(天理教の時間)
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第1312回2024年12月13日配信

お産のふりかえり

末吉喜恵先生
末吉 喜恵

文:末吉 喜恵

第1309回

こども食堂×補導委託

補導委託で預かった少年が、こども食堂のスタッフをした。家庭に恵まれていない彼にとって、貴重な経験となった。

こども食堂×補導委託

              千葉県在住  中臺 眞治

 

3年ほど前、妻から「こども食堂をやってみたい」と相談がありました。「近所に親しい人がいない」という地域の方々の不安の声を耳にすることが増え、安心できる顔なじみの関係づくりが必要ではないか、というのがその理由でした。

ちょうどその頃、教会では働きに出ることが困難な方が数人一緒に暮らしていて、そうした方々の活躍の場にもなるのではという期待もあり、始めることにしました。色々と不安な点もありましたが、同じ地域に以前からこども食堂を実施している教会があり、そちらのご夫婦に諸々のアドバイスを頂きながら、令和43月に第一回を開催することができました。

こども食堂を始めて3カ月が経った頃、地域の自治会から質問状が届きました。「なぜこども食堂を始めたのか?」「宗教の勧誘は行うのか?」などなど、そこには地域の方々の不安がつづられていました。

「地域に親しい人がいるという安心をみんなでつくる」をコンセプトに始めたこども食堂でしたが、地域に溶け込めていないのは私ども教会の側だったのだと、あらためて気づかされた出来事でした。

しかし、それらの質問にお答えしたところ、自治会長さんがいたく感激され、自ら宣伝役を買って出て下さったばかりでなく、宗教施設でこども食堂をすることに反対の声が上がると、自ら説得に赴いて下さいました。そうした協力のおかげもあり、現在では毎回50世帯ほどの親子連れや一人暮らしの高齢者などが利用されるようになりました。

こども食堂は、お手伝いをして下さる方やお米や野菜を寄付して下さる方など、様々な方の協力なくしては開催することができません。しかし、そういう活動であるからこそ、多くの皆さんとたすけ合いの輪が広がっていることを実感できるのです。

そのこども食堂に、時々、補導委託の少年たちがボランティアスタッフとして参加してくれることがあります。補導委託とは、非行のあった少年を家庭裁判所からの委託で預かり、更生のお手伝いをする活動です。

ある日、家庭裁判所から一本の電話が掛かってきました。ある少年を3日間教会で預かり、こども食堂のお手伝いをさせてあげてほしいとの依頼でした。ただ、職員さんが付け加えて言うには、「少年は非行を繰り返しており、いつも不貞腐れていて、裁判官にも盾突くような子です。それでも預かっていただけるでしょうか?」とのこと。

私は「もちろん大丈夫ですよ」と伝えてその日を待ちました。

約束の日になり、A君はやってきました。A君は最初こそ緊張した面持ちでしたが、聞いていた話とは違って、とても素直な少年でした。掃除や買い出し、お弁当の詰め込みなども一生懸命手伝ってくれて、教会で暮らしている方々とも、他愛のない会話をしながら楽しそうに過ごしていました。

こども食堂当日を迎え、私が「今日のテーマは、とにかく来た人を喜ばすということだよ」と伝えると、その意を汲んで懸命に努めてくれました。そして予定の3日間が過ぎ、みんなから「ありがとう。お疲れさま。また来てね」と見送られながら、自宅へと帰っていきました。

その翌日、家庭裁判所から電話がありました。「実は昨晩、A君から『この度は、大変貴重な経験をさせて頂きありがとうございました』と、裁判所にお礼の電話が掛かってきたのです。そんなことを言う子だとは思いませんでしたし、言葉遣いまですっかり変わっていました。中臺さん、一体何をしたのですか?」

そう聞かれても、私は特別何かをした覚えがないので、返事に困ってしまいました。

その後、半年ほど経った頃に、その職員さんにお会いする機会がありました。私がA君のことを尋ねると、職員さんはA君が書いた補導委託についての感想文のことを話して下さいました。そこには、こうつづられていたそうです。

