おやのことば 10月15日

今年初めて、子供と稲を育てました。小さなもみ種から苗を育てて、それをバケツに植えて肥料をやり、生育を見守りましたが、先日無事に収穫が終わりました。刈り取った稲は、乾燥のために窓辺につるされて、静かに風に揺れています。

一粒の種がやがて株になって、一株に幾つもの稲穂を実らせる。その結果が、お米として収穫されているのです。毎日ご飯を頂いていながら、まったく考えたこともなかったのですが、稲の成長を身近に観察することで、あらためて親神様の御守護のありがたさを感じました。

小さな種の中には、やがて成長して大きな株になり、たくさんのもみ種を産出して、また次の年に実りをもたらすという無限の可能性が秘められています。しかし、この可能性は大地や水、太陽の光といった自然の恵みを受けなくては、決して実現されることはありません。

「一粒の種が幾万の理に成るとも分からん」

一粒の種には無限の可能性がありますが、その成長と可能性の実現は、絶えざる親神様の御守護を頂いて、初めて可能となるのです。

私たちは過去を振り返るとき、ともすれば自分の力だけで、すべてを切り開いてきたかのように考えがちです。しかし、その時々に親神様の御守護がなかったなら、本当は何も実現していない。あらゆる生命に無限の可能性が与えられていることに気が付くと同時に、すべてのことを可能にする親神様の御守護の偉大さに目を向け、いつも感謝する気持ちを忘れてはならないでしょう。(岡)

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