(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1242回

嬉しいことがあったら

次女は、障害のある長女と生活を共にし、様々な障害特性のある人と接してきたので、その特徴をよく知っている。

ひのきしん

 

「ひのきしん」は天理教独自の用語ですが、その意味するところは、特別理解できないものではありません。ひのきしんとは日々、心の真実を神様に捧げていく行為を指します。これは外から見れば社会に対する奉仕活動のように映るため、一般のボランティアとして理解されがちですが、あくまで大事なのは神様への報恩感謝の心です。

お言葉に、

 

  よくをわすれてひのきしん
  これがだいゝちこえとなる  (十一下り目 四ッ)

 

とあるように、ひのきしんの原動力は「欲を忘れる」ところにあります。物質的刺激の多い現在の世の中において、欲を捨て去るのは至難の業です。しかし、その先には何が待ち受けているでしょうか。

 

  なにもかもごふよくつくしそのゆへハ
  神のりいふくみへてくるぞや (「おふでさき」二 43)

 

己の欲望をたくましくする者には、神の立腹が表れてくる。その一つが病気です。人は病を得た時、もうお金も何もいらない、ただただ健やかな生活を送りたいと望みます。そうなって初めて、世俗的な欲望のむなしいことを知るのです。

もし再び健康が与えられるなら、今後はこの身体を自分の楽しみに費やすだけでなく、少しでも世の中のため、人様の喜びのために使おう。そういう心が生じたなら、その人はすでに、たすかる道の端緒についたも同然です。

 

  やむほどつらいことハない
  わしもこれからひのきしん (三下り目 八ッ)

 

何と言っても、生きてこの世界に存在すること、これにまさる喜びはありません。勇んだひのきしんの姿は、周囲の人々を自ずと勇ませていきます。そして、人を勇ませることは、人をたすけることにつながっていきます。

ひのきしんの実際、その行為の現れ方には、こうでなければならないという決まりはありません。お金やものを、人を喜ばせるために使っていくことも一つです。また、近所の清掃を心掛けたり、元気よくあいさつをしたり。できることは無数にあります。

人をたすける行いには、目に見える報酬が伴いません。しかし、ひのきしんを実践していくにつれ、人がたすかっていく姿、人の喜ぶ姿こそがいちばんの報酬である。そう感じられるようになるのです。

 


 

嬉しいことがあったら

 埼玉県在住  関根 健一

 

我が家の長女は脳性麻痺で身体(しんたい)に障害があり、車椅子で生活しています。介助が必要なこともあり、地域の小中学校ではなく、特別支援学校に通っていました。ですから、私たち家族も、特別支援学校で過ごす子ども達と接する機会が自ずと多くなってきます。

「障害」とひと言で言っても、その特性は様々です。食べ物へのこだわりが強く、白いご飯が食べられないような偏食の子。相手の反応がうまく読み取れずに、一方的に話しかけてくる子。体の硬直が激しく、言葉をうまく発することができない子。

先生方は、一人ひとりの児童・生徒が、社会に出て自分らしく生きられるようにと願い、それぞれの特性を見極めながら工夫して教育活動を行っています。

突然ですが、「カラーバス効果」という言葉をご存じですか? 心理学用語の一つで、カラーバスとは「色を浴びる」という意味だそうです。

例えば朝、テレビの占いで「今日のラッキーカラーは赤」と聞いた日は、街中の赤いものがいつも以上に目に飛び込んでくる。そのような現象を指します。新しい洋服を買えば、それと同じような服を着た人がやたらと目に付いたり、車を買い替えたばかりの時は、同じ車種の車がたくさん走っているように感じる…なんてことは、誰にでも経験があると思います。

私は障害のある娘がいることで、日頃接する機会が少ない人に比べて、街中で障害のある方に気づいたり、その方たちの些細な行動にも咄嗟に反応することが多いと思います。これもカラーバス効果の一つではないかと思っています。

我が家の次女は、生まれた時から障害のあるお姉ちゃんと生活を共にし、特別支援学校の行事にもついてきていたので、様々な障害特性のある人と接するのが当たり前の環境で育ちました。特に長女の同級生たちとは幼い頃から10年以上付き合っているので、気心も知れたものです。

次女が小学生の頃、ある日、家族でデパートの食品売り場に行きました。すると、どこからともなく大きな声が聞こえてきます。声のする方を見ると、ケーキが飾られたショーケースの前で、端から商品名と値段を読み上げている男性がいました。

周りには驚きの顔が多く見受けられ、店員さんもどうしたらいいのか分からないという表情をしています。

しかし、次女はその姿を見るなり「クスッ」と笑い、「ケーキが並んでいるのを見たら、確認したくなるんだね」と言いました。小さな頃から姉の通う学校で様々な人と接してきたので、「並んでいるものを見ると、声に出して確認したくなる」という強いこだわりを持つ障害者がいることを知っているのです。

普段接する機会が少ない人でも、電車に乗っていて時刻表を大きな声で暗唱している人や、街中で大きな声でおしゃべりをしている人を見かけたことはあると思います。そういう人を見かけた時、「何かされたらどうしよう」「怖い」。そんな感情を抱く人が多いのが現状です。でも、何回もそんな場面に遭遇してきた次女にしてみれば、「何が気になっちゃっているのかな?」と、むしろその人を観察することが楽しいようです。

障害のある人の中でも、一人で街に出て行動している人は、実は優秀な人なのです。家族や支援者と一緒に、何度も電車の乗り方や道順を勉強し、失敗を繰り返しながら、「一人で電車に乗っても大丈夫」というお墨付きをもらって、一人で行動しているのです。

では、そんな優秀な人が、なぜ街中で大きな声を出してしまうのでしょうか。例えば、誰でもファミリーレストランや居酒屋で楽しく歓談することがあると思います。気の置けない友人との会話の中で話が盛り上がり、ついつい大きな声を出してしまうことってありますよね?

そう考えると、多分その人たちも同じように楽しいことがあったのではないでしょうか。お給料をもらった帰り道、大好きな電車に乗ってデパートへ行ったら、おいしそうなケーキがたくさん並んでいる…。日々の生活の中で楽しいことがあれば、気分が上がるのは誰でも一緒です。

次女は大きな声に単に驚くのではなく、その人がなぜ大きな声を出しているのか、なぜ気分が上がっているのかを想像し、自分も楽しい気分のおすそ分けをもらっていたのかも知れません。

公共の場で大きな声が出てしまった時、大概の人は周囲からの視線やその場の空気を感じ、慌てて声を潜めたりします。しかし、知的障害のある人は「空気を読む」ことが苦手で、はっきりした指示がないと、自分の行動を振り返ることができない人が多いのです。

ですから、障害者支援の経験者がそばにいる場合は、「静かにしましょう」「大きな声で話しません」などと、具体的な指示を与えます。私も時々、電車の中などで、見ず知らずの方にそうした声掛けをすることがあります。

もちろん、みんなができることではありませんし、そうすることが常に正解とは限りません。でも、そんな場面に出会った時、我が家の次女のように、「あの人は何か嬉しいことがあったのかな?」という視点で見てみると、なんとなく彼ら彼女らの表情が柔らかく見えてくるかもしれません。

そんな人が少しずつでも増えていけば、今よりもちょっとだけ優しい社会になる気がしませんか?

(終)

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