(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1146回

母親20周年

今年、長男が20歳を迎え、私も母親20年となった。実家の母と義母を頼りに、神様に導かれながらの20年だった。

母親20周年

 奈良県在住  坂口 優子

 

今年7月、長男がハタチの誕生日を迎えました。私もお母さんになって20年です。長男、次男、長女の三人は年子で、それから12年後に次女が誕生し、4人の母親として20年、悩みながらも子育てに奮闘しています。

私の大切にしている子どもたちの成長記録の中で、上三人に共通して鮮明に覚えている姿があります。それは小学校の入学式の翌日、はじめて一人で登校する日、「いってきまーす」と大きなランドセルを背負って家を出た背中を、見えなくなるまで見送った時のことです。どの子の時も、見送りながら涙が込み上げたことを覚えています。取り分け長男の時には、「実家の母もこんな気持ちで私を見送ってくれたのかな」と、育ててくれた母のことを思ったものでした。

「親の心子知らず」と言いますが、20年間の子育ての中で、あの時、母はきっとこういう気持ちだったのだろうと、今更ながらに気づく場面が山ほどありました。子どもの頃は、ただのガミガミお母さんだと思っていましたが、いつの間にか自分も同じようなガミガミお母さんになりました。

母親としての気持ちがなかなか子どもたちに伝わらないと感じる中で、母も私を育てる過程で悩み苦しみながらも、その先に来るであろう喜びを見据えて、懸命に愛情をかけて育ててくれていたのだと知ることができたのです。

「神様のことが大好きな子に育ってほしい」。これが私の子どもたちへの唯一の願いでした。信仰を知らない両親のもとで育った私は、19歳の時に天理教の教えに出会いました。以来、日常に神様の姿を感じられるようになったおかげで、どんなにつまずいたり落ち込んだりしても、それを喜びと感謝に変えて日々を送ることができるようになりました。

自分のことしか考えられなかった以前とは違い、信仰のおかげで人に対して心を掛けられるようになり、心で人の話を聞き、心で人を見て、心から相手を大切に思えるようになりました。私が信仰に出会って見えるようになった世界を、子どもたちにも見せてあげたい、ただこれだけが、大きくなっていく子どもたちに望むことだったのです。

ですが、これは信仰を知らない家庭で育った私にとって大きな課題でした。経験がないのでやり方が分からないのです。

ある日、朝づとめの後に聞いた、義理の母の言葉が心に残りました。義母(ぎぼ)は子育て真っただ中の頃を振り返り、「朝づとめではね、『子どもたちがどうか信仰してくれますように』って、毎日それだけをお願いしていたのよ」と懐かしそうに話してくれました。

そうか、そうすればいいのか…。それをヒントと受け取った私は、それから毎日義母と同じように、子どもたちのことを神様にお願いするようになりました。

その後、小学校、中学校を卒業した上の三人は、主人の母校である天理教校学園高校へ進学、寮生活を通して天理で育てていただけることになりました。三人とも若かりし頃の主人の姿に憧れ、マーチングバンド部に所属しました。主人も私も演奏会があればどこへでも応援に出掛け、子どもたちの頑張る姿にたくさんの喜びと感動を与えてもらいました。

友人がSNSで娘さんに、「青春のおすそ分けをありがとう」と綴っていました。なんて素敵な言葉でしょう。思えば、三人の子どもたちにおすそ分けしてもらった私の子育ての青春には、どの場面を切り取っても、優しく包んでくださる神様の存在がありました。

大学や専門学校への進学を希望していた長男と次男ですが、神様のお導きでしょうか、様々な偶然が重なり、二年間天理で教えを学ぶ天理教校専修科へ進学、義理の父と主人と同じ進路をたどることになりました。

次男が入学した今年の春、義母に、以前朝づとめの後で聞いた話をきっかけに、私も、子どもたちが信仰してくれるように毎日お願いをしていたこと、そしてその願いを神様が受け取ってくださっている気がすることを話しました。

すると義母は、「それはね、お願いしていたこともそうやけど、それよりもその願いを神様にちゃんと受け取っていただけるように、優子ちゃんがつとめているからやで」と言ってくれたのです。

その言葉は、これまで右も左も分からない中、20年間、ただただ二人の母を手本に進んできた私への神様からのご褒美のようで、本当に、感無量でした。

成長した子どもたちの姿を、二人の母はとても喜んでくれています。子どもたちが私のそばにいてくれる限り、まだまだ子育ては続きますが、いつか私もおばあちゃんになり、今の母たちの気持ちが分かる日が来るのかなと、楽しみにしています。

今年の母の日、高校三年生の長女が素敵なメッセージカードをくれました。そこには、きょうだい四人で撮った可愛らしい写真と共に、「いつもありがとう、世界一のお母さん」とのメッセージが書かれていました。

こちらこそ、もったいない、優しい言葉をありがとう。来年の春には、一番下の娘が小学校に入学します。大きなランドセルの背中を、見えなくまるまで見送る日が、今から待ち遠しいです。

 


 

同じ魂

 

人はみな社会のどこかで、それぞれに生きて、それぞれの人生模様を織りなしています。人生には失意の時もあれば、得意満面の時もあるでしょう。時の流れの中での浮き沈みは、誰にだってあります。

問題は、失意の時にどのように自らを再生していくか、その対応の仕方です。今までの通り方の反省が必要かもしれませんし、次なる行動のために勇気を奮い起こすことも大切になってくるでしょう。

ここで拠り所になるのが、私たちは、生まれながらにして人間としての価値に違いはなく、誰もが等しく、親なる神様のお声を頼りに、生きる力を培っていくことができるという教えです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、次のようなお歌があります。

 高山にくらしているもたにそこに
 くらしているもをなしたまひい (十三 45)

 それよりもたん/\つかうどふぐわな
 みな月日よりかしものなるぞ (十三 46)

 それしらすみなにんけんの心でわ
 なんどたかびくあるとをもふて (十三 47)

「社会的に高い立場にいる者も、そうでない者も、いずれも魂は同じであり、その本質において何ら変わりはない。そして、それぞれが毎日使っている身体は、すべて神が貸しているものなのである。その真実を知らずに、人間はとかく現実の立場や境遇の違いを見て、もとから高い低いの差があるように思い誤っている」

神様にしてみれば、世界中の人間は等しく皆可愛い我が子であり、その可愛さに誰彼の区別など断じてありません。我が身の不運を嘆く者があれば、いっそうその者に厚い親心をかけられるはずです。

私たちの暮らす社会では、人を羨んだり、見下したりする感情が行き交っています。そうして自ら高い低いの区別をつけることは、神様の親心に暗い影を落とすことであり、陽気ぐらしに反する言動であると言わざるを得ません。

皆が同じ魂を持ち、神様の公平なご守護の中で生かされていることを心に置き、互いにたすけ合う姿を持って、親の思いに応えなければならないと思うのです。

(終)

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