(天理教の時間)
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第1283回2024年5月24日配信

じいちゃんにまた会える日

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関根 健一

文:関根 健一

第1192回

春待ちわびて

この春、英語教室を卒業した女の子。二歳から通い始めていた彼女は、知的障害の影響でしばらくレッスンを休んでいた。

春待ちわびて

奈良県在住  坂口 優子

 

「ふしから芽が出る」。私が大学生の時、参加した教会の学生会で先生に教わった言葉です。

友達との関係で悩んでいた私に、先生は「そっか、辛いね、優子。でも頑張ってるね。寒い冬の後にはね、春しか来ないって知ってる? だから、もうすぐ優子にも春がちゃんと来るんだよ。私たちの神様は親神様っていうでしょ?  親だから、子どもが辛い思いをしているのを、いつも『頑張れ』って見守ってくださってるんだよ。優子が辛い思いを抱えていることも、そんな中で頑張っていることも、神様が一番知ってくださっているから大丈夫」。

泣いている私の背中をさすってくれた先生の手のぬくもりと、「ふしから芽が出るんだよ。綺麗な花が咲くよ。大丈夫、大丈夫」という優しい言葉が、今も私の人生の大きな支えになっています。

今年、私が教会で開いている英語教室から、一人の女の子が卒業しました。

彼女は二歳の時、教会の育児交流会にお母さんに連れられてやってきました。天真爛漫で、愛くるしいという言葉がぴったりの女の子。育児を思いきり楽しんでいるお母さんの愛情をたっぷり受けて、いつも親子で色んなことにチャレンジしていました。

乳児の頃から通信教育で英語を学んでいたこともあって、英語教室に通ってくれることになりました。上達が早く、三歳の時には小学生の子たちと一緒にレッスンを受けていました。お母さんのサポートもあり、その後もグングン上達していきました。

ところが、小学校に上がった頃から様子がおかしくなってきたのです。「もうちょっと、ちゃんと出来てたと思うんやけど」と、お母さんは悩んでいました。学校の授業や習い事でも、同級生と同じように出来ないことが多く、本人が何事に対してもやる気を失くしているというのです。

ある日のレッスンで、「じゃあ、カード準備して並べるよ」と指示を出すと、周りのみんなは動き出すのに、彼女だけはカードを取り出すこともなく、急いで準備をしているお友達に笑って話しかけています。みんなの準備が終わっても、自分がカードすら出していないことに気がついていません。

「ほら、みんなカード並べ終わっちゃったで」と指摘すると、その時点で初めて自分もやらなきゃいけないということに気がつくのです。

「全体へのメッセージが、自分へのメッセージでもある」ということが理解できない。そんな様子がそれからも続きました。レッスンを重ねる度に彼女は落ち込み、表情は暗くなっていきました。そして四年生の秋、おうちの事情も重なり、「しばらく教室をお休みします」とお母さんから連絡があったのです。

その後、彼女は軽度の知的障害があると診断されました。五年生の時に、二年生程度の知能だと言われたそうです。お母さんは、「障害とも知らずに、今まで私がやりたいだけで、『やろー!やろー!』って、着いて行けていないあの子を振り回してしまった。どんなに辛かったやろう」と、泣きながら私に話してくれました。

「色々調べてみると、今まで出来てると思ったことでも、出来てないことが多くて。でも英語だけは出来るし、それが唯一自信になってるみたい。他の教室にも行かせてみたんやけど、先生となかなか合わなくて、本人は『優子先生がいい』って。でも、お友達と一緒にレッスンを受けるのは無理かなあ。どうすればいいやろう?」

すっかり自信を失っているお母さんのすがるような相談を受け、私は個人レッスンを提案しました。

彼女との一対一のレッスンは順調に進みました。そしてあらためて気づいたのは、英語は言葉によるコミュニケーションの手段で、読み書きは二の次だということでした。聴く力や答える力、表現力などは、同級生に遅れることなく身についていきました。

そして何よりも、英語を楽しむ力が彼女には備わっていたのです。私には分かりました。これは教室だけで身についたことではなく、まだ赤ちゃんだった彼女を膝に乗せて、分かっても分からなくても英語を思いきり楽しんでいたお母さんの愛情が実を結んでいるのです。

