幼いころから、ぼんやり考えごとをするのが好きでした。高校生になっても、天気の良い日は、夕焼けがきれいに見えそうな場所を探しておいて、夕日を眺めながらボーッとしたものです。オレンジ色の光が目の奥にまで届くと、普段はあまり考えていないようなことが気になってきます。
「空はどこまで続いているのか」とか、「夕日はどうして大きく見えるのか」といった他愛もないことを考えたり、時には友人と語り合ったりしていると、夕日が心の奥まで包み込んでくれるような、不思議な気持ちになったことを覚えています。
「さあ一本の木/\栄え、真実尋ねば、同んなし一本の根である」
大人になって、生活に追われるようになると、ゆっくり夕日を眺める時間も少なくなりました。
その代わり、いくら考えても答えの見つからない問いは、もっと身近にたくさんあるということを学びました。たとえば、夫婦や親子といった、目の前にいる人たちと互いに分かり合うことさえ、本当はそう簡単ではないのです。
原典を拝読していると、かつて夕日に包まれたときのように、深く心が満たされるお言葉に出合います。それは、お言葉の中に、私たちが求めているあらゆる問いへの”真実の答え”が用意されているからでしょう。
これからも少しずつ、この”真実”を尋ね続けていきたいものです。(岡)