第1312回2024年12月13日配信
お産のふりかえり
私が経験した4回のお産は、毎回驚きの連続だった。どのお母さんのお話を聞いても、皆それぞれにドラマがある。
お産のふりかえり
静岡県在住 末吉 喜恵
子育て支援の活動をしている中で、保護者同士の交流の時間をとることが多く、色んなテーマでお話をしてもらうのですが、その中の一つに「お産のふりかえり」というものがあります。
お産には、人それぞれ顔が違うのと同じように、それぞれにドラマがあって、同じ母親であっても一人目と二人目では全く違ったりします。願い通りのお産にならないことも多く、それを受け入れられずに苦しんでいる人もいます。ただ、母親となり、初めて我が子と対面した時の喜びは誰しも忘れないもので、いずれはどんなお産であっても受け入れることが出来るのではないかと思います。
私のお産についてお話をします。第一子は、妊娠中に病気が見つかったこともあり総合病院で産みました。妊娠後、卵巣に腫瘍が発見され、5ヶ月の時に卵巣を一つ摘出。がんの疑いもありましたが、「ボーダーライン」、いわゆる良性でもなく悪性でもないという結果で、私の命も子供の命もギリギリセーフでたすかりました。
予定日の5日前に少しだけ破水してしまい、そのまま入院。でも、なかなか陣痛が起きません。破水していてあまり長くは持たせられないので、陣痛促進剤をまるまる二日間も投与し続けました。二晩ほぼ一睡もできない中、三日目にようやく自然の陣痛が起き、そのままお産になりました。
先生方があの手この手の医療行為を用いて下さり、三日かかってようやく産まれてきてくれました。夫も三日間ずっと付き添い、背中をさすったりしてくれていたので、私と同じように体力を消耗していました。予想外のことばかりの出産でしたが、元気な赤ちゃんの姿を見たら、不思議なことにそれまでのしんどさはどこかへ消えました。
二度目は、長女が二歳を過ぎた頃に妊娠が分かりました。ウキウキしながら病院へ行ったのですが、先生が首を傾げて難しい顔をしています。「また病気が再発したのかしら?」と不安に思っていると、「双子ですよ」とのこと。家族中で驚きや楽しみ、不安など、色々な思いが湧きました。
お腹が大きくなるのはとても早く、妊娠6カ月の時に友人から「私の臨月の時みたい」と言われました。胎動ももちろん二人分で、お腹の動きで二人の性格の違いまで何となく分かるようでした。
有り難いことに、妊娠中は何のトラブルもなかったのですが、総合病院としての方針で、双子は帝王切開で産むと決められていました。「自然分娩で産ませてください」と最後まで粘って訴えたのですが、方針は変わらず、管理入院をしている時も、どの先生からも「帝王切開が安全です」と説得されました。
37週0日で予定通り手術を受け、二人の女の子を産みました。近所で床上浸水の被害が出るほどの物凄い雨の中、出てきたのは2380グラムと2450グラムの大きな赤ちゃん。「こんなに大きな子が二人も入ってたんだ!」と妊娠中の自分を褒めたい気持ちになり、無事に産まれてきてくれたことに心から感謝しました。すべて順調で、保育器に入ることも黄疸が出ることもなく、産後7日目で三人一緒に退院できました。
三回目のお産は、双子を産んでから一年七か月後に妊娠が分かりました。同じ総合病院で診てもらうと、「帝王切開の後は続いて帝王切開になります」ときっぱり言われ、やはり自然分娩で産みたいという気持ちが強く、近所の助産院に行きました。院長さんは、「第一子を自然分娩で産んでいるから大丈夫でしょう」と快く引き受けて下さいました。
ちょうどその頃、帝王切開の後に自然分娩で産んだ母親が、子宮が破裂して亡くなったと新聞やニュースで話題になりました。でも私は、人間本来の持っている力を信じ、親神様のご守護を信じました。
その日、朝から起きた陣痛は、弱くなったり強くなったりの繰り返し。もともと微弱陣痛の体質なので、やはり時間はかかります。お昼頃産院に行ったのですが、まだ子宮口が全く開いておらず一旦帰宅し、子供たちに夕飯を食べさせ、お風呂に入れて三人とも寝かしつけました。
夜になって痛みが出たので再び産院に行くと、まだ子宮口は3センチしか開いておらず、お産は朝になるだろうと言われ、夜中の12時過ぎに待機室へ。夫はその間ずっと付き添い、身体をさすったりおさづけを取り次いでくれたりしていました。
