世の中の節をわが事と受けとめ 本部神殿で新型コロナ終息のお願いづとめ

■2022年1月20日

発信者:本部

教会本部は1月5日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。

このお願いづとめは、新型コロナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。昨年4月以降、毎月1日正午から本部神殿で勤められている。

当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパイプいすが設置された。

正午、中山大亮様は、中田善亮・表統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、中田表統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。

おつとめに先立ち、中田表統領があいさつを行った。

中田表統領は冒頭、新型コロナウイルスの感染拡大から2年が経ち、長く続く不安定な毎日の中にも、いつまでもこのままではいけないと思う一方で、終息後に果たして日常は元に戻るのか、どんな世の中になるのかは誰にも分からないと話した。

続いて、戦時下にお道はさまざまな制限や制約を受けたものの、終戦後、二代真柱様が本来の教祖の教えに戻ろうと、「復元」を提唱されたことに言及。戦争は大きな世の中の事情、節であるが、「復元」は、その大節を自分にお見せいただいた節と受けとめ、教祖の御教えを身につけ、たすけ一条の道を真っすぐに歩む成人の機会とするよう求められたのだと思う、と述べた。

そして同様に、「コロナ禍も世の中の事情であるが、私たちの成人を求められた大節と思案することができる」と指摘。「このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる」「たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ」(おふでさき十号103、104)のお歌を引いたうえで、陽気ぐらしは向こうからやって来るものではなく、自分から求めていくことで実現するとして、「コロナ禍の大節を、ここにいる者から、まずわが事と受けとめ、成人の歩みを進めてこそ、終息、そして治まりの姿をお見せいただけると思う。そうしたことを、ともどもにお誓いして、お願いづとめを勤めさせていただこう」と呼びかけた。