「ありがたい」と思う
大阪府在住 山本 達則
どのご家庭でも、毎日の生活の中で一日として「同じ日」というのは無いと思います。「今朝は夫がご機嫌斜め」「奥さんは体調が優れない」「子供はご機嫌で学校へ」こんな日があると思えば、次の日は「夫は仕事がうまくいって上機嫌」「でも、子供が朝から熱っぽい」「奥さんは子供の世話で朝からばたばた」など、よくあることと言えば、よくある家庭での日常だと思います。
しかし、「よくあること」で片付けられないような一大事が起きたり、「何でこんなことになってしまったのか」と頭を抱えるような経験をすることもあります。
以前、私の息子が大学生になってバイクの免許を取りました。息子は早速、先輩から中古のバイクを譲ってもらうことになり、それを先輩の自宅まで取りに行くことになりました。
天理教の教会である我が家の妻は、「バイクを取りに行くなら、神様にお礼とお願いをしてから行きなさいよ」と声をかけました。息子はちょっと邪魔くさそうに、「帰ってからするわ」と答えましたが、妻は負けじと「先にしなさい」と。息子は渋々でしたが、神殿に上がり、神様にお礼とお願いをしてから、意気揚々と出かけて行きました。
しばらくして、息子から家に電話がかかってきました。「先輩からバイクをもらって、帰る途中でスリップ事故を起こした」と。幸い単独事故で、どなたに迷惑をかけることもなく、バイクが少し壊れたのと、息子が軽い怪我をしたということで、迎えに行くことになりました。バイクは修理が必要で、車屋さんに修理をお願いして、息子を車に乗せて自宅へ戻りました。
息子は帰りの道中で、「最悪や、お願いしていったのに」とやり場のない怒りを妻にぶつけました。その息子の様子を見て、妻は「何言ってるの。神様にお礼とお願いをしていったから、このくらいの事故で済ましてもらったんやで。お願いをしていかなかったら、今頃病院かもしれんよ」と言いました。
私はその二人の会話を聞いて、正に「言い得て妙」だと思いました。物事には色んな捉え方があることを、改めて実感させてもらいました。
確かに息子が言うところの「最悪だ」ということも、うなずけると言えばうなずけます。でも、この時の息子に「嬉しい」という気持ちはありません。
同じ結果であっても、「この程度で済ましてもらえて良かった」と思うことができれば「嬉しい」。物事の捉え方によって、同じ結果でも「良かった」と思うこともできれば、「最悪だ」と思うこともある。物事の見方は決して一方向でないのです。
得てしてお互いは、自分に無いものを持っている人に心を奪われ、自分にとって損な出来事に出合うと心を濁します。当たり前と言えば当たり前かも知れません。
天理教では、人間の身体をはじめ、生活の中の人間関係、更には周りの環境や手にするものすべてが神様からの「かりもの」であり、私たちが自由にできる我がものは「心」だけだと教えられます。その心の持ちようが、自分の人生を良くもすれば、悪くもすると聞かせて頂きます。
自分に無いものを持っている人に出会った時、「うらやましい」「どうして自分にはそれが無いのか」と心を濁す時は、おそらく自分の見えている方向の半分しか見えていないのではないでしょうか。
自分に無いものを持っている人は、確かに目の前にいるのかも知れませんが、実は自分が持っているものを持っていない人も、目を凝らせば世の中には沢山おられるのです。
当たり前だと思いがちな、目が見える、話ができる、耳が聞こえる、歩ける、食べられる…。言い出せばきりがありませんが、その当たり前と思い込んでいることが出来ずに、悩み苦しんでいる方は、世の中に沢山おられます。
方向を変えて、そちらの方を見ることが出来れば、自分が持っていないものを持っている人に出会っても、「ありがたい」という心が湧いてくるのではないでしょうか。
私の息子のように、思い通りにならないことに出合って、不足をするという自由もあります。しかし、自由に使える心の最高の使い方は、どんなことが起きても、その中に喜びを見つけていくことだと教えて頂きます。
「喜べば 喜び事が喜んで 喜び連れて喜びに来る」という川柳を聞いたことがあります。
日々の生活の中の些細なことでも、あるいは人生の中で大きな分岐点になるような出来事でも、常に喜べる方向の見方をしていきたいと思います。それが、自分以外の誰かの喜びにつながっていれば、なお良いかもしれません。
いつも住みよい所へ
どんな人の人生にも、いつしか転機が訪れます。ある出会いが、その人の生き方自体を決定的に変えてしまうこともあるでしょう。
明治十七年二月のこと。神戸・三宮駅の助役をしていた増野正兵衛さんは、十数年来、脚気などに悩まされていました。また、妻のいとさんは、三年越しのソコヒを患っており、何人もの名医にかかっても為すすべなく、ただ失明を待つばかりという状態でした。その頃いとさんは、知人から「天理王命様は、まことに霊験のあらたかな神様である」と聞き、それなら一つ夫婦で話を聞いてみよう、ということになりました。
その時聞いた知人の話によると、「身上の患いは、八つのほこりのあらわれである。これをさんげすれば、身上は必ずお救け下さるに違いない。真実誠の心になって、神様にもたれなさい」また、「食物は皆、親神様のお与えであるから、毒になるものは一つもない」と。
そこで正兵衛さん、病気のためにやめていたお酒でしたが、その日にあげたお神酒を頂いてみたところ、翌朝はすこぶる身体の調子がよく、さらにいとさんの目も、一夜のうちに白黒が分かるようになりました。
早速に夫婦揃って神様にお礼を申し上げ、話を聞いた知人宅へも行って喜びを告げました。ところが帰宅すると、どうしたことか、日暮れを待たずにいとさんはまた目が見えなくなってしまいました。
この時夫婦で相談し、「一夜の間に、神様の自由をお見せ頂いたのであるから、生涯道の上に夫婦が心を揃えて働かせて頂く、と心を定めたなら、必ずお救け頂けるに違いない」と語り合い、夫婦心を合わせ、朝夕一心にお願いをしました。すると正兵衛さんは十五日間ですっきりご守護頂き、いとさんの目も、三十日間で元通り見えるようになったのです。
その年の四月、正兵衛さんは初めておぢば帰りをし、教祖にお目通りさせて頂きました。教祖は、「正兵衛さん、よう訪ねてくれた。いずれはこの屋敷へ来んならんで」と、やさしく仰せ下さいました。このお言葉に強く感激した正兵衛さんは、仕事も放って置かんばかりにして、おぢばと神戸の間を往復して、おたすけに奔走しました。しかし、おぢばを離れると、どういうものか、身体の調子が良くありません。
そこで教祖に伺うと、「いつも住みよい所へ住むが宜かろう」と仰せられました。この時、正兵衛さんは、どうでもお屋敷へ寄せて頂こうと、堅く決心したのでした。(教祖伝逸話篇145「いつも住みよい所へ」)
おぢばを離れると身体の具合が悪くなり、訪ねていくと良くなるといったことを繰り返し経験した正兵衛さん。不思議なことに、教祖の御前に出ると、信仰的な疑問も家庭の悩みも一瞬にして解けてしまったといいます。
まさに教祖のお側こそ、正兵衛さんにとっての「住みよい所」でありました。後に明治二十三年、正兵衛さんといとさんは、夫婦揃ってお屋敷へ住み込むこととなったのでした。
(終)