(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1135回

神様からの贈り物

コロナ禍で一時休講となった英語教室。再開後はオンラインでの国際交流が実現し、子供たちの貴重な体験となった。

神様からの贈り物

 奈良県在住  坂口 優子

Hello!」
夕方4時前になると、今日も教会の神殿は英語教室に集まる子供たちの笑顔でパーッと明るくなります。

昨年、新型コロナウイルスの流行で、全国の学校に休校要請が出され、教会で開いている英語教室も休講となりました。子供たちの来なくなった教会は毎日とても静かで、私にとっては仕事がなくなって肉体的には楽なはずなのに、どこか生活に張りがありません。

昨年6月に休講が明け、みんなの「Hello!」が聞こえてきた時には、ぎゅ~っと力いっぱい抱きしめたい気持ちでしたが、ソーシャルディスタンスという名のブレーキでぐっと抑え、体温計を手にみんなをお迎えしました。

子供たちとの楽しいレッスンが再開されると、空っぽになっていた私の心にぐんぐんパワーが溜まっていくのを感じました。こうしてみんなが元気でいてくれること、長い間お休みだったのに、また来たいと思ってくれたことが本当に嬉しくて、私は10年以上もこんな幸せな毎日を当たり前のように過ごしてきたんだなということに気づき、以前と同じ景色をより一層愛おしく思えるようになりました。

感染防止対策も、子供たちと一緒にフェイスシールドを作ったり、単語の絵のカードをいつもより大きめに作ってソーシャルディスタンスをとったりと、工夫して楽しみました。

そんな中、コロナ禍だからこそ出来た面白い体験がありました。それは、オンラインでの国際交流です。

私は学生時代インドへ留学していたのですが、私の暮らしていた町ではロックダウンが実施され、お世話になったホストファミリーの皆さんもステイホームでどこにも出かけられず、退屈な日々が続いているというのです。

当時から仲良くしているファミリーのいちばん下の弟さんに教室の話をし、リモートでお手伝いしてもらえないかお願いしてみると、快く引き受けてくれました。このビッグニュースを聞いた子供たちは大喜び。みんなワクワクが隠しきれない様子で、「何を話せばいいの~?」「いやや~、緊張する~」と、口では嫌だ嫌だと言いながら、顔はニコニコで期待に胸を躍らせていました。

昨年度通っていたのは38名、全部で8クラス。どのクラスでもモニターに彼が映るとみんなの目がぱあっと開き、歓声が上がりました。日本語をまったく話せない人を相手に英語で話すというのは皆初めての体験で、一週間、想像を膨らませておうちで色々準備してきた言葉も、カメラの前に立つと、頭の中が真っ白という感じでした。

それでも、「Hello!」と優しく手を振ってくれる彼に「Hello!」と挨拶を返し、彼の顔を見つめ、少しでも言葉を理解しようと一生懸命耳を傾けていました。

ステイホームから生まれたこの貴重な体験が、子供たちの心を豊かに育ててくれました。うまく話せなくても、ジェスチャーゲームをしたり、一緒に記念撮影をしたり、絵で描いて伝えてみたり。カメラの前の場所を取り合いしながら、一緒に笑い、忘れられない貴重な時間を過ごしたのでした。

こうして子供たちは、コミュニケーションで一番大切なことは、相手の声に心の耳を傾け、言葉の間違いを恐れずに、心を込めて話すことだと学びました。インドから参加してくれた彼も、「みんなの力になれてとてもうれしい。長く続くステイホームのストレスで沈みがちな心が、喜びでいっぱいになったよ」と言ってくれ、その後も時間が合うと、度々レッスンを手伝ってくれるようになりました。

私は留学時代、世界中から集まる大勢の人たちとの出会いを通して、「私は英語でいい点数をとるために勉強しにきたわけではない。英語は私にとって、新たな世界を知るための神様からの素晴らしい贈り物だったんだ」と気づくことができました。その経験から、英語が嫌いで悩む子供たちに感動を伝えたくて、遊びながら楽しく学べる英語教室を教会で開くことを決意したのです。

