第1290回2024年7月12日配信
ふしから芽が出る
結婚三カ月で妊娠、卵巣に腫瘍が見つかったが無事出産できた。この経験が今、子育て支援の活動に生きている。
ふしから芽が出る
静岡県在住 末吉 喜恵
今から25年ほど前の話です。私は結婚を機に奈良から静岡に来ました。大恋愛の末、三年間の遠距離恋愛を経ての結婚です。
大好きな人と結婚できて、見るもの全てキラキラと輝いて見えました。市街地から見える雄大な富士山に、車の運転中でも散歩中でも、少しでも見えたら「富士山だ~!」「きれいだなあ、おっきいなあ」と大感激していました。また、海なし県で育ったので、青く澄み渡る穏やかな海を見ては、心がウキウキしたものでした。
妊娠が分かったのは、結婚して三ヶ月経った頃でした。うれしくてワクワクしながら病院に行ったのですが、医師から「あなたはガンかも知れない」と言われ、目の前が真っ暗になりました。通常の卵巣は親指の爪ぐらいの大きさなのに、私の卵巣は直径10センチまで膨れ上がり、3センチの腫瘍ができていたのです。
もしその腫瘍が悪性だった場合、赤ちゃんを諦めて自分の命を守るか、それとも赤ちゃんを産むために妊娠を継続させるか、難しい選択をしなければなりません。がんで妊娠を継続した場合、若いこともあって転移しやすいので、命の保障はないと言われました。
結婚してから毎日が楽しくて仕方がなかったのに、医師からあっさり告知を受け、一気に谷底に突き落とされたような感覚になりました。病院からどのように家にたどり着いたのか覚えていませんが、泣いて夫に電話をかけると、仕事を早退してすぐに帰宅してくれました。
それまでも、おさづけによって神様の不思議なご守護を頂いた話をたくさん聞いていたので、私もご守護を頂きたくて、夫におさづけを取り次いでもらいながら、「がんよ消えろ、消えろ、消えてなくなれ!」と神様の前で必死に願いましたが、消えてなくなりはしませんでした。
医師からは「妊娠安定期に入ったらすぐに卵巣を取ってしまうか、出産時に帝王切開して取るか」と判断を迫られましたが、出来るだけ早く取った方がいいのではないかと思い、安定期に入った妊娠五ヶ月の時に開腹手術をし、卵巣を一つ取りました。
取った腫瘍の精密検査の結果は「ボーダーライン」。良性でもなく悪性でもないという結果で、そんな状態があることを初めて知りました。子供は諦めなくてはならないし、自分の命もどうなるか分からない。そんなところまで追い詰められていましたが、ギリギリのところでたすかったのです。本当に良かった、ありがたいと思いました。
幸い術後の経過も良く、順調に回復し、健康な妊婦さんと同じような生活を送ることができました。お腹が大きくなるにつれて、手術した傷跡も広く伸びてきて、「もしかして、お産でお腹が破れるのかしら?」と不安になりましたが、人間の身体というのは本当に不思議で、皮はしっかりつながっていました。
お腹に赤ちゃんが宿ることも、お腹の中で成長して生まれてきてくれることも、一つとして当たり前のことはないのだと実感できました。
その時お腹にいた長女も無事に出産でき、その後も卵巣は一つですが、双子の次女、三女、そして長男、四女と5人の子供に恵まれました。親々が通ってきて下さった信仰のおかげだと、感謝する毎日です。
四人目を妊娠中の2004年、同じように子育てをしている親子同士が一緒に楽しめる場を作りたいと思い、音楽を使って身体を動かす「リトミック」を取り入れた子育てサークルの活動を始めました。
サークル活動を始めてしばらく経った頃、夜、子供を寝かしつけていると、「ママの子供に生まれてきてくれてありがとう 大好きよ」という歌詞と共に、子守唄のメロディが天から降ってきたように突然浮かんできて、急いで枕元でメモを取りました。
サークルでその歌を歌うとママたちはほっこりと笑顔になり、それを見る子供たちも幸せそうな顔をしてくれます。中には、その歌を聞くたびに感動して泣き出す子もいました。