「自分は友達と比べながら、なんて恵まれない家庭なのだろうかと思い、不貞腐れて生きてきた。でも教会に行ったら、自分よりもっと恵まれない家庭の人たちがいた。では、その人たちは不貞腐れていたのかと言えばそんなことはなく、みんなでたすけ合って笑って生きていた。その姿を見たら、不貞腐れている場合ではないなと思った」

職員さんはA君の近況について、「あれから真面目に学校に行くようになり、部活動も頑張ってますよ」と教えて下さり、こちらも嬉しく満たされた気持ちになりました。

天理教の原典「おふでさき」では、

 

  このさきハせかいぢううハ一れつに
  よろづたがいにたすけするなら (十二93

 

  月日にもその心をばうけとりて
  どんなたすけもするとをもゑよ (十二94

 

と記され、人と人がたすけ合うなら、その心を神様が受け取り、天のたすけを与えて下さるのだと教えられています。

人の心の向きを変えたり、運命を変えるということは私にはできませんが、A君自身の人とたすけ合おうとする心を神様が受け取られ、心の向きが変わる、運命が変わるという天のたすけが与えられたのではないかと感じています。

こども食堂には、A君のように補導委託の少年が度々やってきますが、みんな一生懸命お手伝いをしてくれます。そして終わった後は、「こんなに人から『ありがとう』と言われたのは初めてです」という子や、「楽しかったのでまた来たいです」という子など、こちらが嬉しくなる言葉をかけてくれます。

また、迎えに来た親御さんからも「うちの子の、こんな明るい表情初めて見ました。うちの子に必要だったのは、こういう経験だったんですね」など、家では見せない我が子のたくましい姿を喜ぶ声が聞かれます。

これからも、たくさんの人が出会い、たすけ合いを実践できる場として、教会が地域の拠り所となれるよう、こうした活動を続けていきたいと考えているところです。

 


 

ぢば一つに

 

親にとって、我が子が自分より先に命を落とすことほど、辛く悲しいことはありません。特に「子供は三才までに親孝行のすべてをなす」と言われるほど、幼い子供はその存在自体が愛おしくてたまらないものです。

天理教教祖・中山みき様「おやさま」をめぐって、こんな逸話が残されています。

 

明治十九年六月、諸井国三郎さんの、四女の秀さんがわずか三才で出直しました。

余りに悲しかった国三郎さんは、おぢばへ帰って「何か違いの点があるかも知れませんから、知らして頂きたい」とお願いしたところ、教祖は、「さあ/\小児のところ、三才も一生、一生三才の心。ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れてもニ方残る。太い芽が出るで」と、お言葉を下さいました。(『教祖伝逸話篇』187「ぢば一つに」)

 

国三郎さんは、数え年三才のお子さんを亡くしました。元気に歩き回り、片言でしゃべり始める頃です。まさに可愛い盛りのお子さんでした。

この時、国三郎さんは養蚕業の事業をやめ、人だすけ一本で通っており、生活は困窮を極めていました。懸命に神一条の道を通りながらも、なぜこんな目に遭わなければならないのか。そうして悲嘆にくれる中で「何か違いの点があるならば、どうかお諭し頂きたい」と、教祖にお願いしたのですから、厳しいお仕込みを覚悟していたでしょう。

ところが、教祖のお言葉は想像だにしないものでした。

「三才も一生、一生三才の心」

何という大らかなお言葉でしょうか。親神様によって与えられ、そして親神様によって引きとられた尊い命。わずか三才でこの世を去った短い命であっても、三才も一生。その人生にも立派な意味がある。そのようにお諭しくだされのです。

なぜこうなったのか、心得違い、通り方の間違いを振り返ったり、因果を考えるよりも大切なことがある。それは、ぢば一つに心を寄せる、すなわち「をや」一筋に思いを寄せること。そして、ふしにこもるをやの思いをどう悟るかによって、それが将来、太い芽を出すご守護につながると教えてくださいます。

国三郎さん夫妻は、このお言葉を頂いた十カ月後、無事に元気な女の子を授かりました。ろくと名付けられたこの女の子は、将来、この道の上に大いに力を尽くしました。

(終)

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