(天理教の時間)
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第1311回2024年12月6日配信

彼女に足らなかったもの

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1184回

娘の友達へのおたすけ(『日々陽気ぐらし』より)

娘の同級生のゆみかちゃんが脳腫瘍で入院。私は、彼女のために何かできることをしようと決めた。

娘の友達へのおたすけ

堀 侑美

ゆみかちゃんは娘の保育園からの友達です。卒園を控えた昨年一月、彼女は長期にわたってお休みしていました。娘に理由を聞くと、「入院してるの」とのことでした。

三月に入ると、ゆみかちゃんは以前と変わらない様子で保育園に戻ってきました。お母さんと話す機会があったので、病気のことを尋ねてみると、「脳腫瘍なんです」と答えが返ってきて、驚きました。けれども「治療はいったん終わりです」との言葉に、ひとまず安心しました。

娘とゆみかちゃんは無事に卒園し、小学一年生では同じクラスになりました。しかし、夏休みを前に、また入院することになりました。私は心配になり、息子つながりで知り合いだった、ゆみかちゃんの伯母のえみさんに様子を尋ねました。「元気だよ」と聞いたときには、ほっと安堵しました。

しかし、それもつかの間、秋になり、担任の先生から生徒たちに「ゆみかちゃんはほかに病気が見つかり、遠くの病院で長く入院することになりました」とお話がありました。えみさんによると、「あまり良くない」とのこと。私は、ゆみかちゃんのために何かできることをしようと決めました。

考えた末、保育園に協力していただきながら、同級生の保護者たちに声をかけ、ビデオレターを制作することにしました。これを見て、ゆみかちゃんが少しでも元気になってくれればと願ってのことです。

このビデオレターがきっかけで、ゆみかちゃんのお母さんと連絡をとるようになり、入院していた大学病院へお見舞いに行けることになりました。ご家族は未信仰でしたが、私が天理教を信仰している旨を伝え、病の平癒を願う「おさづけ」の取り次ぎを申し出ると、「お願いします」と受け入れてくださいました。

おさづけを取り次いだ後、病院内のカフェでお母さんとお茶をしました。一昨年の1225日に脳腫瘍が判明し、その場で医師から「この病気は治りません」と告げられたこと。一縷の望みを抱いて、名古屋、東京、仙台、京都の病院を回り、治療方法を探してきたこと。ゆみかちゃんは、人間が一生で浴びていい放射線量を上回る放射線治療を受けていて、もうこれ以上の治療はしないことなどを話してくれました。

その後も、私はゆみかちゃんのことを思いながら過ごしました。昨年1225日、年一回の健康診断で「肝臓に腫瘍らしき影がある」と言われたときも、「ゆみかちゃんの病気を少しもらったのかな」と思いました。

三週間ほどして、健康診断の結果が届きました。診断は要精密検査とのこと。一カ月後に精密検査を受けた結果、ホクロのようなものなので大丈夫とのことで、胸を撫で下ろしました。

ちなみに、私が健康診断を受けたその日に、ゆみかちゃんは大学病院を退院し、家族で年末年始を過ごすことができたということです。

今年の正月に、ゆみかちゃん家族と一緒に凧揚げをしました。そのとき、ゆみかちゃんのお父さんと私の夫が小中学校の同級生であることが分かりました。

二つの家族の間に、なんと通じるものの多いことか。名前が一字違いの「ゆみ」と「ゆみか」、クリスマスに病気の診断、伯母のえみさんとの面識、そして夫同士は同級生…。これは神様が引き寄せてくださったに違いない、私たち夫婦でおたすけをさせていただこう、と決心しました。

ゆみかちゃん家族は、翌週に難病と闘う子どもたちの夢を叶えるボランティア団体の支援で、夢だったディズニーリゾートに行く予定だと教えてくれました。しかし、ミッキーマウスには会えないかもしれないと話していたので、私たちはそこで働いている知人に相談したところ、ゆみかちゃんがミッキーに会えるようにしてくれました。

それが最後の家族旅行となりました。旅行から四日後、ゆみかちゃんは再び入院しました。

二週間ほどしたある日、私はひどい頭痛に見舞われました。教会でおさづけを取り次いでもらいましたが、ゆみかちゃんに何かあったのではないかという気がしてならず、「神様、どうかゆみかちゃんをたすけてください。なむ天理王命…」と祈りました。

訃報が届いたのは、その三日後でした。通夜と告別式には、斎場に入りきらないほどの参列者が集まり、ゆみかちゃんは、たくさんの友達や先生方に見送られて旅立ちました。

しばらくして世間はコロナ禍。誰もが予想もしなかった現在となりました。

亡くなる四日前、娘と一緒に病院へお見舞いに行ったとき、ゆみかちゃんのお母さんが「いつ、その時が来るのかなあ」とつぶやきました。「きっと〝この日〟だって選んでくれると思うよ」との言葉が、自然と私の口をついて出ました。

ゆみかちゃんは、コロナ禍になる前に、たくさんの人が見送ってくれる日を選んだのではないかと私は感じています。

ゆみかちゃんのおたすけを通して、私はあらためて、身体は神様からのかりものなのだと強く感じました。いまの私の目標は、ゆみかちゃんのご両親と一緒に、おぢばへ帰って参拝することです。そして、ゆみかちゃんがまた元気に生まれ替わる日を願っています。

 


 

一粒万倍という楽しみ

 

長い人生の中には、どんな道中もあります。それこそ山あり谷あり、時には強い雨風にさらされることもあるでしょう。けれど、たとえ嵐の吹きすさぶ谷底の道中であっても、いや、そうであれば尚のこと、ならんところを辛抱し、たすけ合って生きていくことが大切です。

神様のお言葉に、

「上ぼり切りたら下だらんならん。よう聞き分け。雨降る中もだん/\凌ぎ、百石蒔いて一粒万倍という楽しみ」(「おさしづ」M29・10・10)

とあります。

神様は、雨が降る中もだんだんと凌いで、楽しんで通るように、と仰せられます。そうした状況を楽しむことは、なかなかできることではありませんが、しかし、いずれ雨や嵐は去っていくものです。その先には晴天が待っているという大きな心で受け止めて、努力を重ねていくなら、雨や嵐も決して悪いことばかりではないはずです。

暮らし向きが上昇していくのは、よいことには違いありません。しかし、それも上りきったら、あとは下るより道はないと教えられます。考えてみれば、これは当然で、永久に上昇し続けることはないのです。必ずどこかで下がる時がくる。器もいっぱいになれば、それ以上は入らずにこぼれてしまう。こうした道理は、誰でも理解できます。

しかし厄介なことに、私たち人間には欲があります。この欲が、物事を判断する時に邪魔をするのです。厚かましくも、どこまでも上りきろうとする。やはり、日々お与えいただくご守護を、充分満足に受け取り、しっかりと喜ばせていただくことが肝心です。そうして自らの心の器を大きくしてこそ、一粒万倍の与えをいただくことができるのです。

与えすべてをわがものとする考えや態度は、心の上りきった姿だと言えます。上りきってしまわずに、与えのうちの二分は先々の種蒔き用として取っておき、あとの八分で慎みをもって暮らす。これが天の理に叶った暮らしの秘訣だと思うのです。

(終)

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