第1179回2022年5月21日・22日放送
受験生応援団
部活と受験勉強を両立させようと必死の娘。「どちらにも本気で向き合えていない」と、苦しい胸の内を明かした。
受験生応援団
奈良県在住 坂口 優子
昨年、夏休みが明け、ひと月が過ぎた頃、寮で暮らす高校三年の長女から電話がありました。「もしもし…」と受話器の向こうで涙声。そのまま次の言葉が言えずに黙り込んでしまいました。
こういう時の母親の勘は大体当たります。「なんかあった?」と尋ねると、年明けに控える受験のために、勉強に熱をいれなきゃと思う一方で、所属するマーチングバンド部では、12月に開催される三年生最後の定期演奏会へ向け、みんなが熱心に練習に励んでいて、その同級生たちの熱意に焦りを感じているとのこと。
どちらを優先しようとしても、もう一方が気になり、どちらにも本気で向き合えていない気がして苦しいと、泣きながら話してくれました。この悩みを、私が容易に見当をつけることができたのには訳がありました。
7月、部活の合宿を終えて数カ月ぶりに帰宅した夏休み。娘にとっては毎日の厳しい練習からやっと解放され、ゆっくりしたいのでしょうが、私は勉強をしない娘のことが心配で仕方ありません。
「受験するのは私じゃない。この子がどういう選択をしてどういう結果になっても、それは自分が通った道。どんな道も、神様が用意してくださった道だから大丈夫!」。そう言い聞かせるものの、私自身が中学受験に失敗した経験があり、そのショックの大きさが分かっているだけに心配が過剰になってしまうのです。
ついつい娘が聞きたくないであろう経験談を語ったり、「勉強しなくて大丈夫?」と必要以上に何度も聞いてしまったのです。
受話器の向こうで苦しそうな娘に、「ごめんね。夏休みにお母さんが言い過ぎちゃったから。今まで黙ってたんやけど、夏休み前にサチカのカラーガードの演技を見た時、本当に上手になってて、ここまで来るのにすごい努力をしたんやなっていうのが伝わってきてね。その時、いま目の前のことをこれだけ頑張れるんやから、サチカは大丈夫、もし失敗してもまたやり直せるって思ったんよね。受験は来年でもできるけど、みんなとマーチングができるのは今だけやから、今しかできないことを頑張ればそれでいいと思うよ」と、言い過ぎた反省を込めて話すと、安心したように娘の声が明るくなったのでした。
12月の最後の定期演奏会も無事終わり、年が明けました。いよいよ入学試験三日前となり、教会本部へお守りをいただきに行くことにしました。
いただいたお守りを手にし、じっと見つめるサチカ。「これで益々心強いね」と話すと、「うん。本当に有り難い」とは言うものの、どこか暗い顔をしているのです。
「なんかあった?」と聞くと、しばらく黙り込んだ後、深いため息をつきながら、「寮が騒がしくて、勉強に集中できへんねんな…」と、重い声で言います。
しかし、ただ仲間を責めているわけではありませんでした。部活を引退し、厳しい練習の毎日から解放され、嬉しくて盛り上がるみんなの気持ちはよく分かる。そんな状況の中、日一日と迫ってくる受験のプレッシャーで気持ちが焦るばかりで、イライラして仲間に優しくできない自分自身が情けないと言うのです。
仲間に苦しい気持ちを打ち明けられず、逆に気を遣わせるような態度をとってしまい、会話も少なくなる悪循環。駄目なのは自分だと分かっていても、どうすることもできなかったのです。
娘には内緒で寮の先生に事情を話すと、娘に分からないように、すぐに勉強しやすい環境を整えてくださいました。
試験前日になり、帰宅した娘に「あれからどう?」と尋ねると、「あれ以来友達と話してないけど…今日手紙書いてきてん、『ごめん』って」。うちに遊びに来たこともある子たちで、私もみんなのことはよく知っているので、これで大丈夫だなと安心しました。
