(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1267回

人生の物差し

所属する経営者団体で会員拡大に努める中、「これは『にをいがけ』に通じるものがあるのでは?」と感じた。

人生の物差し

 埼玉県在住  関根 健一

 

私は六年ほど前から、地元埼玉の経営者団体に入会し、経営の勉強をしています。勉強と言っても、講師がいてセミナーを受けるというわけではなく、様々な業種の経営者たちの失敗や反省も含めた体験報告を聞き、それを元に討論しながら共に学び合い、自社の経営のヒントを持ち帰る。そんな形で学んでいます。

入会して数年経つと、色々な役目が回ってきますが、ある時、会員拡大に関する役職を任されました。長く続いたコロナ禍の影響で業績を落とした会社も数多くあり、そのせいもあって、ここ数年で退会者が増えてきたことから新設された部会です。

会の運営を維持するためには、会員の拡大は避けて通ることはできません。どこまでお役に立てるか分かりませんが、せっかく声を掛けて頂いたので引き受けることにしました。

世の中には規模の大小はあれど、経営者と呼ばれる人は五万といます。多くの経営者は、自社の経営を良くしたいという思いで日夜研鑽に励んでいて、「一緒に経営の勉強をしませんか?」と会に誘っても、「そんな時間はありません」などと断られることも多いのです。

一方で、経営者団体も数多存在し、それぞれが精力的に活動していて、経営者はその特徴を見極めて参加する団体を決めています。その中で自分たちの団体を選んでもらうのですから、「会員を増やしたい」というこちらの都合だけでは、なかなか振り向いてくれません。やはり、入会することによって何らかのメリットがあることを伝えなければいけないと思い、その理由について模索することにしました。

そんな思いでいたある日、沖縄で開かれる全国大会に参加することになりました。全国から千数百名の経営者が集まる中での交流は大いに刺激になり、私としてはこれだけでも十分入会した価値があると思えるのですが、人に勧めるような「これだ!」と言える理由にはめぐり会えずにいました。

そうして迎えた二日目の終盤、講演に立った大学教授のお話を聞いているうちに、ストンと腹に落ちる言葉がありました。

それは「この団体は共通の理念を元に、地域で経済活動を行っている経営者の集まり。その理念が広がって、同じ理念の元に活動する経営者が増えれば、地域が活性化し、結果として自社の利益にもつながる」というものでした。

なるほど!と、膝を打つ思いでその言葉を書き留めました。地元に帰ってから、会員の拡大を担当する仲間とその言葉を共有し、どうやってこの思いを具現化して伝えていくか、話し合いを重ねていました。すると、ふと、自分のしようとしていることが何かに似ていると感じました。

それは、天理教で「にをいがけ」と呼ばれる布教活動です。先ほどの教授の言葉をお借りすれば、このようになるでしょうか。

「天理教は共通の理念である『陽気ぐらし世界の建設』を元に、地域でにをいがけ・おたすけを行っている信仰者の集まり。その理念が広がって、同じ理念の元におたすけをする信仰者が増えれば、地域が活性化し、結果として自分自身の幸せにもつながる」

もちろん、様々な信条や信仰を持つ経営者の集まりですから、天理教の教えと全てが一致するわけではありません。しかし、経営者であり、信仰者である私にとっては、この団体の活動を通して、教えを広めていく気持ちも大事なんだと気づくことができました。

そんな心の動きを、団体のある幹部の方と話す機会がありました。特に天理教についての知識は持っていない方ですが、私が信仰者であることはご存知で、その話を興味深く聞いてくださいました。

「人間にとって信仰は物差しだと思うんです。物差しがなければ、人は目の前にあるものを自分の都合のいいように解釈して、10センチのものを1メートルと言ったり、1センチと言ったりできます。でも、神様の教えという物差しがあると、あくまで10センチのものは10センチであり、そこに過不足が生まれるのは自分自身の心遣いに依るものなんです」

このように物差しに例えて話したところ、「関根さんの信仰のお話は興味深い。いつか一緒に天理にお参りしたい」と言ってくださいました。

正直なところ、初めはあまり気乗りのしなかった会員拡大のお役でしたが、「はい」と受けて自分なりに真意を求めていった先に、親神様・教祖が先回りのご守護をくださったのだと感じました。

その後、「神様の教えは物差しである」ということについて、自分なりに考えを深めていきました。

皆さん、突然ですが「21センチ」と聞いて、その長さを手で示すことができますか? 「多分このぐらいだろう」と言うことはできても、「絶対にこの長さです」と示すのは難しいと思います。

