第1182回2022年6月11日・12日放送
ありがとうノート(『日々陽気ぐらし』より)
父にガンが見つかった。大勢の人がおさづけを取り次ぎに来てくれた。私は父のために何ができるだろう…。
ありがとうノート
窪田 なお
「お父さ~ん、雨が降ってるわ。自転車で学校へ行ったら、ビチョビチョになるかなあ」
「風邪ひいたら大変や、送っていこうか」
「やったあ! ありがとう」
父と再びこんな会話ができるとは、半年前には想像もできませんでした。
昨年の秋、父の目の下に大きなコブができました。周りの人から「早く病院へ行ったら?」と言われても、「これくらい大丈夫。すぐに治るよ」と、なかなか行こうとしません。
年末になっても治らなかったので、父はやっと病院へ行きました。検査の結果は、思いがけないものでした。
「悪性リンパ腫です。すぐに治療を始めます」
父はもちろん、家族みんなが驚きました。私は「なんで、お父さんがこんな病気になったのだろう」と思いました。
その後、検査を進めていくうちに、のどやお腹にも腫ようがあることが分かり、半年ほど入院することになりました。
それでも父は、「大丈夫や。神様は、がんで苦しんでいる人の心が分かるようにと、お父さんに教えてくれているんや。だから、喜んで通らせてもらおう」と言います。でも私は、半年も父のいない生活が始まることと、父の病状への不安で、胸が押しつぶされそうでした。
父が入院してからは、毎日たくさんの人が、父の回復を願っておさづけを取り次いでくださいました。「みんな、お父さんがたすかるように祈ってくれているのだなあ」と思いました。
私も、父のために何かしようと考えました。そのとき、「ありがとうをたくさん言うと、がんが治った」という内容の本があったのを思い出しました。そこで、家族みんなの「ありがとう」を集めようと思い、みんなに一日の「ありがとう」をLINEで送ってもらうことにしました。
それから、毎日送られてくるみんなの「ありがとう」を、ノートに書き写すようになりました。
たとえば、こんな感じです。
父は
「きょうも薬や点滴など、身体に与えてもらってありがたい」
母は
「みんなに手伝ってもらって、月次祭を勤めさせていただいた」
いちばん上の兄家族は
「息子が〝カアカ〟って言えるようになった」
看護師の兄は
「夜勤中、みんな静かに寝てくれている」
教会で勤めている姉は
「きょう初めて作ったロールキャベツ、美味しいなあと言ってくれた」
中学校の教師をしている兄は
「先生の授業が一番楽しいと言ってくれた」
父の入院中におさづけの理を戴いた兄は
「初めてのおさづけを父に取り次がせていただいた」
高校生の兄は
「バレンタインのチョコをもらえた」
そして私は
「新入生が部活体験に、いっぱい来てくれてありがとう」
こうして毎日続けてみて、ありがとうって、こんなに身近にたくさんあるんだと実感しました。それに、みんなの一日の様子がよく分かり、このノートのおかげで家族がつながっているように感じました。
父は、毎日たくさんの人からおさづけを取り次いでいただきました。また、自分も点滴スタンドをゴロゴロ押しながら、同室の人や周りの患者さんにおさづけを取り次いだそうです。
そうするうちに、父の顔のコブはみるみる小さくなって、一か月くらいで、なんと元の顔に戻っていったのです。本当に不思議でした。「おさづけってすごい」と思いました。
そして六月。抗がん剤の治療も終わり、父は無事、退院できることになりました。定期的な通院は必要ですが、元気になって帰ってきたのです。
「ありがとうノート」は五冊目になりました。私は、このノートを書いているうちに、いつの間にか不安な気持ちがなくなっていたことに気がつきました。そして、神様のことを信じられるようになり、家族みんなのことが以前よりも大好きになりました。
ありがとうの周りには笑顔が広がることも実感しました。みんなのありがとうがいっぱい集まって、父は元気になりました。
また、家族でご飯を食べたり、学校へ行ったり、友達と遊んだり、いままで当たり前だと思っていたことは、すべて神様に守られているおかげでできていたのだと、あらためて思いました。これからも神様への感謝を込めて、もっともっと「ありがとう」を増やしていきたいと思います。
天気は相変わらずの梅雨空で、明日も雨になりそうです。また、お願いしようかな。「お父さ~ん、明日も送って!」
おさしづ春秋『やなせさんのこと』
小さいようで大きなもの、大きなもの小さきものの理があるから大きものや。(M23・6・23)
いただきものの三越の包装紙に目がとまる。漫画家のやなせたかしさんがデザインした『mitsukoshi』というレタリングが昭和二十五年からずっとかわらずにいる。やなせさんが、アンパンマンのヒットによって漫画家としての成功を見たのは、たいていの漫画家が引退を考える還暦をすぎてからであった。
当時のこと、ある若い漫画家がやなせさんに「どうすれば、売れる漫画が描けるのでしょうか」とたずねた。やなせさんが「君は、毎日、漫画を描いていますか」と聞き返すと、彼は「依頼もなく、アルバイトが忙しいので、今は描いていません」と答えた。それに対してやなせさんは、「僕は売れなくても、毎日、描いていました」と、何十年もの歳月を一言にした。以前に取材でお会いしたときの話である。
ひもじい者に自分の顔を食べさせるアンパンマンは、「人助けには、痛みが伴うもの」という作家自身の信念の現れにすぎないという。
今なお、その人気は衰えず、つい最近も教会に来ていた二歳の女の子が「アンパンマン」と聞いただけで泣きやんだのにはさすがに驚いた。にわかに信じがたいが、関連グッズの売り上げは一兆一千億円を越えて他のアニメの追随をゆるさないという。
そんなやなせさんのスタジオは、自宅と同じマンションにあった。広々とした仕事場は明るく華やかで何人かのスタッフが机に向かっていたが、マンション自体はひどく老朽化していた。
一兆円の売れっ子にしては……と、正直にたずねると、「漫画家はこれ以上いい所に住んではだめです」とやわらかな笑顔をされた。売れないときも描き続けたやなせさんは、売れても生き方を変えることはなかった。
(終)