(ラジオ天理教の時間)
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第1186回2022年7月9日・10日放送

ご近所さんの保健室

目黒和加子先生
目黒和加子

文:目黒和加子

第1183回

祖父の出直しに知る親心(『日々陽気ぐらし』より)

信仰者としてのお手本だった祖父。最期に「かしもの・かりもの」の理の尊さを、身をもって教えてくれた。

祖父の出直しに知る親心

                  錦織 優理

 

「死」とは未知のものです。いまを生きている私たちのなかで、死後の世界を知る人はいません。死んでしまった後に、誰かに伝えるすべもありません。それでも人間は、いつか死んでしまいます。そんな不確かな「死」というものを前にして、不安や恐怖を感じる人がいるかもしれません。

初めて「かしもの・かりもの」のお話を聞いたとき、真っ先に浮かんだのが、この死についてでした。神様からお借りしている身体であり、いつかはお返しする。その「借りたものを返す」というシンプルな約束と考え方に、とても納得したのを覚えています。

天理教の教えはどれも分かりやすいものばかり―。このことに、教祖・中山みき様「おやさま」の素晴らしさ、温かい親心を感じます。

「かしもの・かりものの理」の尊さを、身に染みて感じた出来事がありました。

祖父は、とても陽気で明るい人でした。幼いころ、毎週のように祖父の家に泊まっていました。温かく迎えてくれた祖父の笑顔が脳裏に浮かびます。いつも美味しい料理をたくさん作ってくれました。特に、から揚げが大好きでした。また、ショッピングモールや公園に連れていってくれたり、魚釣りを教えてくれたりと、祖父との思い出は数えきれません。

そんな祖父は、信仰者としても、とても素晴らしい人でした。教会で育った祖母と出会い、結婚を機に教えを知りました。人さまの病の平癒を願う「おさづけ」を取り次ぐ「ようぼく」になり、おぢばで三か月教えを学ぶ修養科を志願し、さまざまな行事にも参加したそうです。

私が知っているのは、教会の月に一度の祭典「月次祭」で立派におつとめを勤める祖父の姿であり、結婚前は全く信仰がなかったとは思えないほどでした。与えられた環境を素直に受け入れ、信心深く真っすぐに通ってきた祖父の姿は、信仰者の鑑だと思います。そんな祖父をとても尊敬していました。

ある日、祖父は自転車に乗っていて転倒し、けがを負いました。けが自体は命に関わるものではなかったものの、傷の縫合手術のため、しばらく入院することになったのです。

この入院が祖父の余生を左右する節になるとは、当時は思いもしませんでした。そのころ私は、実家を離れ、おぢばで生活していたため、すぐに祖父のもとへ駆けつけることができず、母から電話で様子を聞いていました。

入院当初、誰もがすぐに退院できるだろうと思っていましたが、傷口に細菌が入ってしまい、思ったように回復しませんでした。年齢や体力のことを考え、なかなか手術に踏みきれないまま、入院生活が長引いたのです。それからの祖父は、日を追うごとに弱っていきました。合併症が出たことで、言葉もうまく話せなくなってしまいました。

ようやく帰省の日を迎え、初めてお見舞いに行けたときには、記憶のなかに残る元気な祖父の姿はなく、顔や腕が随分痩せ細っていました。そんな祖父を前にして、笑顔をつくるのに精いっぱいでしたが、祖父は私が見舞いに来たことをちゃんと分かっているようでした。そのころはほとんど喋れなくなっていましたが、きっと喜んでくれていたと思います。

おぢばに帰った後は、なかなかお見舞いに行けず、何もできないことがもどかしくて仕方ありませんでした。そこで、本部神殿へ毎日足を運び、親神様にお願いすることを心定めしました。初めて身近な人の「死」が迫っていると感じ、その恐怖や焦りを打ち消すかのように、ただがむしゃらに祖父のたすかりを願いました。

未熟だった私の心定めを、親神様がどのように受け取ってくださったのかは分かりません。それでも祖父の怪我を通じて、心から人のたすかりを願い、参拝することの大切さを知りました。

おつとめには不思議な力があります。祖父のたすかりを願っておつとめを勤めるうちに、私自身の心も救われていました。あの日々は、いまも私の大きな糧になっています。

それから月日は流れ、私は結婚して子どもを授かりました。相変わらず祖父は入院しており、出産したら子どもを連れて会いに行こうと思っていた矢先のことです。祖父が亡くなりました。のちに母から聞いた話によると、生前、祖父に私が子どもを授かったことを伝えたそうです。それが最後のお見舞いになりました。私の妊娠を知り、喜び、安心したかのように、祖父はこの世を去りました。

祖父が亡くなってから五カ月後、私は無事に元気な男の子を出産しました。その日は、祖父が生きていたら迎えるはずだった誕生日と六日しか違わなかったのです。祖父が自らの身体を親神様にお返しし、息子の命につないでくれたように感じました。

天理教では、「出直し」という言葉で表されるように、死は「生まれ替わり」と教えていただきます。息子は祖父の生まれ替わりなのかもしれません。息子の成長を日々見るたびに、祖父も一緒に喜んでくれているように感じます。

これからも、祖父が自らの人生を通じて、最後に教えてくれた「かしもの・かりものの理」を胸に、夫婦仲良く、息子を大切に育てていきたいと思います。息子のなかで生きる祖父を思いながら。

 


 

わしらは結構や

 

何か自分の欲求が満たされた時に使われる、「結構」という言葉。満足感に浸りつつ、「ああ、結構、結構」と、にこやかな表情を浮かべる様は、幸せの典型とも言えるでしょう。

神様のお言葉にも、結構という言葉がしばしば使われますが、その意味は少し違います。

「心に結構という理を受け取るのや。結構は天のあたゑやで」(「おさしづ」M35・7・20)

私たちは普通、何か都合の良いことが起きた時に結構と感じます。しかし、むしろ神様は、何事も「結構」と感じられる心を自らつくっていくことが大切であると、お諭しくださっているように思うのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、「貧に落ち切れ」との神様の思召しのままに、次々と困っている人々に施しをされ、自らは物に不自由する道中を通られました。そんな中、娘さんの「お母さん、もう、お米はありません」との悲痛な訴えを受けて、次のように諭されました。

「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」(「教祖伝 40頁」)

人が不足の心を抱くのは、物質的な困窮にあった時がいちばんでしょう。そんな中、教祖は、お米がないことに心を曇らせるのではなく、清らかな水をおいしくいただけること、健康に恵まれていることを喜びましょう。こんな結構なことはないんですよと、家族を明るく励ましておられます。

また、教祖は、糊口をしのぐため、息子さんや娘さんと一緒に、夜通し仕立物や糸紡ぎなどをされることも度々でしたが、そんな時には、「お月様が、こんなに明るくお照らし下されている」と、神様のお与えである月の明かりを「結構」に頂けることを心から喜び、夜なべに精を出されたのでした。(教祖伝 39頁)

教祖の尊いひながたと、教祖に導かれ、共に歩まれた家族の道中に思いを馳せ、いつでも「結構、結構」と喜べる心をつくりたいものです。

(終)

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