サークル活動も軌道に乗り、児童館や保育園、子育てサロンや子育て支援センターなどに広がり、私もリトミックの講師として依頼を受けるようになりました。
子育て中のお母さんたちを前に、卵巣の腫瘍ができたところを何とかたすけて頂き、無事出産できた体験をお話しします。
そして、
「私が親になれたのは、当たり前ではなく奇跡です。皆さん、寝る前には『ママの子供に生まれてきてくれてありがとう 大好き!』と言って我が子を抱きしめてあげてください。そうすると必ず子供の心は育ちます。日々子育てに追われる中でも感謝の気持ちを忘れずに、言葉でちゃんと子供に伝えましょうね」
そう語りかけて、最後にみんなで子守唄を歌います。
命の尊さ、ご守護のありがたさを伝える私なりの「にをいがけ」として、この活動を続けています。
天理教では、「ふしから芽が出る」と教えて頂いています。たとえ困難なことがあっても、それは神様からの陽気ぐらしへ向けたメッセージで、心を倒すことなく感謝の心で取り組むことで、いい方向に向かうことができます。そして、これは決して短い時間のことを言うのではなく、何年、何十年を経て振り返った時に、本当に身にしみて有り難く思える教えなのです。
子育てをしていると、毎日がやらなければならないことの連続で、いっぱいいっぱいになることが多いと思います。しかしその中にも、幸せの種はたくさん散りばめられています。
そこに気づけるかどうかは、自分の心次第です。日々、小さな幸せを見つけることで、子育てはより楽しいものになるのではないかと思います。
早く陽気に
天理教教祖・中山みき様「おやさま」直筆による「おふでさき」に、
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
とあります。このように、実の親である親神様は、常に私たち一人ひとりをたすけることだけを考えて、日夜お見守りくだされているのです。
では、私たちはこの切ないほどの親心にどうお応えすればいいのでしょうか。朝に夕に唱える「みかぐらうた」を紐解いても、教祖は決して私たちに難しいことを求めておられないことは良く分かります。
しばしば出てくる「何々してこい」という表現に注目してみます。まず一下り目で、「こゝまでついてこい」と、ただひたすらに信じてついて来るように、また三下り目で、「ひとすぢごゝろになりてこい」と、疑いの心を持たず、一筋にもたれてついて来るようにと仰せられています。
さらに、四下り目において、「いつもたすけがせくからに はやくやうきになりてこい」と、常に私たち人間をたすけたいと急き込んでいる親心を述べられ、早く陽気な心になるようにと促されています。
これらのお言葉から、親神様が私たちに陽気ぐらしを望んでおられるということは明らかですが、なかなかそう簡単には実行に移せない現実もあります。「早く陽気になりて来い」と言われても、病気になったり、家族の関係がこじれたり、仕事がうまくいかないなどの現実に直面し、そのような思い通りにならない状況の中では、とても陽気な心になどなれないというのも、仕方のないことかも知れません。
そのような人々を、教祖はどうやって導かれたのか。教祖は、教えを詳しく説かれる前に、まずはそうした人々の心に寄り添い、困窮している人には食べ物や着る物、金銭などを与え、さらには病気や事情をたすけて、一人ひとりの悩みや苦しみを取り除かれました。
しかし、たすけてもらった喜びを感じ、一時的に陽気な心になった人々も、また違う問題に直面しては再び悩むということを繰り返していきます。
そこで次の段階として、どれほど悩みや苦しみから救われても、自分自身の心を入れ替えなければ本当のたすかりではないことを教えられました。
そして、人々が自ら心のほこりを払い、陽気な心へ入れ替えていく道として、「おつとめ」を教えてくださったのです。
なにもかもよふきとゆうハみなつとめ
めづらし事をみなをしゑるで (七 94)
おつとめこそ、真の陽気ぐらしへとつながる一番の手立てであり、あらゆるご守護の源であることを示されています。
(終)