(天理教の時間)
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第1404回2026年9月18日配信

「どうして天理教をやっているの?」

家族円満 中臺眞治
中臺 眞治

文:中臺 眞治

第1403回

喜びは最高の伏線回収

人生における「伏線」は親神様がご用意下されたもの。それをどのように「回収」するかは、それぞれの心に任されている…

喜びは最高の伏線回収

大阪府在住  山本 達則

 

「伏線回収」という言葉をご存知でしょうか。映画や小説、ドラマ、アニメなどで、何気なく出てきたセリフや風景、アイテムなどが、後に物語の重要な場面で大きな意味を持ち、「あの時のアレはこういうことだったのか!」と、見る側に驚きや納得感を与える手法です。

この伏線回収は、私たちの人生にもあるのではないかと思います。

私たちは、自分で決められないものに囲まれて生活しています。例えば、生まれるタイミング、親、子供、きょうだい、見た目、才能など、数え上げればきりがありません。これらは決められないものであるにも関わらず、人生の中で重要な位置を占めるものばかりです。

さらには、思いがけない不運や望まない結果、望まない出会いや人間関係。それら出来ることなら避けたい事実も、自分でコントロール出来るものではありません。しかし、それが実は、私たちの人生の中にちりばめられた「伏線」であったと、後々気づかされることもあるのではないでしょうか。

天理教では、「心」だけが自分のものであり、身体は親神様からの「かりもの」、またその他のありとあらゆるものも、親神様からのお与えであると教えられます。であれば、人生における「伏線」も、親神様がご用意下さったものです。

しかし、その伏線をどのように受け止め、「回収」するかは、一人ひとりの心に任されています。親神様が望まれる「陽気ぐらし」を自ら引き寄せるためには、どんな伏線であっても喜んで受け取る、そのための努力が必要なのです。

私は以前、「あんな子供産まなければよかった」と、自分の子供の存在を恨む母親A子さんと出会いました。

A子さんの子供は幼い頃から勉強が苦手でしたが、活発で明るい子でした。しかし、成長していくにつれて反抗的になり、家庭の中での態度も粗暴になっていきました。高校に進学すると悪い仲間と付き合うようになり、A子さんは度々学校に呼び出されることになりました。

高校卒業後も定職につかず、場当たり的にアルバイトをして、お金が無くなると親にせびることを繰り返し、素行も益々悪くなっていきました。そんな折に私はA子さんと出会い、お話を聞かせてもらううちに、「あんな子供産まなければよかった」という言葉が出てきたのです。

私はその頃、長年引きこもりを続け、5年近く家族とも口をきいていない青年について、母親から相談を受けていました。そして、その母親の口から偶然にも、「うちの子も、親からお金をせびるぐらいになってくれたらいいんですが…」と聞かされていたところでした。

私はA子さんに、こんなお話をしました。

「息子さんのお世話はとても大変なことで、心配がつきないことは十分に分かります。『あんな子供産まなければよかった』という気持ちになるのも理解できます。でも、その言葉を出したところで、何一つ現状が良くなることはないでしょう。それどころか、お母さん自身が余計に辛くなるのではありませんか?

私が信仰している天理教では、私たちの目の前にある変えられない現実は、すべて親神様の親心からなるものであると教えられます。それがどんな姿であっても、その親心を喜んで受け取れるように努力することが大切なんです。

私たちは得てして、自分が持っていないものを持っている人を見て、羨んだり妬んだり、心を濁すことが多いように思います。最近、あなたと同じように子供のことで悩んでいるお母さんと出会いました。そのお母さんは、長年引きこもっている息子に、『お金をせびるぐらいになって欲しい』と言っていました。それぞれの家庭で色んな事情があり、それを簡単に推し量ることは出来ません。けれど、こんな風に思っている母親もいるということを、あなたに知って欲しいんです。

お子さんに起きてくる現実を、まずはしっかり受け止めましょう。そして、喜びの心で受け取れるように努力をすることで、親神様は必ず良い方向へ導いて下さいますよ」

話を終えると、A子さんは「そうですね」と言って、少しだけ笑顔になりました。

たとえ喜びにくいことが起きてきても、それに対して喜べるように努力を重ねることが、親神様がご用意下さる「伏線」に対する、最高の回収の仕方だと思います。

 


 

施し

 

この教えが始まって以来、教祖・中山みき様「おやさま」は、陽気ぐらしへのお手本となる「ひながた」の道を五十年にわたりお通り下さいましたが、その最初になされた行動は「施し」でした。

教祖は立教以前、いち主婦であった当時も、困っている人々に施しをされたものの、それは常識の範囲内の出来事でした。しかし、四十一歳で、親神様が入り込まれ「月日のやしろ」となられてからの施しは、人間思案では到底理解出来ない激しいもので、そうして親神様の思召しのまにまに、貧のどん底に落ち切る道を急がれたのです。

このことについて、教祖の道すがらを記した『教祖伝』には、「一列人間を救けたいとの親心から、自(みずか)ら歩んで救かる道のひながたを示し、物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける」と記されています。

また、お言葉に、

「元々は難渋でなかったけれども、有る物もやって了うた。難儀不自由からやなけにゃ人の難儀不自由は分からん。一寸ほのかに覚えて居にゃならん」(M23・6・12)

とあります。

この教祖のひながたに込められた親心を、いま現在の私たちは、それぞれに思案することが出来ます。しかし、伝来の財産を守ることが何よりも大切だと考えていた当時の人々は、教祖の行動の意味を推し量ることは出来なかったでしょう。

それでも教祖は、食べ物や着る物、家財道具のみならず、家の象徴である母屋まで取り壊して施しをされました。このままでは中山家は没落してしまう、誰もがそう思うような徹底した施しだったのです。

世間の人から笑われそしられ、そのうちに親族とも不付き合いになりました。しかも一年や二年ではなく、およそ二十年あまり、そのような道を歩まれたのです。しかし、その歩みにこそ、私たちが心の成人をする上での要点が示されているのではないでしょうか。

明治七年、目の見えないところを鮮やかにご守護頂いた増井りんさんは、河内から大和のお屋敷まで、山越えの約30キロの道のりを、夜となく昼となく足を運びました。その姿を見た村人たちは、「また今日も、あほうが狐にだまされにいく」と嘲り笑いました。

ある日、りんさんは教祖に、「私どもはあほうでございまする」と申し上げました。すると教祖は、「さようかえ、お前さんはあほうかえ。神様には、あほうが望みと仰るのやで。利口のものはつけん。人が小便かけたならば、ああぬくい雨が降ってきたのやと思って、喜んでいるのやで。人が頭を張れば、あああなたの手は痛いではございませんかと言って、その人の手をなでるのやで」と仰せられ、「その通りに、優しい心になるのやで」とお聞かせ下さいました。

りんさんは、このお言葉にどれほどの勇気を得たことでしょう。そして、九十七歳で出直すまで、生涯、神一条、たすけ一条の道を歩み抜かれたのです。

(終)

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