その後も、英語には上達が見られるものの、学校に通いづらい日が増えていきました。彼女が心に抱えた傷は大きく、学校行事への参加には踏み出せないでいました。その度にお母さんは悩み、彼女の気持ちに寄り添おうとしますが、そんな想いとは裏腹に、六年生で思春期に入り、反抗心の芽生えた彼女としばしば衝突するようになります。

教室へ来た日は教会の夕づとめに参拝し、娘のために必死に祈りを捧げているお母さんの姿を見ながら、私に何が出来るかを考えました。ところが、今年に入ってから新型コロナウイルスの影響でレッスンは全面オンラインとなり、一月末には私自身が感染してしまいました。

いい方法を見つけられないでいると、三月になり、天理の学校を卒業して教会へ戻ってきた長男が、「今年、教室の発表会はどうしたん?」と聞いてきました。レッスンの成果を発表する場として、毎年三月に行っているのですが、コロナの影響で諦めてしまったと話すと、「今は動画を撮るっていう方法があるで」と。彼女を含め、今回卒業する三人を個別に撮影し、一つの作品にしてくれるというのです。

天にも昇る想いでした。長男自身も教室の卒業生で、毎年手伝ってくれているので、発表会に対する私の想いも分かってくれているのです。

画面の中で卒業生三人が英語で合唱する姿に、感動で視界が滲みました。

新型コロナウイルスの影響で、いつものような発表会が出来ませんでしたが、この形になったからこそ、人前に立てない彼女も参加し、みんなと同じ形で卒業することが出来たのです。一生懸命に彼女を育ててきたお母さんの祈りと、英語を10年間楽しく学んできた彼女の頑張りが神様に届いたのです。

そして三月末、いつもより規模を縮小し、六年生と保護者だけで小さな発表会を開きました。当日、残念ながら彼女の姿は教室にありませんでした。息子が作ってくれた動画とは別に、毎年私が制作する卒業フィルムがあります。そこには彼女の二歳の時から今までの、教室での素敵な笑顔をたくさんたくさん詰め込みました。

私だけでもと、参加してくれたお母さんは、「なんや、いっぱい笑ってる。めっちゃ楽しんでる。みんなとちゃんと出来てたんや」と泣き笑い。そう、あなたの愛情が、ここでしっかりと彼女の力になっていたのですよ。

発表会の後、「もしかして、もう卒業?」と、涙を拭きながら聞いてくるお母さん。相談した結果、本人の希望もあり、中学生になる四月からも教室に通ってくれることになりました。

「ふしから芽が出る」。この先また、彼女にどんな芽が出て、どんな花が咲くのか。セーラー服姿の彼女にやって来る次の〝春〟を、楽しみに待ちたいと思います。

 


 

おさしづ春秋『ごはん一粒』

 

良き日ばかりなら良いなれど、そう/\は行こうまい。よう聞き分け。慎みの心が元である。

(M28・5・19)

洗髪料という言葉が懐かしい時代になった。以前はどこの銭湯でも入浴料金とは別に、髪を洗う人は自己申告で洗髪料を番台に払った。だいたい十円のところが多かったと覚えている。いい文化だったと思う。

それを払ったからといって、あからさまにお湯の無駄遣いをしたわけではなく、一人ひとりが小さな石鹸箱の中に節度というものを携えていた。今でも、地域によっては洗髪料の残っている銭湯もあると聞いてしんみり懐かしい情景を思い出したが、お湯を使う心は残っているだろうか。

先頃、日本でのホームステイ先がたまたま信者宅であったという理由で、オーストラリア人の女子学生がおぢばがえりをした。一緒になった日本の学生たちは、身振り手振りを交えて、親切に日本のことや教えのことを伝えようとしていたし、彼女も精一杯にうなずいて、それに応えようとしていた。

ある朝、学生たちが食事をおえて席を立とうとすると、彼女だけがまだ終わっていない。雑談がはじまり、どうしたの、といら立つ学生もいる。私が隣から覗くと、彼女は慣れない箸でお茶碗の中を一生懸命につついている。一粒のごはん粒がぺしゃんこになって底にへばりついて、それがどうしても取れなかったのである。

彼女は訴えるような蒼い目で、「日本は、これを残しません」と言った。雑談がやんだ。

そもそも彼女は「一粒の米も粗末にすると目がつぶれる」という文化の薫りに憧れて日本に来ていたということを、あとで知った。恥ずかしい思いをしたのはこちらの方だった。

(終)

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