トイレのスリッパを揃えられるのかを知りたい」と、教会を訪ねてきて下さいました。

「幼稚園ではみんなで一緒にトイレに行くんですが、娘さんは自分が用を済ませた後もずっとトイレの前にいて、最後のお友達が済んだ後に、バラバラになったスリッパを、タイルの床に手をついて、楽しそうに一足ずつ揃えてくれるんです。私も結婚して子供が授かったら、こんな素敵な子に育てたいです」

先生は、そう話して下さいました。

その後、先生は結婚を機に夫婦揃っておぢば帰りをされ、神様のお話を聞く「別席」を運ばれました。そして、安産の守りである「をびや許し」を戴いて出産した二人のお子さんと、幸せな家庭を築いておられます。

トイレのスリッパを揃えるという小さな行いが、人の運命をも変える大きな喜びとなりました。子供や孫たちには、自ら進んで人の心に寄り添い、人だすけができるように育ってほしいと、心から願っています。

 


 

月日にんけんをなじ事

 

人間誰しも、「いつ、どこへ生まれようか」などと考えて生まれてきた訳ではありません。皆、自分の出生については、後に親に教えられて知ることができるのですが、たとえ生みの親であっても「どう生きていけばいいのか」については、親の願いを話すことはできても、絶対に間違いのない道を指し示すことはできません。それができるのは、この世界と人間を創られた創造者のみです。

創造者は、造られたものの側、すなわち人間の方から認識することが難しい存在です。だからこそ創造者である親神様は、この世の表に現れ、自ら「元の神・実の神」であると宣言され、人間創造の目的であり、私たちの目指すべき「陽気ぐらし」について教えられたのです。

次のようなお言葉があります。

 

  せかいぢうみな一れつハすみきりて
  よふきづくめにくらす事なら (七 109)

 

  月日にもたしか心がいさむなら
  にんけんなるもみなをなし事 (七 110)

 

  このよふのせかいの心いさむなら
  月日にんけんをなじ事やで (七 111)

 

世界中すべての人々の心が澄み切って、陽気あふれる暮らしをするようになれば、神の心が勇んでくると共に、人間も同じように勇んでくる。こうして世界中の皆の心が勇み立ってくるなら、神も人もその喜びと楽しみとを一つにした、神人和楽の世界が実現するであろう。

「月日にんけんをなじ事」とのお言葉で、真実の親子なればこその響き合う間柄をお示しくだされています。親神様は、決して彼方に仰ぎ見るばかりの遠い存在ではなく、進んで親子団らんの輪の中に入り、私たちに優しい眼差しを注がれる実に身近な存在です。その親神様の思いに応えることが、私たち子供のたどるべき道であり、陽気ぐらしへとつながる道なのです。

(終)

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