第1340回2025年6月27日配信
世界一れつ皆きょうだい
ヨーロッパ主張所で行う年一回のバザー。参加者もスタッフも、信者未信者問わず、国籍も職業も多種多様だ。
世界一れつ皆きょうだい
フランス在住 長谷川 善久
一般的に西洋人は個人主義だと語られることがありますが、そんなイメージとは違う統計数値を見つけました。それはボランティア活動をしている人の割合です。
年に一回以上参加した人の数ですが、日本人は五人に一人にも満たない割合で、20代、30代に限って言えば約15%、フランスは約30%なので、二倍もの差が生まれているのです。世界で評されてきた日本人の美徳の一つ、相互扶助の精神はもはや昔のものとなっているのかも知れません。
フランスにあるヨーロッパ出張所では、毎年5月に「チャリティーバザー」を開催しています。開催時間は午後の4時間のみと短いのですが、700名以上が出張所を訪れ、無料で提供された物品や軽食販売、指圧や散髪などによる収益金は、全額慈善団体へ寄付をすることになっています。
30年ほど前の開始当初は信者のみで運営していましたが、最近では未信者さん方の「ボランティア」が増えており、全体の3,4割を占めるようになってきました。未信者さんのスタッフの多くは、天理教が運営する文化交流団体「天理日仏文化協会」の会員さんです。
信者、未信者を問わずスタッフの国籍も職業も年齢も多種多様です。日本人、フランス人はもちろんのこと、アフリカ人や南米人などもいます。また医師や弁護士、芸人、学生がいるかと思えば、年齢も上は80代から下は10歳ぐらいと、祖父母と孫のような三世代にわたる年齢層の方々がいます。
開催当日、来場者一人ひとりに次のおふでさきの一首を記したビラを配っています。
このよふを初た神の事ならば
せかい一れつみなわがこなり (四62)
肌の色や言葉の違い、宗教の違いも問わず、老いも若きも共に一手一つになり、困っている人のために我を忘れて尽くす姿が出張所で実現出来ていることに、教祖も喜んで下さっているに違いないと確信しています。
チャリティーバザーと言えど、出張所としては、物を売り、寄付金を集めることで満足するべきではありません。ただ単純に安価な商品販売をすることで、結果的に来場者の物欲を増長するような場にはしないことを申し合わせています。
ある時のバザーでは、いかにも手癖の悪そうな若者が人目を避けるように入場してきました。数分もすると彼が入った売り場の未信者スタッフから私に連絡があり、「所長、万引きしそうな若者が来たので見張りに来てください」と言われました。当然、直ぐに駆け付けましたが、私が彼を見張った理由は、万引きを防ぐためではなく、彼の心の中で物欲が強くなるのを防ぐこと、「よく」の心を起こさせないように祈ることでした。
このチャリティーバザーの真の目的は、あくまでもボランティアや来場者を含めた関係者全ての人が、親神様のお膝元で、他者の救けにつながる行いをし、それによる他者とのつながりを通して、現代のストレスにまみれた心の皺を伸ばしてもらう場にすることだと思っています。
そのためにも、私たちが醸し出す雰囲気で、「世界一れつ皆きょうだいの精神」を感じてもらうことを目指すのが、必要不可欠な心構えだと、信者スタッフにはいつも伝えています。
なればこそ、来場者が何も購入しなくても、人とのつながりが楽しめるようなアイディアも取り入れています。天理日仏文化協会で公演をして下さった方々によるコンサートや演劇、パントマイムなどがそれで、私たちの真の目的を果たすための大きな役割を担ってくれています。
これら無料の文化プログラムがあるお蔭で、より多くの人が出張所の芝生の上で家族揃ってピクニックをするようになったのです。人種、宗教が違えど、偶然隣り合った人と一緒に美しい音楽に聞き惚れ、面白い演劇を見ながら笑い合うきっかけを、これら文化プログラムはもたらしてくれるのです。
そして、私たちがおぢばで迎えられた時に感じるような、スタッフの笑顔とゆったりとした優しい雰囲気の中で、心と心のつながりが生まれやすい環境を提供してくれています。
ある時、レジで黒人の女性が大声を出してスタッフと言い合いをしていたことがありました。しばらくは、その若いスタッフがどのように話を治めるかを見ていましたが、やがて罵り合いが始まってしまいました。
そこで私が介入して話を聞いてみると、女性曰く、あるスタッフにお願いして取り置きしてもらっていた支払い前の商品が無くなっているというのです。
