(天理教の時間)
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第1280回2024年5月3日配信

そこにある幸せ

山本達則先生 IMG_1557
山本 達則

文:山本 達則

第1236回

長女の結婚

長女の夢は、母校のシンガポール日本人学校の先生になること。しかし大学受験を控え、私にアメリカ赴任の話が…。

皆んな勇ましてこそ

 

神様のお言葉に、

 

「神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん」(「おさしづ」M30・12・11)

 

とあります。

人間はみな、人と人とのつながりの中で生きている以上、めんめん勝手の陽気が通らないことは自明の理です。このように、二通りの陽気が対照的に述べられている後で、お言葉はこう続きます。

 

「陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(「おさしづ」M30・12・11)

 

銘々が勝手に楽しんで、その結果、他の人たちを苦しませたのでは、本当の陽気とは言えないと、分かりやすく教えられています。

それでは本当の陽気、神が連れて通る陽気とは、どのようなものか。そのことを、「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という」と簡潔に教えられていますが、これは二つの点で、私たちにとって大変難しい課題であると思います。

その一つは、「皆んな勇んでこそ」ではなく、「勇ましてこそ」と仰せられている点です。勇んで通ることは、自分自身の問題としても難しいのですが、相手を勇ませる働きかけはなお一層大変です。つまりこのお言葉は、自分が勇むだけではなく、相手を勇ませる働きかけを通して、はじめて真の陽気が味わえるということを教えられているのです。

そして二つ目は、人を喜ばせる、楽しませると表現されずに「勇ませる」と仰せられている点です。

一般に、「勇む」「勇気」という言葉には、「にもかかわらず」という意味が含まれています。自分の身に降りかかる困難な状況にもかかわらず、敢えてその苦難に立ち向かっていく態度です。

順調な人生を送っている間は、ことさら勇気を必要としないかも知れません。しかし、苦難が立ちはだかってきた時には、それを乗り越える勇気が必要になります。私たちがまず勇ませなければならない相手は、このような苦難にさいなまれている人たちなのです。

 


 

長女の結婚

アメリカ・カリフォルニア州在住  深谷 洋

 

長女が結婚することになりました。父親としては、少し複雑な気持ちです。

私が天理教のシンガポールの布教拠点へ出向することになり、家族で移住したのは、長女が幼稚園年長組になった年の8月初旬でした。

シンガポールには、日本から来た多くの駐在員家族がいて、当時はおよそ25,000人の日本人が住んでいたようです。そのため、私立の日本人幼稚園、日本人会が運営しているシンガポール日本人学校小学部チャンギ校とクレメンティ校、中学部、そして有名私立大学の付属高校まであり、日本の学校教育システムと同様の環境が整っていました。

長女は、私たちが赴任した年の9月から日本人幼稚園に通園することになっていましたが、始まる前には「行きたくない」と言っていました。日本にいるたくさんのお友達と別れ、全く知らない土地へ移住することは、長女にとって大きなショックだったのだろうと想像します。しかし、幼稚園にプールがあることが分かると、元気良く幼稚園バスに乗り込んで通園してくれるようになりました。

翌年4月からは、日本人学校小学部チャンギ校に入学しました。当時の在校生数は6学年合わせて約1,000人というマンモス校で、世界中にある日本人学校の中では児童数が一番多かったと思います。

駐在員は2、3年で転勤することが多く、一人の児童が小学校入学から卒業までの6年間を同じ学校で過ごすことはまれで、長女はそのまれな存在でした。卒業後、長女は日本人学校中学部に進学。彼女が一年生の二学期を終える頃、私たち家族は日本に引き揚げることになりました。

日本に帰国後の長女の夢は、将来、自分が卒業したシンガポール日本人学校小学部チャンギ校の教壇に立つことでした。帰国から五年、彼女が高校三年生になり、大学受験に臨む大切な時期に、私のアメリカ赴任の話が出てきました。

天理教のアメリカの布教拠点、ロサンゼルスにあるアメリカ伝道庁への出向です。その時の家族構成は妻、長女、高校一年生の次女、中学二年生の三女、そして小学五年生の長男の6人でした。

もし長女もアメリカに連れて行くことになれば、彼女の夢を断念させることになってしまいます。アメリカで大学に進学する難しさもあわせて考えた時、長女を日本に残し、下の子ども3人を連れてアメリカに赴任するのがベストだろうと、私は判断しました。

長女は無事、日本の大学に入学し、小学校教諭を目指しての道のりが始まりました。そしてその年の夏、彼女一人を日本に残し、私たち家族はアメリカに向かいました。長女は大学に入った時、「一人暮らしがしたい」と言っていましたが、思わぬ形での一人暮らしの始まりでした。その時、長女はどのような気持ちだったのだろうかと、今でも考えます。家族全員がいなくなって、さぞ寂しい思いをしたのではないかと想像します。

長女は自宅から一時間ほどかけて、四年間大学に通いました。大学ではゼミに入り、アルバイトも忙しかったようです。また、天理教学生会の活動にも積極的に参加し、周囲の人々に育てられながら、自然に天理教の教えを身につけてくれました。

そして無事大学を卒業、教員採用試験にも合格し、公立小学校での教諭を三年つとめた後、夢であった母校のシンガポール日本人学校小学部チャンギ校の教諭に採用されました。当初の勤務予定は三年間でしたが、一年、また一年延び、都合五年間、長女はシンガポールでの教諭生活を送りました。

長女は日本に帰国してから、三カ月間教えを学ぶ天理教修養科に入りました。「修了後はどうするのだろう」と思っていましたが、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアで生活する計画だったことを、後になって知りました。

しかし、人生とは不思議なものです。その修養生活の間に、長女は伴侶となる男性とめぐり合ったのです。

日本に帰国してからわずか数カ月、二人が出会ってからも数カ月しか経っていませんでしたが、その短い期間で、二人の間では結婚する意思が固まっていたようです。私と妻は少々驚きましたが、これも神様のお引き合わせであると理解しました。そして今年、長女は結婚式を挙げて、私と妻のもとから巣立ちます。

天理教では、娘が嫁ぐことは、嫁ぎ先の家に娘をお返しすることであるとお聞かせいただきます。それは、娘が嫁ぎ先の家のいんねんを持ち、前生で、その家の人として生活していたという意味です。そして今生、その家の魂のいんねんを持って生まれてきた長女を、私たち夫婦が預かり、育てさせていただいたということになるのです。

これまで私たち夫婦が、伴侶となる男性や嫁ぎ先の人たちの期待に添うような育て方をしてきたのかと問われると、果たして自信がありません。長女が無事に嫁ぎ先の家族の一人として迎え入れられ、幸せに過ごしてもらえることを、親として心から願っています。そして、嫁ぎ先のご両親から「娘が帰ってきた」と喜んでもらえれば、これほど嬉しいことはありません。

(終)

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