2才から小学6年生まで、長い子で10年間、この教室に通い続けてくれています。3月、卒業生に贈る思い出のアルバムを作りながら、「この子たちに、英語に出会えて良かったと思ってもらえただろうか」との思いが頭をよぎりました。10年間撮りためてきた写真には、このコロナ禍であらためて実感できるようになった幸せの場面がいっぱい詰まっていて、涙があふれました。

今年、卒業生に向けた最後のレッスンで、「まいたるたねハみなはへる」(「みかぐらうた」七下り目 8)という神様のお言葉を元にお話をしました。

「ひまわりの種を蒔けば、ひまわりの花が咲くように、みんながこの教室で楽しく学んだことや努力したことには、いつか必ず花が咲きますよ。そんな宝物をくれたご両親に、これからも『ありがとう』を伝えてくださいね」

そうエールを贈ったのですが、この言葉こそ、子供たちを前にして、なかなか自信の持てない私の心に突き刺さったのでした。きっと、私が迷い、もがいていることは、神様が一番よくご存じなのでしょう。

新型コロナウイルスによって、私たちの生活スタイルは大きく変わってきました。本当に恐ろしいウイルスですが、その一方で、このウイルスが、忘れてしまっていた大切な気持ちを思い出させてくれたことも事実です。

これからも、この気持ちを忘れず、マスク姿の子供たちの声を心で聞き、心で伝え、英語という神様が与えてくださった大切な贈り物を、子供たちの心に届けていきたいと思います。

 



病い

おそらくすべての人々は、人生の中で何らかの「病い」を経験します。誰もが避けて通りたいその病いに遭った時、私たちはそこにどのような意味を読み取るべきなのでしょうか。

西洋医学では、病気は身体(しんたい)の生理的異常であり、正常な機能が営めなくなることであると定義されています。近代以降、西洋医学が試みてきたのは、人体のメカニズムの解明でした。病気を数字や人体図で客観的に表現し、疾患の原因となる要素を根絶しようと取り組んできたのです。

一方、たとえ同じ病名であっても、人によって容体は異なります。「病むのは人間であって、細胞ではない」という言葉があるように、病理の全てをデータで語ることはできないのです。すでに、心理的ストレスが免疫機能などに影響することは広く知られています。病気を個々の患者の問題であると捉えれば、心と身体が不可分の関係にあることは、よく理解できると思うのです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」の直筆による「おふでさき」に、

  このよふにやまいとゆうてないほどに
  みのうちさハりみなしやんせよ(二号 23)

  こればかりやまいなぞとハをもうなよ
  月日ぢうよふしらしたいゆへ(十一号 26)

とあります。

一般的な病気というものは、決して「病い」ではなく、私たちの心を誠真実へと入れ替えさせるための神様からのお知らせであると示されています。

「やまひのもとハこゝろから」(「みかぐらうた」十下り目 10)とも教えられるように、病いの根本原因は私たちの心遣いにあります。神様によって生かされていることを自覚し、心の「ほこり」を払うことで、ご守護をいただくことができるのです。

医学的に見れば、病いはやはり、私たちの人生を脅かす出来事であるかもしれませんが、神様はこのようなお言葉を示されています。

 「身上悩むやない。心という理が悩む。身上悩ますは神でない。皆心で悩む」(「おさしづ」M34・1・27)

 「難儀さそう、不自由さそう親は無い」(「おさしづ」M22・11・1)

病の原因は心遣いにあり、皆はそれが原因で悩む。しかし、難儀さそうと思っているのではない、どんな中も神にもたれて通れば案じることはないと、懇ろにお諭しくださいます。

病いという経験は、生きることの根源的な意味を捉え直す機会となります。それは取りも直さず、人間本来のあり方、陽気ぐらしという生き方へと舵を切る転換点に他ならないのです。

(終)

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