第1253回2023年10月27日配信
東京スカイツリーから、こんにちは ~生まれ替わって会いにくるね~
次女の二人目の妊娠は、八か月の流産という悲しい結末に。しかし、ママには赤ちゃんの声がはっきり聞こえてきた。
月のものはな、花やで
2007年、当時の厚生労働大臣が「女性は子どもを産む機械である」という趣旨の発言をし、物議を醸しましたが、その後も、女性に対する差別的な発言は、政治の世界でも後を絶ちません。まして、今よりはるかに人権意識の低い江戸末期に、女性であり、いち主婦であった中山みき様、天理教の教祖として私たちは「おやさま」とお慕いしていますが、教祖がこの教えを伝えられたことは、現代の感覚よりずっと大変なことであったと拝察します。
次のようなお言葉があります。
「何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ」。(「おさしづ」M21・1・8)
何も特別に勉強したものではない。何でもない農家の、何も知らない女。そのいち主婦がこの世界と人間を創られた神の究極の教えを説いているのだ。何かを見に行って、見聞を広めて思いついたとか、何かを学習して悟りを得たとか、そういうことではない。そういうただの女一人が、真実の教えを広めたのである。そう仰せくだされています。
教祖が、女性という存在の尊さを大らかにお諭しくだされている、次のような逸話が残されています。
教祖に、「外の方を見ておいで」と言われた一人の信者が、警察の取締まりの厳しい時であったので、気を付けて辺りを見回しました。どうやら誰もいないようなので、教祖のもとへ戻って、「神さん、何んにも変わりはありゃしません。向こうのあの畑には、南瓜がなっています。この畑には、茄子が沢山出けました」と申し上げると、教祖は膝を打って、こう仰せられました。
「それそれ、あの南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは、花が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありゃせんで。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと、世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というものは、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花やで。花がのうて実がのろうか。よう、悟ってみいや。南瓜でも、大きな花が散れば、それぎりのものやで。むだ花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実のるという事はないで。よう思案してみいや。何も不浄やないで」(「教祖伝逸話篇」より)
女性の生理や出産にともなう血は「穢れ」であり、不浄とされていた当時、女性が決して不浄な存在ではないことを、畑の作物にたとえて優しく教えられました。もちろん教祖は、殊更に社会問題や人権意識を掻き立てようとなさったわけではありません。教祖にとっては、人間は皆、女松男松の隔てない可愛い我が子ですから、おそらく自然に子どもに対して言い聞かせるように、誰彼となく、このようなお話をされていたのではないでしょうか。
東京スカイツリーから、こんにちは
~生まれ替わって会いにくるね~
吉永 道子
今回は私の次女の赤ちゃんの話をします。それは、赤ちゃんがあたたかいお腹の中で過ごした、幸せな8カ月間の出来事です。今、感謝の気持ちを込めて…。
次女の二人目の妊娠は、五年間待ち望んでいたものです。五歳のお姉ちゃんは、大喜びで毎日、何回もママのお腹の赤ちゃんに話しかけます。すると、赤ちゃんもお腹の中で答えているのでしょう、お腹がツンツンと膨らみます。
そんな嬉しい日常の中、健診で気がかりなことが。羊水が異常に増えていて、何か問題があるかも知れないとのことでした。
パパもママも診察の結果に驚きました。しかし、どんな形であれ、今世、私たち夫婦のことを親として選んでくれた赤ちゃんに感謝し、産み育てていきたいと、神様に祈りました。
毎日の祈りの時間は刻々と過ぎていきました。ママは身体にむくみが出て入院することになりました。そして、祈りの甲斐なく、赤ちゃんはママのお腹の中で八か月の人生を終えました。それは本当に、辛い、悲しい出来事でした。
産声は聞くことは出来なかったけれど、ママには、赤ちゃんからの声がはっきり聞こえてきました。
「ママのお腹の中は、あったかくて愛がいっぱい。優しさで包まれた、とっても幸せな時間でした」
ママは、
「会いにきてくれてありがとう」
そう伝えます。赤ちゃんは、
「ママ大好き、また生まれ変わってくるね」
ママは胸の中に赤ちゃんのぬくもりを感じ、心の声が聞こえてきたのだと確信しました。
それから五年の歳月が流れ、ママは妊娠しました。赤ちゃんが生まれ変わって帰ってきてくれました。
「おかえりなさい」
ママはそう言って愛しい我が子を抱き、産声を聞きました。
あの日、会いに来てくれた赤ちゃんと約束したことは現実になりました。それは、赤ちゃんが魂のふるさとから帰ってくることを、ママが素直に信じて待った証なのです。
その赤ちゃんは現在五歳になり、元気に幼稚園に通っています。ある時、ママに、魂のふるさとでの出来事を話したそうです。
「きちんとママの所へ行くようにって、言われてきたんだよ」
不思議ですね。
かぁかのおうちをいつも利用してくれるママの中に、私の次女と同じ経験をしたママがいます。二歳の子を連れた彼女は、待ちに待った二人目が授かったことが嬉しくて、ずっと不妊治療などをしていたことも話してくれました。ところが、後日体調が急変し、赤ちゃんはお腹の中で亡くなりました。
ママの心と身体は壊れる寸前でした。赤ちゃんが亡くなった原因は自分にあると、苦しみと悲しみの中で自分を責めていました。
私はママのあふれる涙をぬぐって、次女が赤ちゃんを亡くした話をしました。そして、母と子の絆は永遠で、ママのお腹の中で過ごした幸せな時間は、生まれ変わってくるために必要な、とても大切な時間であったことを伝えました。
自分を責めていたママも、パパと上の子の愛に包まれ、二年後に二人目の赤ちゃんを授かりました。そして先日、一歳の誕生日を迎えることができました。
これからも、たくさんのママさんをかぁかのおうちに引き寄せてください。私はいつも、ママさん達からいっぱい愛をいただいています。ありがとう。
(終)