ところが、待機室に入るやすぐに破水!慌てて分娩室に行き、午前1時10分には生まれてきました。まさに、あっという間の出来事でした。「これだから経産婦は分からないのよね~」という助産師さんの言葉が印象的でした。私は、人間が本来持つ力と、神様のご守護の凄さに感激しました。
最後、四回目のお産です。早い時期からお腹の張りがあったので、今度は早めに生まれてくるかな?と思いきや、なかなか陣痛が来ません。そんな中、39週に入った日に強めの張りが来ました。いよいよかな?と思い、お産が早く進むように家中雑巾がけをしました。
そんなことができるのは、微弱陣痛だったからですが…。
お昼ぐらいから家の中のありとあらゆる所を掃除していると、午後4時頃にはなぜか陣痛が消えてしまいました。「あれ?今日は来ないのかな?」なんて思いながら、散歩がてら、双子のピアノ教室の送り迎えをし、夕飯を済ませ、お風呂に入り、子供たちも寝たところで、ようやく10分から12分間隔の陣痛が来ました。「夜中だと子供たちが立ち会えない。できるなら朝方に産みたいな」とぼんやり願っていると、夜中の2時頃、陣痛が7、8分間隔になり、産院に向かいました。
4時過ぎに破水が起き、自分で電話をして夫と子供たちを呼びました。お産に間に合うか心配でしたが、みんなすぐに来てくれて、私の手を握ったり、「頑張れ~」と言って応援してくれました。
出産は何度経験していても、痛いものは痛いので、「いた~い!」と大声で叫んでいましたが、4、5回いきんだら産まれてきました!
この四回目のお産は、赤ちゃんのペースで産まれてきたんだなあ、ということが実感できました。子供たちと一緒に新しい命の誕生を迎えられたことが何より嬉しく、すぐにみんなで記念写真を撮りました。ちょうど子供たちの登校時間になり、みんな遅刻することなく学校へ行くことが出来たし、本当にいいお産をさせてもらえたと感謝しました。
お産とは、自分の力ではどうにもできない、神様のご守護を直接に体感させて頂けるものです。私の場合も毎回色々なドラマがあって、どれ一つとっても全く違う経験でした。
しかし、子供が大きくなるとその感動を忘れ、彼らに対する不満や不安も増していきます。産まれた瞬間の喜びをいつまでも忘れず、感謝の心で通らせて頂きたいと思います。
「みんな、生まれてきてくれて、ありがとう」
心の成人
天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、直筆による「おふでさき」で、
にち/\にすむしわかりしむねのうち
せゑぢんしたいみへてくるぞや (六 15)
と記されています。
教祖は、何より私たち人間に「心の成人」を求めておられます。そして、人の心を水にたとえて、いかにして心を澄まし、成人するべきかを「おふでさき」によって教えられます。
これからハ水にたとゑてはなしする
すむとにごりでさとりとるなり (三 7)
この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ (三 10)
このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや (三 11)
濁り水を澄ますためには、砂と水嚢にかけてろ過をすることが必要です。教祖は、濁ってしまった心を澄ますために必要な道具は、どこにあると思うかと問われ、それは「胸」と「口」なのだと仰せられます。
胸は思案を重ね、悟りを得るための道具であり、口はその悟りを人に伝える道具です。自らの悟りを人に伝えるとはすなわち、おたすけの現場に身を置くことで、そうして人をたすける実践を積み重ねるうちに、心は次第に澄んでいくのです。
その意味で「せゑぢんしたいみへてくる」の成人とは、一般に宗教で言うところの「聖の人」、すなわち徳の高さや深い信仰を持つという意味での「聖人」と同じ意味にとれるかもしれません。
ただ、決定的に違うところがあります。普通、聖人になるためには、人里離れた場所で難行苦行を重ね、それによってある宗教的境地に到達することを目指します。しかし教祖は、人里離れた「山の仙人」ではなく、日常の中で教えを実践する「里の仙人」になることを促されました。
信仰実践の場は、あくまで普段の暮らしの中にあります。神様からの「かりもの」である胸と口とを縦横に使って、心の成人を遂げたいものです。
(終)