天理教の教え

かしもの・かりもの

にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら

(おふでさき 三号41)

 

めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん

(おふでさき 三号137)

※『おふでさき』は教祖が自ら筆を執って記された書き物で、17号、1711首のお歌

かしもの・かりものとはどういうことですか?

誰もが自分のものであると思い、使っているこの身体は、親神様の守護と共に私たち一人ひとりに貸し与えられたものであると教えられます。親神様の視点からいえば「かしもの」であり、人間側から言えば「かりもの」ということになります。借り物である以上、身体の使用には目的があり、その目的こそ、陽気ぐらしの実践であります。

私自身の全てがかりものなのですか?

心だけは自分のものであり、自由に使うことをお許しくださっています。そして、その心遣い通りに、身の内をはじめとする一切をご守護くださるのです。

親神様の思召に沿わない心遣いをした場合はどうなるのですか?

勝手気ままな使い方をすることで、その身に十分なご守護を頂けなくなり、身上の障りや事情のもつれの原因となります。しかし、それは決して罰などではありません。私たちが心の遣い方を改め、陽気ぐらしへと向かうための親神様の手引きであります。