第1396回2026年7月24日配信
心の向きが変わる時
83才のNさんが胃がんで全摘手術を受けた。術後「生かされている」ことを実感したNさんの信仰は大きく変わる。
心の向きが変わる時
福岡県在住 花田 浩美
現在、教会でおたすけをさせて頂いている、83歳のNさんという男性信者さんのお話です。
Nさんは40数年前にようぼくになっていましたが、教会との関わりは、月次祭やひのきしんに熱心に足を運ぶ奥さんとそのお姉さんを、教会まで車で送迎することと、お姉さんの講社祭に参拝することでした。
そんなNさんに大きな転機が訪れます。2024年3月、胃がんが見つかり、胃の全摘出手術を受けることになったのです。術後、目を覚ましたNさんは、生かされていることをしみじみと実感し、感激したことを教えてくれました。
この「生かされている」という感激が、Nさんを変えました。それまで送迎だけだった教会へ、ご自身も参拝するようになったのです。胃を摘出したので見た目はどんどん痩せていきますが、反対に信仰に対して積極的になっていくNさんの姿に、周囲も大変勇ませてもらいました。
ところが2025年10月、胃がんが再発。医師からは、腹水がたまっていて、腸への転移の可能性があり、抗がん剤治療をしなければ余命4か月、治療をしても1年、と厳しい告知を受けました。
年齢や体力のことを考えると、周囲は心配するばかりでしたが、Nさんはそれでも前向きに、「1年でも命があるなら」と、抗がん剤治療を受けることを選択しました。
治療中は、身体は思うように動かず、足はフラフラ、食事もなかなか取れず、さらに痩せていきました。そんな中でも、私たちがおさづけを取り次ぎに病室へうかがうと、いつでも「はい、お願いします」と快く笑顔で迎えてくれました。
おぢばの月次祭を参拝した後にNさんのところへ行き、御本部での神殿講話のお話をさせて頂く時も、また教祖のひながたについてお話を取り次がせて頂く時も、素直にうなずきながらとても真剣に聴いてくれます。また、これまでの通り方を取り戻すように、天理教の本を次から次に読んで勉強しています。その姿に、何とかたすかってもらいたいというこちらの思いも、益々強くなります。
4月の「全教一斉ひのきしんデー」には夫婦で参加し、Nさんは地べたに横になりながら草引きをしていました。
周りの方が「大丈夫ですか?無理しないで下さいね」と声をかけると、Nさんはニコッと笑って「私の姿を見て、『あの人も頑張っているんだから、自分も頑張ろう』と、少しでも誰かの励みになれば」と言います。その言葉は力強く、澄みきった響きがしました。
40数年間、ようぼくでありながら、なかなか踏み出せずにいたおさづけの取り次ぎにも意欲的になり、教会の月次祭のおつとめもつとめてくれるようになりました。
長い間休んでいたようぼくが、まさにいま目を覚まし、動き出そうとしている姿だと思いました。Nさんは80を過ぎていますが、教祖の目からご覧になれば、何才になってももう遅いなどということは決してないと、私は信じています。
また、Nさんの病気をきっかけに、以前修養科を修了していながら、教会から足が遠のいていた長男さんが、送迎などで少しずつ関わるようになり、
それだけでなく、お父さんに毎日おさづけを取り次いでくれるようになったのです。それは、Nさんの奥さんが長年思い続けたおさづけの取り次ぎの実践であり、さらには離れて暮らす次男さん夫婦も、「お父さんにおさづけを取り次がせてもらいたい」と、別席を運んでいるところです。
そして、奥さんは、どんな時も笑顔でいようと心に決め、やさしくNさんを支えています。時には言い合いになることもありますが、「ケンカ出来るのも生きているからこそ」と、喜んでいるぐらいです。夫婦で話が出来ること、一緒にご飯を食べ、共に過ごせること。その一つひとつを噛みしめながら、生きる喜びを味わっています。
夫婦でおつとめをつとめ、おさづけの取り次ぎ合いをし、「少しでも教祖のひながたを通れているだろうか」と反省をしながら、今、生かして頂いている一日々々を大切に過ごしておられます。そして、今年一年間は「毎月おぢばに帰る」と夫婦で心を定め、実行しています。
「今、このおうちには教祖がおられる」と、おさづけに通うたびに感じさせて頂いています。
『天理教教典』に、「親神が、種々といんねんを見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、或は勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであって、好ましからぬいんねんを見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心にもたれ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元のいんねんに復元されて、限りない親神の恵は身に遍く、心は益々明るく勇んで来る」とあります。
また、『おふでさき』には、
にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
と記されています。
親神様は、私たち一人ひとりにちょうど良い旬の出来事や、様々な身上や事情を通して、陽気ぐらしへ向かっていけるようにお導き下されている。Nさん家族の信仰を通して、私はその大いなる親心をあらためて感じています。
先が見えんのや
教祖のひと言のお諭しによって身上をご守護頂いたという例は、枚挙に暇がありません。
中山コヨシさんが、夫重吉さんと結婚して間もないある日、近所でお祝い事があって、大きな重箱に一杯、約一升のお赤飯を頂戴しました。折から空腹を抱えて田んぼから帰ってきた重吉さんは、この大好物をまるで子供のように喜んで、一人でペロリと平らげてしまいました。
前々から夫があまりにお人好しなのを頼りなく思っていたコヨシさんは、これを見て浅ましく、情けない気持ちになりました。
「こんなに大飯食らいで大した働きもない人と連れ添っていたのでは、行く末が案じられる。いっそ今のうちに別れてしまおう」と思い、生家へ帰ろうと決心した途端、急にあたりが真っ暗になり、何も見えなくなってしまったのです。
折よく家へ立ち寄ってきた飯降さとさんの声を聞きつけたコヨシさんが、「おさとさん。えらい俄かに真っ暗になりましたが、お日様がどうかなさったのでしょうか」と尋ねました。「何を言っているのや、こんなにカンカンに照っているのに」と、おかしな挨拶に驚いたおさとさんが駆け寄って見た時には、コヨシさんの両眼は完全に光を失っていました。
「これ、コヨシさん。いったいどうしたのや。目の玉の色が、まるっきり変わってしもうているがな」
そうしておさとさんは、一目散に教祖のところへ駆けつけ、ことの次第を申し上げました。すると教祖は、「コヨシはなあ、先が見えんのや。そこを、よう諭してやっておくれ」と、お言葉を下さいました。
おさとさんから教祖のお言葉を承ったコヨシさんは、たった今したばかりの夫に対する先案じや不足を、泣けるだけ泣いてお詫び申し上げました。すると、急に目の前にいるおさとさんの顔がぼんやりと目に映って来たのです。こうして一瞬にして、元通りにはっきりと見えるようになるまでご守護頂いたのです。(教祖伝逸話篇 125「先が見えんのや」)
お言葉に、
「成らん中たんのう、治められん処から治めるは、真実誠と言う。前生いんねんのさんげとも言う」(M30・7・14)
とあります。
たんのうとは、どのような困難な事情が起こってこようとも、常に自分の心遣いを省みて、いかなる事も親神様の思惑であると悟り、心を倒さずに喜び勇んで歩む。そのような通り方を言います。
私たちはうっかりすると、つい不平不満や先案じにとらわれやすく、喜びから離れてしまいがちなものです。どのような中も、喜びの心一つに通りたいものです。
(終)
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