(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1269回

マリーゴールド

娘の卒園記念にマリーゴールドの株を頂いた。花の知識が全くない私だが、これは何としても枯らすわけにはいかない。

マリーゴールド

奈良県在住  坂口 優子

 

教会の門を入ると、色とりどりの花が可愛らしく咲いています。私が花を育てることにはまったのは、末娘の保育園の卒園記念で、マリーゴールドの株を頂いたことがきっかけでした。

私は小学校の理科の授業以来、まともに花を育てたことがなく、知識も全くありません。でも、このマリーゴールドは、生後六か月から六歳になるまで、娘を育ててくださった先生方に頂いたものですから、何が何でも枯らすわけにはいかないという気持ちになりました。

最近はとても便利な時代で、知識がなくても、携帯電話で写真を撮って検索すれば、花の名前から育て方まで知ることができます。早速色々と調べて、株を植え替えました。

玄関に並んだ小さな植木鉢はとても可愛くて、ずっと見ていられるほど愛おしくなりました。娘も大喜びで、小さなじょうろで水をあげてくれます。

保育園で先生に教えてもらったのでしょう、「お水はお花じゃなくて、土にあげるねんで」と得意げに言いながら、上手に水をあげている姿を見て、先生方への感謝の思いがあふれてきました。それからは、親子での毎日の水やりの時間が、とても楽しみになったのでした。

しばらくたったある日、友人が私を訪ねてきました。玄関の鉢を見ながら、「花植えたんや。可愛いなあ」と言ったかと思いきや、唐突に「この花、摘んだ方がいいよ」と言うのです。

彼女曰く、「もったいないと思うやろうけど、先に付いた花を摘んでおけば、脇芽が出て株がしっかりするんよ。そうすればこの先、花はなんぼでも咲くから」とのこと。私は彼女の言うとおりに株を育ててみることにしました。

ところが娘は、「え~、せっかく咲いたのに可愛そうやん」と悲しそうな顔。するとその様子を見た伯母が、「摘んだ花は別に生けたらええねん。ほら、これにどうぞ」と言って、生け花に使うオアシスを持ってきてくれたのです。

こうして小さな花を生けて飾ると、廊下や食卓が明るくなり、心が豊かになったようでとても幸せな気持ちになります。前を通りかかる度に、「可愛いねえ」と思わず話しかけてしまいます。

そんな幸せな毎日を送る中、梅雨が明けた頃、マリーゴールドの葉に蜘蛛の糸のようなものがかかっていました。こんな所に蜘蛛がいるのかな?と探してみても見つかりません。するとある日、前の日まで元気だったマリーゴールドが、半日ほどで突然枯れてしまったのです。

私はショックで大慌て。花に関する知識がないので、何が起きているのか分かりません。娘も「え~」と悲鳴をあげ、「ちゃんとお水あげてたし、何でやろう?」と信じられない様子。

ところが、葉をよく見ると白い斑点があるのを発見しました。すぐに携帯で写真を撮って検索すると、「ハダニ」であることが分かりました。ハダニは葉の裏に寄生する害虫で、対策が遅れると大量発生し、植物を枯らしてしまうのです。

大急ぎでハダニの駆除剤を買いにホームセンターへ行ったのですが、店員さんに「その状態なら、もう手遅れかもしれませんね」と言われてしまいました。

それでも諦めたくない。この花だけは、絶対枯らせたくない。娘が大きくなった時、この花を見て保育園の楽しい思い出がよみがえるように。そして私自身、娘にたくさん愛情をかけてくださった先生方へのご恩を忘れないように。ただその一筋の思いで、枯らしてたまるものかと、私のマリーゴールドに向き合う日々が始まりました。

枯れたり傷んでしまった葉に、「ごめんね、ごめんね」と声を掛けながら、丁寧に一枚ずつ切り取っていきました。そして、残ったわずか数枚の葉に駆除剤をかけ、「お願い、元気になって。神様、どうかお願いします」と祈りながら、水と肥料をやりました。

次の日も、また次の日も「おはよう。お願い、がんばって!」と声を掛けながら水やりをしました。娘も横にしゃがんで、「がんばれ!」と応援してくれます。

するとある日、緑色の生き生きとした葉が顔を出したのです。「やったあ!」嬉しくて視界がにじみました。私がそれまで掛けてきた「がんばって」という言葉も、いつしか「ありがとう」へと変わっていきました。やがて、それまでの寂しい姿が嘘のように、傷一つない緑の葉が森のように茂り、オレンジ色のマリーゴールドの花をたくさん咲かせたのです。

天理教では「声は肥」つまり、言葉は肥やしであると聞かせて頂きます。私たちの出す一つ一つの言葉は、周りに良い影響を与えられるということですが、植物に対しても愛情をかけ、言葉をかけ続けたことが栄養分となり、いい結果を生んだのかも知れません。

昨年、そのよみがえったマリーゴールドから取れた種を植えました。可愛い新芽が顔を出すと、「ママ見て!芽出てるで!」と娘も大喜び。すると父が、「それ、ここに植えたらええわ!」と大きなプランターを用意してくれました。

今日も、オレンジ色のマリーゴールドが元気よく咲き、お日様に向かって輝いています。水をたっぷりやるのはもちろん、「おはよう!今日も可愛いね」と、言葉の栄養もたっぷりかける毎日。神様の恵みを頂いて、いつまでも咲き続けてくれますように。

 


 

天理教の身体観

 

天理教では、私たちの身体における神様のお働きについて、「かしもの・かりもの」という教えの中で説かれています。お言葉に、次のようにあります。

 

「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る」(「おさしづ」M22・2・14)

 

多くの人が、自分のものとして疑わない身体が、実は神様からのかりもので、自分のものは心だけであると仰せられます。

この、かしもの・かりものの教えの前提となるのが、

 

 たん/\となに事にてもこのよふわ
 神のからだやしやんしてみよ(「おふでさき」三40・135)

 

とあるように、この世界は神様の身体である、という教えです。

かしもの・かりものの教えを心に治めるには、この世界において、人間のものと言えるものは何一つなく、すべては神様からのお与えであること。そして、そもそも、この世界は誰によって造られたのか、という順序を分かっていなければなりません。

お言葉に、

 

「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」(「おさしづ」M20・1・13)

 

とあります。

この広大な宇宙は、月日親神様によって造られた。そして、地球という惑星において人間を創造され、その人間たちが次第に集団を作り、やがて国となった。それぞれの国では、そこに住む人々が守るべき法律を作り、その法律に従って暮らしている。現在の人々の暮らしがあるのも、すべては親神様の元初りのお働きがあってのことである。このような厳然たる順序を教えられています。

そして、宇宙全体が神様の身体であり、すべてが神様のご守護であるなら、その小さな一部である人間個々の身体もまた、この世界を動かすのと同様の理合いによって、結構に使わせて頂いているというわけです。

このように「かしもの・かりもの」の教えは、壮大な世界観の上に説かれていると同時に、私たちの日々の暮らしとは切っても切れない、身近な教えなのです。

(終)

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