ところが、夜も更け10時半を回った頃、「どうしよう…」と娘が青い顔をしています。「腕時計、寮に忘れてきてしまった」と大慌て。主人も私も持っていないので困っていると、小学校からの一番仲良しのゆづちゃんに相談したようで、「ゆづが今から持ってきてくれるって!」と、たちまち笑顔になりました。
思いがけない数カ月ぶりの再会を、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ二人。「さっちゃん、明日絶対頑張ってな!」。娘の手をぎゅっと握り、ニコニコとエールを贈ってくれる優しいお友達。交友関係で落ち込んでいた娘には、この優しさがどれだけ心にしみたことかと思います。
その二人の様子を見ていた主人は、「神様にお守りを頂いてから、益々さっちゃんの周りには、たすけてくれる人たちが集まってくれるようになったな。これだけ神様がついていてくださるんやから、明日は安心して頑張っておいでや」と、優しく声を掛けてくれました。
「はい、頑張ります。ほんまに、ほんまに有り難い」。娘はそう言いながら、お友達から借りた腕時計を見せてくれました。私は主人の言葉を聞いて、先を心配してばかりで、娘のことを素直に信じていなかった自分自身を反省しました。
受験当日。三年ぶりに作る娘のお弁当。「さっちゃん、部活も勉強も本当によくがんばったね。三年間お疲れ様でした」と、お弁当にメッセージを貼るだけで胸がいっぱいになりました。
娘を試験会場に送ったあと、私はお菓子を焼くことにしました。何かしていないと、また先を案じる私の悪い癖が出てしまうので、その前に今、自分にできることを考えたのです。寮で娘の帰りを待ってくれているかけがえのない仲間たちと、時計を貸してくれた親友へ向けて、「ありがとう」の気持ちを込めて、お菓子をたくさん焼きました。
そして、「今日までサチカのために、たくさん我慢をしてくれてありがとう」と、お菓子を詰めた紙袋にお礼のメッセージを添えて、みんなの大好きな唐揚げと一緒に寮へ帰る娘に持たせたのでした。
一週間後、娘の元へ合格通知が届きました。そして、2月22日。三年間のおぢばでの生活を終え、卒業しました。
澄み切った青空のもと、式を終えた卒業生が、神殿前で満面の笑顔で記念写真に収まっていました。そこには、様々な葛藤を抱えたであろう三年間の、不安の影はどこにも見当たりませんでした。
その日の夜、私の携帯に一通の動画が。それは、私が焼いたお菓子を手に、娘と寮の仲間たちがみんなで撮影したかわいいお礼のメッセージでした。私にとって最高の卒業証書です。神様、ありがとうございました。
おさしづ春秋 『海老の値段』
恩を恩という心あればこそ、今日の日。(M31・5・9)
沖永良部島といえば、鹿児島から約530キロ南にあって、あと6060キロで沖縄本島にとどく。小さなプロペラ機にゆられて島を訪れたのは春先だったが、すでに日ざしは強く、サンゴ礁の海岸の続く南洋の情趣と花のような香りの黒糖酒が迎えてくれた。
島の教会の若い会長さんは、海に潜って伊勢海老を捕るのが得意。地元の漁師も敵わぬほどの腕前で、たくさん捕っては皆にふるまっておられた。
「これは、儲かりますねえ」と、凡俗に海老をほおばる私に、彼は「唯の一匹も、海老は売ったことないんですよ」と呟く。聞けば、今は亡きおばあちゃんに、海老を売ってはならないと言われたからだという。それをずっと守ってきたのである。
ただ、一度だけ家計が苦しくて、おばあちゃんに海老を売りたいと頼んだことがあったらしい。その時おばあちゃんは「売りたければ、売ってもいいが、神様に海老代を払え」と迫れらた。背に腹はかえられず、いくら払えばいいかと訊ねると、おばあちゃんは「海老の売り上げの二倍」と言い切ったという。以来、彼はどんなに困っても海老を売らずにきた。
「海老はおまえが創ったのか。神様のお創りになったものは、ただではない、恩を知れ」
フリージアやテッポウユリの甘い匂いのする農場、ガジュマルの巨木、深い蒼の空と海、時間がゆっくりと流れる。「ご恩報じとは、そういうもの」と、お会いしたこともないおばあちゃんの声が聞こえたような気がした。
(終)