第1399回2026年8月14日配信
空間に込められたメッセージ
建物は単なる器ではない。その空間からどんなメッセージを発するのかを大切に、障害者施設の設計に携わっている。
空間に込められたメッセージ
埼玉県在住 関根 健一
私は、障害者施設を中心とした建築設計やデザインの仕事をしています。障害者施設というのは、利用者の人数や提供するサービスに応じて、国から報酬が支給される仕組みになっています。そのため、安全性はもちろんですが、面積や設備など、さまざまな基準を満たす必要があります。
たとえば、作業スペースには「利用者一人あたりこれだけの広さが必要」と決められていたり、相談室には個人情報の観点から、音漏れを防ぐ構造が求められていたりと、細かい条件がたくさんあります。
そうした中で私は、運営者の思いを丁寧にくみ取りながら、利用者が安心してイキイキと過ごせる環境と制度上の要件、その両方を満たすために、自治体と何度も確認や調整を重ねています。
最近では「農福連携」といって、農業と福祉を組み合わせた取り組みが広がってきました。障害のある方が、農作業だけでなく、食品加工や販売、接客まで担うケースも増えています。その流れの中で、カフェを併設し一般客も訪れるような、開かれた作業所も増えてきました。
地域との接点が出来ることで、新たな交流が生まれたり、閉鎖的な環境による問題が減ったりする良い面がある一方で、外部の人の出入りが増えることで、新たな配慮も必要になります。さらに「お店として選ばれる」ための工夫も求められるので、結果として、制度上の条件以上のことが必要になる場面も少なくありません。
そんな中、打ち合わせの際に私がよくお伝えしているのが、「建物にはメッセージを込めることが出来る」ということです。
たとえば、ショッピングモールに授乳室があれば、子育て世代の方は安心すると思います。反対にもし無ければ、「ここは子連れ歓迎じゃないのかな」と感じるかもしれません。
また、飲食店に喫煙室があれば、喫煙者の方は入りやすくなりますが、タバコの煙が苦手な方にとっては、敬遠する理由にもなります。つまり、設備や空間のあり方そのものが、その場所からの〝メッセージ〟として伝わっているのです。
以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、設置義務はなかったのですが、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。
実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。
もちろん、面積やコストの制約がある中で、簡単に採用できるものではありません。ただ、この提案をきっかけに、「この建物は、誰に、どんなメッセージを届けるのか」という視点を持って頂くことが出来ました。そして結果的に、別の形での配慮や工夫へとつながっていきました。
建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。
話は変わり、今年の一月、教祖140年祭でおぢばに帰らせて頂いた時のことです。本部神殿の西礼拝場と祖霊殿を結ぶ回廊に、スロープ昇降口があるのですが、そこから家族で上がらせて頂きました。
このスロープは、車椅子の方がエレベーターを待たずに神殿に上がれるようにと、教祖130年祭に合わせて整備されたものですが、これまでスロープ昇降口が開放される月次祭前後のタイミングで長女を連れて帰参する機会がなかったので、今回が初めての利用でした。
実際に上がってみた時、設備を通して「ようこそおかえり」と迎えて頂いているような、そんな感覚が込み上げてきました。
長女には、脳性麻痺の障害があります。小さい頃は抱えて参拝することも出来ましたが、成長するにつれてそれも難しくなりました。また、長女は身体に合わせたクッション付きの車椅子でないと座ることが出来ないため、神殿備え付けの車椅子には乗り換えられません。そのため、境内掛にお願いして許可証を頂き、神殿に上がらせて頂いてきました。
ただ、事情を知らない方からすると、その様子が珍しく映るのか、ジッと見られることもありました。また、地下通路での手続きが必要なため、団体で帰参した際には、皆さんを待たせてしまうこともありました。そうしたことが積み重なる中で、妻はいつしか、長女を連れておぢばがえりをすることに、少し申し訳なさのようなものを感じるようになっていきました。
そんなある日、妻は実家の父にその話をしました。妻が「もうこの子を連れて帰らない方がいいのかな」とこぼすと、義父は満面の笑みで、「何を言っているんだ。教祖は、おまえたちが帰ってくるのを、両手を広げて待って下さっているんだぞ。胸を張って帰ればいいじゃないか」と。この言葉によって、妻は「迷う気持ちがなくなった」と話してくれました。
そして、教祖140年祭から三か月が経った今年の4月25日。「障害者おぢばがえり大会」に、長女と一緒に参加させて頂きました。
この日に合わせて、北礼拝場西側に車椅子参拝スペースが新設され、これまで使われていた西礼拝場の車椅子席から進み、車椅子のままで「かんろだい」の間近で参拝出来る環境が整えられていました。当日は、そのスペースをさらに広げるために臨時の車椅子スペースが設置され、多くの車椅子ユーザーとその家族が集いました。
長女に「あそこに見えるのが、かんろだいだよ」と伝えた時、胸の奥にあたたかいものが広がりました。「ああ、本当に迎えて頂いているんだな」という気持ちが、自然に込み上げてきました。
おぢばが人類のふるさとであること。そして、ご存命の教祖がお迎えくださる場所であること。それは私たちにとって、揺るぎない真理です。そしてその真理が、こうした設備や形を通して、より具体的なメッセージとして伝わっていく。私はそう感じています。
今回、かんろだいを間近に参拝させて頂いた喜びを胸に、長女とともに、おたすけに歩ませて頂きたいと思います。
さあ掃除や
掃除といえば、掃除機でお部屋をきれいにしたり、近所の落ち葉を掃いたりと、ごく当たり前の日常の風景です。皆さんも職場や学校、自宅の掃除などは日々心掛けていることでしょう。
しかし、この教えでは、「胸の掃除」というお言葉が随所に出てきます。「世界中の人間を、一人も余さずたすけたい」これがこの世界と人間をお創り下された親神様の切なる思いであり、そのためには、一人ひとりの「胸の掃除」が必要であるとお示し下さるのです。
教祖直筆による「おふでさき」に、
このみちハうちもせかいもへたてない
せかいちううのむねのそふぢや (十五 47)
このみちハどんな事やとをもうかな
せかい一れつむねのそふぢや (十六 57)
とあります。
内々の者も世間の者も隔てなく、世界中の人々の「胸の掃除」をする。つまり、心のほこりを払ってゆく。そして、陽気ぐらしへの道を進めるため、人をたすける心に入れ替わるよう導いていくのだと教えられます。
さらには、
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ (三 52)
とのお歌で、胸の掃除に必要なのは、何より真実からなるこの教えを実践すること。それによって、親神様が箒となり、心のほこりは徐々に取り払えるのだと教えられます。
しかしながら、世界中の人々の胸の掃除をするには、多くの人材を必要とします。
お言葉にも、
「さあ掃除や。箒が要るで、沢山要るで」(M20・3・15)
とあります。
親神様の道具としての箒の役割、すなわち、教えを身につけ、真実の道を通る人材を多く求めておられます。
お言葉はその後、「使うてみて使い良いは、いつまでも使うで。使うてみて、使い勝手の悪いのは、一度切りやで。隅から隅まですっきり掃除や」と続きます。
親神様にとって使い良い人材は、いつまでも使って下さるとの仰せです。そして、胸の掃除が出来たならば、
心さいすきやかすんた事ならば
どんな事てもたのしみばかり (十四 50)
と、楽しみづくめの日々が待っていることを、お示し下されています。
(終)
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