しかし、レジの担当者はその話に全く聞く耳を持たなかったのです。実際、スタッフにはお客さんからは何も預からないという取り決めがなされていたので、支払い前の商品を預かったなどあり得ないことで、スタッフにしてみれば、単なる強欲な女性の戯言としか聞こえなかったのです。そして、そのようなスタッフの態度が彼女の気持ちを逆なでしていたのです。
私はまず、その女性の言い分を全部聞いた上で、不愉快な気持ちにさせてしまったことをひと言お詫びしました。それから、このバザーはスタッフも商品も、すべては他者のためにあること。物品は無料で持ち込まれ、スタッフも無償で自分の身体と時間を使っていることを伝え、あなただけが自分の利益を得ようと必死になっている現状をどう思いますか?と優しく質問をしました。
すると、それまで顔を赤らめて怒っていた彼女の顔色がスッと変わり、うつむき加減で騒いだことを悔やんでくれました。別れ際には、「また来年も絶対に来ますね」と笑顔で言ってくれました。
毎年のバザーは本当に骨が折れます。しかし、しんどければしんどいほど、そのお蔭で出張所で寝食や御用を共にする所員同士、お互いの癖性分をより知ることができ、気遣い合う中で個性を認め合うことが出来るようになるのは確かです。そして、それを機に出張所内の雰囲気も良くなっていくのが所長の私にはよく分かります。
また、外に向かっては、ある未信者のフランス人スタッフが帰り際に掛けてくれた言葉が心に強く残っています。彼は愛想もよく、終日周りから引っ張りだこだったので、さぞかし疲れただろうと思い、「今日はありがとう。使われまくったみたいだけど、これに懲りず来年もよろしく頼みますね」と声を掛けました。
すると彼は、「今日はたくさんお手伝いをさせてくれて、本当にありがとうございました」と、疲れた様子ながらも満面の笑顔で返してくれたのです。私は驚きと同時に、このような言葉が聞かせてもらえるとは、今日のバザーは大成功だったと、心から喜びが湧いてきました。
誰もが他者に喜んでもらいたいと思っています。ただ、それを一人で実行するには勇気がいります。ヨーロッパ出張所が、そのはじめの一歩を踏み出す場でありたいと願っています。
赤衣を召して
教祖のおわす教祖殿で参拝していると、お社の正面にご存命の教祖がお召しになっている赤い着物を見ることができます。教祖がお召しになったこの赤衣の一部を、おまもりとしてお下げくださいます。人類のふるさと、おぢばに帰った証拠としてお渡しくださる「証拠守り」です。
明治七年十二月二十六日、教祖は初めて赤衣をお召しになりました。直筆による「おふでさき」には、
このあかいきものをなんとをもている
なかに月日がこもりいるそや (六 63)
と記されています。
教祖は、五十年の長きにわたる「ひながた」を通して、人類の生みの親である親神様の思召しをお伝えくださいました。そして、赤衣を召して、教祖こそ地上における人間の親であり、「月日のやしろ」であることをお姿の上に示されたのです。
『教祖伝逸話篇』には、先人が赤衣を召した教祖にお目にかかった時のことや、赤衣を直にお着せ下されたことなど、数多くの逸話が記されています。
明治十二年、十六歳の抽冬鶴松さんは、胃の病で危篤状態となりました。鶴松さんが教祖にお目通りさせて頂くと、「かわいそうに」と仰せになり、それまで召しておられた赤の肌襦袢を鶴松さんに着せられました。そうして不思議なたすけを頂いた鶴松さんは、「今も尚、その温みが忘れられない」と、一生口癖のように言っていた、と伝えられています。(教祖伝逸話篇67「かわいそうに」)
また、明治十四年頃、岡本シナさんが、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖が、「シナさん、一しょに風呂へ入ろうかえ」と仰せられ、一しょにお風呂へ入れて頂きました。
その後、何日か経って、再びお屋敷へ帰ると、教祖は「よう、お詣りなされたなあ。さあ/\帯を解いて、着物をお脱ぎ」と仰せになりました。
何事かと心配しながら、恐る恐る着物を脱ぐと、教祖も同じようにお召物を脱がれ、一番下に召しておられた赤衣の襦袢を背後からサッと着せて下さいました。「その時の勿体なさ、嬉しさ、有難さ、それは、口や筆であらわす事の出来ない感激であった」と記されています。(教祖伝逸話篇91「踊って去ぬのやで」)
先人は、赤衣にこもった教祖の温もりを直接に感じられました。それは教祖がいつもそばにおられ、おたすけくださり、お導きくださっていることの証であり、私たちも「証拠守り」を肌身離さず身につけることによって、その温かな親心を感じ取ることができるのです。
(終)