(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1240回

次男の旅立ち

次男がコロンビアへ旅立った。私がかつて留学した時、親にどれほど心配を掛けたかを今さらのように理解した。

くにとこたちのみこと

 

神様は、人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと、この世界と人間をお造りくだされた、私たち人類の親であります。そして今も昼夜を分かたず、この世界の隅々から私たち一人ひとりの身体に至るまで、一切のご守護をくだされています。

教えでは、この神様のご守護を十に分け、それぞれに神名をつけて説き分けられていますが、そのうちの「くにとこたちのみこと」については、「人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理」と教えられています。

私たちは、ご守護を頂く筋道をこの説き分けから学ぶことが大切です。今回は、「くにとこたちのみこと」のご守護である「眼」について考えてみましょう。眼というものは、見る道具です。私たちが神様からお借りしている道具は皆、陽気ぐらしをするためのものですから、やはり見て喜ぶために使うということが基本でしょう。

逆に言えば、見るものに不足をしないということです。人と接する時も、常に人の良いところを探す。人の欠点をあげつらうのが得意な私たちにとって、最も大切なことです。

また、「世界では水の守護の理」と教えられていることから、眼を患った場合には、水の性質や働きから思案を重ね、普段の通り方を改める。これがご守護をいただく手立てとなります。

たとえば、「水は方円の器に従う」と言われるように、水はどのような器にも自らの姿形を変えて合わせることができる。そこから、わが身思案を捨てて、人の思いに添い切る心を作らせてもらう。また、水は高い所から低い所へ流れるという性質を考え、驕り高ぶることなく、常に低い心で通るよう心がける。あるいは、洗濯や食器洗いなど、物の汚れを洗い流す水のように、人の心を洗い清めるような、やさしく美しい言葉使いや、振る舞いを心がけるといったことも考えられるでしょう。

こうした思案の仕方には、決まった公式があるわけではありません。陽気ぐらしを望まれる神様の思いに沿うような身体の使い方、また心遣いを意識するうちに、ご守護をいただくための筋道が見えてくるのではないでしょうか。

 


 

次男の旅立ち

奈良県在住  坂口 優子

 

この春、次男が南米のコロンビアにある天理教の出張所の御用を頂いて、日本を発ちました。私が海外への留学経験があることや、教会で英語教室を開いていることで、小さい頃から外国語が身近にあり、海外への興味を強く持っていた次男にとって、このお話は飛び上がるほど嬉しかったと思います。

高校から天理で寮生活をはじめた次男とは、天理教校専修科での二年と合わせて五年間一緒に暮らしていなかったので、彼がいない生活は慣れっこのはずでした。ところが、今回の御用では二年間帰国の予定がないと聞いて、急に寂しさが込み上げてきました。

昨年12月にコロンビア行きが正式に決まった直後の年末年始の休暇は、家族みんながそれぞれに次男との時間を大切に過ごしました。特におじいちゃんは、日本にいる間に好きな物を食べさせてあげようと、料理の腕を振るってくれました。

元日の朝も、「よおけえ食べよ。二年間食べられへんねんから」と、お寿司を用意してくれました。年末から繰り返しそんなことばかり言うおじいちゃんに、「寂しくなるから、もう言わんといてください」と、おばあちゃんが涙ながらに言います。その二人のやり取りに、私ももらい泣き。

「もう泣いてんの!?」長女だって本当は寂しいはずなのに、困った顔の次男の隣りで、笑顔でお正月のおめでたい席を盛り上げてくれました。

出発は4月4日に決まりました。39日に天理教校専修科の卒業式を終えて自宅に戻ってから、準備の時間は一ヶ月もありません。ところが、時間がないというのにアルバイトや友達とのお別れに毎日大忙し。準備が進まないことに、私だけが焦っています。

ところが私も、27年前、インドへ留学する直前は、彼とまったく同じことをしていました。出発も近いのに毎日アルバイト漬けで、それが終わると毎晩のように友達に遊ぼうと誘われ、連日お別れ会をしていました。

出発直前、自宅で開いたバーベキューパーティーで、母が泣いているのを見て、私が留学することで親に寂しい思いをさせていることに初めて気づいたほど、当時の私は親の思いに鈍感だったのです。

一カ月に一度だけ許されていた現地からの国際電話で、母はいつも泣いていました。どれほど心配してくれていたのか、次男の出発を目前にして、その頃の母の気持ちが痛いほど分かりました。

4月4日、出発当日。この日、私たち夫婦は六年ぶりに四人の子どもたちと一緒に、家族全員でおぢばで参拝することができました。

長男、次男、長女が生まれた後、四人目の子を流産してから、いつかまたこの子の魂に出会えるようにと、毎月必ず家族揃っておぢばで参拝を続けていました。それから8年が経ち次女をお与え頂きましたが、その翌年に長男が天理の高校で寮生活を始めたのをきっかけに、なかなか家族揃っての参拝が叶いませんでした。

神殿に座り、願ったことはきっとみんな同じ。次男の海外生活での無事と、また家族揃ってここへ帰って来られますように。その気持ちでおつとめをつとめました。

おとつめの第一声で声を詰まらせた主人に釣られて私も歌えなくなり、それを察した長男が大きな声で音頭を取り、神殿には子どもたちの声が響きました。そういえば、長男、次男、長女がおぢばの高校へ入学する時も、この日と全く同じ状況でした。そんな思い出話をしながら回廊を歩いていると、どんな日にも私たち家族を見守り続けてくださった神様の親心を思い、胸がいっぱいになりました。

関西空港へ到着すると、搭乗手続きを済ませた次男は、「じゃあ、行ってくるわ!」とあっさり保安検査場へ向かう列に並んでしまいました。しばらく会えない彼をしっかり抱きしめてから見送ろうと思っていたのに、できませんでした。

主人も娘たちも涙を流して見送りましたが、次男は一切後ろを振り返りません。その姿に、若い時の自分がまた重なりました。27年前、インドへ出発した時、空港まで見送りに来てくれた家族や親せきの姿をまったく覚えていないのです。私も後ろを振り返らずに、前だけを向いていました。

それは決して家族のことを思っていなかった訳ではなく、未知の世界への夢と希望にあふれ、前しか見えていなかったのでしょう。きっと次男も同じ気持ちだったのだろうと思います。

出発から六日後の410日。「お母さん、お誕生日おめでとう」。夜遅くに次男から嬉しいメッセージが送られてきました。そして、教会の祭典日の20日には初めてビデオ通話で電話をかけてきてくれました。遠く南米の地から心をかけてくれていることを、とても嬉しく思いました。

毎日、彼のことを思いながら、今日一日の無事を神様にお願いしています。それはきっと、親ならば誰でも同じことで、みんな誰かの祈りによって今日の無事があり、そのおかげで、その祈りを受けた人もまた、大切な人たちの無事を祈ることが出来るのだと思います。

今日という日が、皆さんにとって喜びの多い一日になりますように。

(終)

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