皆さんの身近にあるチラシやコピー用紙などで、広く使われているA4サイズの紙があります。その短い方の辺の長さが21センチです。そこに手を合わせれば、ほぼ狂いなく21センチを示すことができます。

ここで言うA4の紙を、私たちが持っている信仰の物差しだとすれば、その物差しに沿って日々信仰を深めていくうちに、21センチという長さを体得することができるでしょう。そして、常に自身の信仰を顧みることで、いつでもどこでも正確にその長さを示すことができるような、つまり、神様の思召しに沿った行いのできる人間になれるのだと思います。

信仰者として、常に「人生の物差し」を持ち続けていたいものです。

 


 

梅を見に行こう!

 

「憩の家」では、「病は、人間を〝陽気ぐらし〟へ導こうとされる親神様の手引きである」との天理教の教えに基づいて看護が行われている。陽気ぐらしとは、人間の親なる神様の思召のもと、世界中の人々が互いにたすけ合い、喜びに包まれて暮らすことをいう。

治療が奏功して良くなられる場合は、皆さん大変喜ばれ、「これからは、私も人だすけに貢献します」と言ってくださることも少なくない。しかし、難病や予後不良の病気を患う方が、陽気ぐらしへ心の建て替えを果たすのは、並大抵なことではない。その過程にいかに寄り添い、共に歩むことができるか……それが私たち看護ようぼくの使命である。

梅の花がほころぶころになると、がんを患っていた女性患者Aさんを思い出す。Aさんのがんは全身に転移しており、抗がん剤治療が施されたものの、寝たきり状態となっていた。しかし、まだ食事を口から取ることができたので、いまが家で過ごせる最後のチャンスであろうと思われた。

娘さんに相談したところ、休暇を取って実家に帰り、介護できるとの返事だった。そこでAさんに、「治療も一応終わって、いまは点滴もないし、おうちで娘さんと一緒に、ご主人がお仕事から帰ってこられるのを、明かりを灯して待ってあげるというのはどうでしょうか」と持ちかけた。すると、「師長さん、私は主婦だから、ご近所の方が退院したのを知って訪ねてこられたときに、せめて玄関に立って応対できないと、家に帰る意味がありません」とおっしゃった。

Aさんのがんは全身の骨にも転移しており、ほんの少しの衝撃でも骨折する恐れがあった。それゆえ「立って玄関まで歩いて応対する」という目標が達成できるとは考えにくかった。それでも、その願いに一歩でも近づくために、主治医に「リハビリを依頼していただきたい」とお願いした。しかし、若い主治医は体への負担を心配して、終末期のリハビリには否定的だった。

本来、リハビリの目的とは「人間らしく生きる権利の回復」だといわれている。終末期で寝たきりであっても、Aさんが人間であることに変わりはない。ましてや「魂は生き通し」とお聞かせいただき、共に陽気ぐらしを目指す私たちとしては、Aさんの希望をなんとしても叶えて差し上げたかった。

なんとか主治医の同意を取りつけ、リハビリが始まると、驚いた。それまでは、ともすれば暗い雰囲気であった病室が、笑い声も聞かれる明るい空間に変わったのだ。おのずと会話も前向きなものとなった。

そんななか、Aさんは「今年も梅を見に行きたいな」と呟かれた。Aさんにとって、おそらく最後になるであろう花見……。私たちは、Aさんのお花見を実現するために、試行錯誤の末、どこにも体をぶつけることなくAさんを乗用車に乗せる方法を編み出した。それは、シーツにくるんだ状態のAさんを、ストレッチャーから車内へ五人がかりでスルリと引っ張り込み、座らせるという方法だ。何度も何度もAさん役のナースで練習を重ね、ついに、どこにもぶつけないところまで上達した。

お花見の当日、当初は「なにもそこまで……」と批判的であった主治医も出発に立ち会ってくださった。そして、無事に車に乗り込んだAさんのあまりの喜びように、思わず「私も行きたい!」と車に飛び乗られた。……が、100メートルも行かないうちに、さまざまな用事があることを思い出し、あわてて降りて病院へ戻られた。

いかなる状況であっても、喜べるのが陽気ぐらしであるならば、つらい闘病の日々においても、ほんの少しでも喜んでいただける看護を……と、私たち看護ようぼくは、今日も模索し続けている。

(終)

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