(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1248回

〝Mi Casa〟はいつでもあなたの居場所

Aちゃんは中学に入ると勉強について行けず、英語も嫌いになりそうだとか。どこかよそよそしい態度も気になる。

この世とあの世

 

一般に私たちの持つ宗教的な世界観においては、二つの世界があるとされています。一つは川のこちら岸にある「この世」、すなわち此岸の世界であり、もう一つは「あの世」、彼岸と呼ばれる世界です。

この世は現実の人間の住む世界で、あの世は、この世とは別のところにある死者の住む世界である。さらには、この現実は仮の世であって、永遠に続く理想世界は死後の世界にこそ求められるとする見方もあります。

これらは、二つの世界が別々に存在するという観点に立つものです。問題は、果たして人間の世界が、この世とあの世に分けられるのか、ということです。これは信仰の領域で考えられるべきことですが、現実に身体(しんたい)を伴った人間の住む世界に関しては、この世界をおいては他に認められないと、一般的には言うことができるでしょう。

そういう意味では、あの世とは霊的な世界だと考えられます。もちろん、そこで現実の人間が生活しているかのように想像することは可能ですが、実際にそうであるかは、信仰の問題として理解せざるを得ないのです。

 

天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、

 「ここはこのよのごくらくや わしもはや/\まゐりたい」(「みかぐらうた」四下り目 9)

と示されています。これは、親神様が人間を造られた場所である元のぢばこそが、この世界の極楽であることを教えられているもので、極楽という世界があの世、彼岸にあるのではなく、あくまでこの世界にあることを明らかにされたお言葉です。

 さらには、

 「さあ/\人間というは一代と思うたら違う。生まれ更わりあるで」(「おさしづ」M39・3・28)

 「世の処何遍も生れ更わり出更わり、心通り皆映してある」(「おさしづ」M21・1・8)

とあるように、人間は一代限りではなく、親神様のご守護によって、この世に何遍も生まれ更わってくると教えられています。

人間は死んだ後、あの世に行くのではなく、魂は一時、親神様の元に預けられ、時を経て、再び新しい身体をお借りしてこの世に生まれ更わってくる。私たち人間にとっては、今ここに生きている世界こそ、親神様のお働きに満ち満ちた唯一の世界だと言えるのです。


 

〝Mi Casa〟はいつでもあなたの居場所

               奈良県在住  坂口 優子

 

3月に英語教室を卒業したAちゃんのお母さんが、5月の中頃、私を訪ねて来てくれました。お話を聞くと、Aちゃんは中学に上がると勉強が難しくて嫌になり、唯一大好きだった英語も嫌いになりかけているので、一度見てほしいということでした。

教室を卒業する子ども達には、「この先英語が嫌になっちゃったり、何か困ったことがあったら、いつでも先生に会いに来てね」と声をかけているので、私のことを思い出してくれたのかなあと嬉しい気持ちになり、後日さっそく来てもらいました。

 

「こんばんは~。よろしくお願いします」と挨拶をしてくれるお母さんの後ろで、黙ってよそ見をしているAちゃん。久しぶりで恥ずかしいのか、いつもと様子が違います。

「こんばんは。久しぶりやね」と声をかけると、一瞬だけこちらを向いて小さくペコっとお辞儀をしました。何か違和感を感じながらも、「じゃあ、お預かりしますね」とお母さんには帰ってもらい、二人で勉強することにしました。

Aちゃんが英語教室に初めて来たのは小学一年生の時だったので、付き合いはもう7年になります。なので、彼女が私の顔を見ても笑わないのは、思春期特有のものや人見知りなどではなく、心に何かを抱えているサインに違いないと、ピンときました。

そんな時に勉強をしても、全く頭に入りません。神殿で参拝をして、教室に入り、向かい合って座りました。

「元気やった?すっかりお姉さんになったね」と声をかけると、「そうかなあ…」と、私のほうをチラチラ見ながら恥ずかしそうにしているAちゃん。話が進みそうにないので、「ねえ、アイス食べへん?」と話題を変えると、「え!?」と目を丸くして私を見つめました。すぐに「食べる!」と素直な返事が返ってきたので安心しました。

 

二人でアイスクリームを食べながら、「どう?学校は慣れた?」と聞くと、最初は言いにくそうでしたが、ゆっくり、少しずつ学校生活について話してくれました。

中学へ入ると、なかなかきっかけがつかめず、お友だちを作るタイミングを逸してしまったこと。いつも一人ぼっちなので、周りの目が気になって、みんなに嫌われているんじゃないかと不安なこと。

コロナも落ち着いて、みんなマスクを外し始めているけど、自分は不細工だからマスクは絶対に外せないと思っていること。バドミントンの試合中も、周りで誰かが話していると、自分の悪口を言われている気がして全く集中できないこと。学校に行くのが嫌で、お母さんに黙って欠席したこと、などなど。

お母さんによると、何も話してくれないので関係は悪くなるばかりだと言います。やはり、勉強について行けなくなったのには、勉強の他に原因があったのです。

 

ここ数年、英語教室を卒業したお子さんの不登校やうつ病で悩んでいるお母さんが増えています。何か力になりたくても、私にできることは、お母さんの話を聞かせてもらうことだけです。そういう状況ではお子さん本人と会うのが難しく、直に話せる機会になかなか恵まれません。

Aちゃんと話していると、「先生って友達多そうやね」と言ったり、言葉の端々に居場所が見つからずに寂しいというSOSが感じられます。どうにか、Aちゃんのように、学校に居場所を見つけられない子どもたちが、安心して集まれる場所をつくりたい。その思いを行動に移す決心をしました。

長年、不登校支援の活動を続けている方のアドバイスを受け、『Mi Casaの日』という活動を始めることになりました。『Mi Casa』とはスペイン語で「私の家」という意味です。

我が家の教会は三笠郷(みかさごう)分教会という名称なので、この名前はピッタリ。不登校の子や学校へ行きづらいと感じる子どもたちが教会を訪れ、「自分の家」のように、何の不安もなくゆっくり過ごす時間。それが『Mi Casaの日』です。

 

Aちゃんには、「中間テストが終わったら、パンケーキ焼かへん?」と、うちへ遊びに来る感覚で誘ってみました。「え、いいの?」と、Aちゃんはとても嬉しそうな顔。いま英語教室に通っている、不登校の中学生の男の子も誘って、第1回「Mi Casaの日」を開催しました。

小さな時から英語教室へ通っていて顔見知りの二人は、すぐに打ち解けました。この日は私もすべての段取りを忘れ、みんなでおしゃべりをして、美味しいパンケーキを焼いて、お腹いっぱい食べて、ただただ、教会で喜びいっぱいの一日をゆっくり過ごすことができました。

 

その日の夕方、Aちゃんのお母さんが神様にお供え物を持ってきてくれました。そして、「あの子、いつもは話しかけても返事もしなくて、私ともパパともすぐケンカになるんですけど、教会に行った日は、帰ってきてたくさんおしゃべりするんです」と、笑顔で話してくれました。

以前、教会のある先生から「話すというのは、自分から手放すことだから、心が軽くなるんだ」と聞かせてもらったことがあります。不安を抱える子ども達も、そして親御さんも、ここへ来て、何でも話して、神様が空けてくださった心のスペースに喜びをたくさん詰めて帰ってもらいたいと、そう願っています。(終)

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